一人読書会の第5回は、柏原兵三の『夏休みの繪』。
『寿命図鑑 生き物から宇宙まで万物の寿命をあつめた図鑑』(いろは出版 )によると、
日本人の平均寿命の推移は次のようになっている。
縄文時代:15歳
弥生時代:18歳から28歳
古墳時代:25歳未満
飛鳥・奈良時代:20歳未満
平安時代:30歳から40歳
鎌倉時代:24歳
室町時代:16歳
安土桃山時代:34、35歳
江戸時代:31.7歳
明治時代:44歳(明治24~31年の平均)
大正時代:43歳(大正10~14年の平均)
昭和時代は、戦時中、31歳まで下がったが、戦後、平均寿命は延び、
昭和22年に50代、
昭和46年に70代を超えるようになった。
平成時代:83歳
「人生50年」と言われていた時代の作家は、
(自殺した作家も含め)50歳までに亡くなる人が多かった。(亡くなった年齢順)
樋口一葉(24歳)
石川啄木(26歳)
中原中也(30歳)
梶井基次郎(31歳)
中島敦(33歳)
織田作之助(33歳)
正岡子規(34歳)
尾崎紅葉(35歳)
芥川龍之介(35歳)
国木田独歩(36歳)
宮沢賢治(37歳)
太宰治(38歳)
尾崎放哉(41歳)
若山牧水(43歳)
有島武郎(45歳)
三島由紀夫(45歳)
梶山季之(45歳)
原民喜(46歳)
堀辰雄(48歳)
坂口安吾(48歳)
寺山修司(48歳)
横光利一(49歳)
伊藤左千夫(49歳)
夏目漱石(49歳)
など、挙げたらキリがないほど。
現代ではさすがに30代、40代で亡くなる作家は少なくなってきたが、
それでも、(亡くなった年齢順)
伊藤計劃(34歳)
鷺沢萠(35歳)
李良枝(37歳)
高橋和巳(40歳)
野呂邦暢(42歳)
佐藤泰志(41歳)
中上健次(46歳)
など、いないわけではないし、
どういうわけか、私が魅力的に感じている作家に多い。
そんな、早くに亡くなった作家のひとりに柏原兵三がいる。(享年38歳)
【柏原兵三】(かしわばら・ひょうぞう)
作家、ドイツ文学者。
1933年11月10日生まれ。千葉県千葉市出身。
東京市渋谷区立千駄谷小学校在学中、1944年4月、
父の郷里の富山県下新川郡入善町吉原に縁故疎開し、
入善町立上原小学校(後に廃校)に転入。
敗戦に伴って1945年9月に帰京するまでを同校で過ごし、
よそ者として過酷ないじめを受け、
この時の体験を中学時代から『長い道』として小説に書き始めた。
東京都港区立新星中学校(現・港区立青山中学校)から東京都立日比谷高等学校を経て、
1953年、千葉大学医学部に入学するも中退し、1954年東京大学教養学部文科II類入学。
1958年に東京大学文学部独文科を卒業し、
一浪して東京大学大学院人文科学研究科修士課程(独語独文学専攻)に進む。
大学院在学中から同人誌"Neue Stimme"を刊行。
1962年同博士課程中退、千葉大学留学生課程講師。
1963年政府交換留学生としてベルリンに留学。
1965年に帰国し、やはり独文学者であった柴田翔の芥川賞受賞に刺激を受けて小説を執筆。
ドイツ文学者としてはヨーゼフ・ロートやフランツ・カフカなどの翻訳を行っている。
1967年明治学院大学助教授。
1968年『徳山道助の帰郷』で第58回芥川賞を受賞。
1970年東京藝術大学助教授。
1972年2月13日未明、東京都文京区西片の自宅にて脳溢血で急逝。享年38歳。
芥川賞を受賞した『徳山道助の帰郷』や、
『少年時代』のタイトルで漫画化、映画化もされた『長い道』で知られた作家であるが、
一般的には、それほど読まれている作家とはいえず、
知らない人も多いことと思う。
私が初めて読んだ柏原兵三の小説は、『夏休みの繪』という(大学生のときに書いたという)処女作ともいうべき作品であった。
『夏休みの繪』は、大学時代に友人たちと始めた同人誌「運河」の創刊号(昭和31年4月)から第4号(昭和32年11月)に連載された長編小説で、
1971年に、函入りの本として刊行され、
1973年に、函なしの(普及版ともいうべき)本も出版された。
