旅と同時進行で新聞に連載していた文章をまずは読んで頂きたい。
8月23日の早朝に長万部を出たぼくは、
25日の午後には函館に到着した。
この長万部~函館間は、
交通量が多い上に、歩道が少なく、歩いていてとてもコワかった。
北海道の車は高速道路並みのスピードで走る。
それに追い抜きを頻繁におこなう。
道内の人に訊くと、「時速80キロ程度ではすぐ抜かれる」ということであった。
狭い路肩を歩いているぼくのすぐ脇を猛スピードの車がすり抜けていく。
途中雨も降り出し、水飛沫を何度もかぶった。
こぶしを振り上げ、車に罵声を浴びせながら、ぼくはひたすら歩いた。
だから函館に着いたときは、ホッとしたものだ。
函館はぼくの好きな街のひとつである。
青春時代に何度か訪れたことがあり、懐かしさもある。
特に港からまっすぐにのびた坂道が気に入っている。
この日の夕刻、
ぼくは函館市大町にある「弁天寿司」という店で、
新鮮なスシや刺身をたくさん御馳走になった。
もちろん無料(タダ)で。
なぜか?
この旅を始めたばかりの頃、
ぼくはあるおじさんと知り合ったのだが、
この人は函館に本社がある会社の社長さんであった。
「鹿児島まで歩いている」と話すと、
「函館を通過するときには、ぜひ連絡しなさい。鹿児島県出身の奥さんがいる行きつけの寿司屋さんがあるから、そこへ招待してあげる」と言われていたのだ。
図々しくも連絡すると、
社長さんは仕事の関係で一緒には行けないが、寿司屋さんにはもう話しているので、直接行ってほしいとのことであった。
店のご夫婦、お客さんにまで大歓迎を受け、お土産まで頂いた。
こうして北海道の旅は終わった。
新聞には、
「この旅を始めたばかりの頃、ぼくはあるおじさんと知り合ったのだが、この人は函館に本社がある会社の社長さんであった」
としか書いてないが、
実はこの社長さんとは、面白い出会い方をした。
徒歩日本縦断の旅の出発点へ向かうとき、
佐賀から札幌までは飛行機で、
札幌から稚内まではバスで移動したのだが、
稚内行きのバスに乗ったとき、
隣り合わせたのが、この社長さんだったのだ。
もちろんバスに乗ったばかりのときはどんな人物か知るよしもなく、
出発してすぐに酒を呑み始めたこの男性を、私は快く思っていなかった。
いろんなツマミを鞄から取り出しながら、
このおじさんはいつまでも酒を呑み続けた。
酒の臭いと、スルメなどのツマミの臭い。
顔を赤らめ、酔いがかなり回っているのが、
隣に座っている私には手に取るように判った。
酒好きの酔っぱらいのおじさん……というのが私の印象であった。
からまれたら嫌だな~と思いながら、
〈どうか私に話しかけてきませんように……〉
と祈っていた。
しかし、私の祈りは届かず、
この隣のおじさんは、やおら私に話しかけてきたのだった。
「兄ちゃん、どこへ行くの?」
〈兄ちゃんじゃなく、私もおじさんなんだけど……〉
と思いながら、
「はあ、ちょっと歩き旅をしようと思って……」
と答えた。
この答えでは満足できなかったらしく、
このおじさんは、根掘り葉掘り私に質問してきた。
で、とうとう、宗谷岬から佐多岬まで徒歩日本縦断することを白状させられた。
おじさんはいたく感動したらしく、
「私はこういう者だが……」
と名刺を差し出しながら、
「いつもは本社のある函館にいるので、函館を通るときには必ず私に連絡しなさい。君と同じ九州出身(鹿児島県)の奥さんがいる行きつけの寿司屋に招待するから」
と語ったのだった。
函館に到着したとき、
私はあの社長さんに連絡しようかどうか迷った。
なぜなら、あの日、彼はかなり酔っぱらっていたので、
もしかして憶えていないのではないかと思ったのだ。
駄目もとで電話してみると、社長は不在であった。
秘書のような方に用件を訊かれたので、
あのバスの中でのいきさつを話すと、
「ああ、そのことは社長からことづけを受けております。社長は同席できませんが、お寿司屋さんには話を通してありますので、直接お寿司屋さんの方へ向かわれて下さい」
との返事。
お寿司屋さんの場所を聞き、
その「弁天寿司」という店を訪ねると、
ご主人、奥さん、それに店の常連のお客さんなどから大歓迎を受けたのだった。
数ヶ月後、徒歩日本縦断の旅を終えて帰宅し、
あの社長さんとお寿司屋さんに、
お礼の手紙と共に、佐賀の銘菓と、紀行文が載った新聞を送った。
すると「弁天寿司」のご主人と奥さんから我が家に電話があり、
「新聞はもうすでに読んでましたよ」
と仰る。
新聞に載った私の紀行文を読んだ佐賀県内の読者から、
「弁天寿司」へ新聞が送られてきたそうだ。
その読者は、よく函館に出張する人で、
出張したときは必ず「弁天寿司」に立ち寄る人であったらしい。