私はこの普及版の方を大学生のときに買って読んだのだが、
古風で、新味には乏しい作品であったが、
受験生の焦燥感がよく表現された青春小説で、
簡潔平易な文体、やさしく透明感のある文章にも魅せられた。
この小説の前半のみのモチーフを生かして書いたという短編『短い夏』も読み、
感動させられたのだが、
このときには柏原兵三はすでに亡くなっていて、残念に思ったことであった。
その後、『柏原兵三作品集』(潮出版社)を全7巻購入して読み、
一層、柏原兵三という作家に魅入らされたのであるが、
思い出の一冊となれば、やはり『夏休みの繪』ということになる。
約半世紀ぶりに、また読んでみようと思う。
夏休みが始まった日が丁度土曜日だった。前日から準備を整えておいたので、彼は午前十時四十分の汽車で行くつもりでいた。しかし、小さい頃一度遊びに行ったことがあるだけの家なので、駅から降りてからが至極あやふやだった。正確な道順を確かめておこうと思ってその日の朝九時頃彼は公彦さんの勤め先に電話をかけて聞いてみた。すると公彦さんも土曜日から日曜にかけて会社の人たちを連れて慰安旅行にそこへ行くのだという。そして丁度いいから一緒に行こう、切符も団体で買うから一緒に買っておく、午後二時に両国で落合おう、ということに一人で話を決めてしまった。それでは切符の代は立替えておいて下さいという彼の言葉に、切符代は団体で買えばただみたいなものだから要らないという公彦さんの返事だった。(5頁)
こいう書き出しで、小説は始まる。
彼(安西清)は、夏休みの間、C町にある父の知人(公彦さんの従弟の大山幸男さん)の別荘に籠って受験勉強をすることにしていたのだ。
彼(安西清)が、公彦さんたちと一緒に行くことを父に告げると、父は、
「一緒に行くのは止めろ」と言う。
「どうしてですか」と問うと、
「公彦たちは遊びに行くのだ。そういう遊楽気分はお前の勉強に行く気持を駄目にする」
との返事だった。
仕方なく、父の言葉に従って、公彦たちとは出発を一日ずらし、
一人でC町へ向かったのだった。
C町に着くと、幸男さんの妻の佐枝さんと、幼い娘のチイちゃんが迎えてくれた。
勉強に専念するつもりでいた彼であったが、
公彦から夜の宴会に呼ばれ、酒をしたたか呑み、酔いつぶれる。
翌日、正午ちかくに目覚めると、ひどい頭痛と激しい咽喉の渇きに襲われる。
公彦の会社の人たちと議論を戦わせたりしたらしいが、ほとんど覚えておらず、
自分の部屋(離れ)に戻る途中に、鳥小屋と離れを間違えて、そこに寝ようとし、
暴れて左手の小指に怪我まで負ってしまっていた。
父からあれほど注意されていたのに、公彦の誘いに乗ってしまったことを後悔する。
二日酔いで、受験勉強どころか、何もする気が起きない。
彼は、C町に着いてすぐに大山家の了承を得て親友(心友)の森田を呼び、
ここで一緒に受験勉強をすることにしていたのだが、
まだ了承を得てもいなかったし、森田に手紙も書いていなかった。
気分転換に、彼は散歩に出る。
そこで、美しい少女に出逢う。
少女は白い夏の帽子をかぶり、ねずみ色のボストン・バッグを提げていた。灰色のスカートに白のブラウスを着たスポーティな感じの少女だった。そしてだんだん少女の姿が彼に近づいてとうとう彼とすれ違うまでになった時、突然彼は眩暈に襲われた。それは二日酔いの仕業だったが、同時に彼が少女の持っている美しさに感動させられたせいでもあったのだ。
坂道の手前まで来てようやく彼は眩暈から脱れたことに気づき、少女はどうしたろうかと思ってうしろを振り向いてみたがもう少女の姿は見えなかった。(89頁)
その日の夜、晩御飯だと呼びにきたチイちゃんが、
「オバチャンが静岡から遊びに来たの」
と言う。
どんなおばさんかと思って会うと、
それは、今日、散歩ですれ違った少女であった。
「私、由利子です」
と少女は言った。
御飯の席につくと、佐枝さんが、
「安西さん、私の妹です。学校が休みになったので遊びに来たんです」
と、紹介してくれた。
「可愛い叔母さんで」
と幸男さんが言い、佐枝さんと由利子が可笑しそうに笑った。
由利子は彼よりも一年下の高校二年生だった。
語り合ううちに、「絵が好き」という共通の趣味も見つかり、
一緒にスケッチに出掛けたり、
朝、畠にトマトや甘瓜を採りに行ったりして、
夢のような時間が過ぎる。
ひとつ気になっていたのは、森田のことだ。
森田が来れば、(当然のことながら)由利子のことを好きになるに違いない。
由利子を独占していたい彼は、森田に嘘の手紙を書く。
「僕はスランプに陥っていて、一所懸命藻掻いている状態なので、君は今来ない方がいい」
と。
そうして、彼と由利子の幸福な夏休みは、ずっと続く筈だったのだが……
その晩指が急激に痛みを帯びて来て彼を苦しめた。小指全体が熱を、ひどい熱を持っていた。痛みはどんどん増し、全身を貫くかと思われた。(210頁)
という、ラスト2行が胸に突き刺さる。
苦い結末に、青春の痛みのようなものを感じた。
半世紀ぶりに読んだのだが、
初読した東京での大学時代の頃、そして、故郷・佐世保での高校時代のこと等が思い出され、
心に沁みた。
この『夏休みの繪』の装幀は柏原兵三自身が担当していて、
この本に対する著者の愛情が感じられるし、
表紙、裏表紙、中表紙に描かれた「汽車」「麦藁帽子」「パレット」などの絵も、
この小説の雰囲気を上手く表現していて素晴らしい。
『夏休みの繪』を初めて読んだとき、
こんな若者の繊細な心情を描ける人は、
ちょっと細身の神経質そうな人物に違いない……と思ったのだが、
写真を見たら、小太りの笑顔が印象的な人物だったので、驚いた。(笑)
(読書を始めて)最初に感動した純愛小説『野菊の墓』の作者・伊藤左千夫が、
むくつけき髭おじさんだと知ったときの驚きにも似た衝撃であった。(コラコラ)
昨日(10月27日)の衆議院選挙で大敗し、
自民党総裁(首相)の座が危うくなっている石破茂氏だが、
以前、自身の「石破茂のオフィシャルブログ」に、
「夏休みの思い出など」と題して、
柏原兵三に触れた文章を記している。
夏休みを題材とした小説で一番印象に残っているのは、柏原兵三の「夏休みの絵」、これを小編にした「短い夏」ではないかと思います。
「僕はきわめて自堕落にその年の夏休みを過した。そして本当に夏はあっという間に過ぎてしまい、僕の夏休みに寄せた期待の十分の一も実らない内に僕はもう秋の中にいた」
という「短い夏」のラストは実に秀逸で、作者の早逝がとても惜しまれます。
柏原兵三の作品では「徳山道助の帰郷」(芥川賞受賞作)、「独身者の憂鬱」、「兎の結末」も好きでした。(2014年8月 8日掲載)
これは10年前の記事であったが、
同じブログの4年前の記事でも、「夏休みなど」と題し、
38歳で早逝した芥川賞作家の柏原兵三(1933~1972)の作品は高校生から大学生の頃に随分と愛読し、今も好きな作家の一人です。「短い夏」の姉妹作である「夏休みの絵」(三笠書房・1971)は青春小説の秀作ですし、母方の祖父である陸軍中将をモデルとした芥川賞受賞作「徳山道助の帰郷」や、ベルリン留学時代を描いた遺作「ベルリン漂泊」も好きでした。(2020年8月21日掲載)
と記している。
石破茂氏は、1957年2月4日生まれなので、
1954年の夏に生まれた私とは、生まれ年は3年違うが、学年では2つしか違わないので、
これまで経験してきたことに、それほど違いはないのかもしれない。
柏原兵三という、今ではそれほど広くは読まれていない作家の作品を好むとは、
政治的信条などは別として、石破茂氏には私と近しいものがあるように感じた。
(……ということは、あまり政治向きの性格ではないのかもしれないね)
作家としての活動もわずか5年ほどであったし、
亡くなって半世紀以上(52年)も経っているので、
現在、書店で買える柏原兵三の書籍はほとんどない。
Kindleで読むか、大きな図書館で借りて読むか、メルカリなどで買って読むかしかない。
そうしてでも読む価値のある作家だと思うし、
これからも(何度でも)読んでいきたい作家のひとりである。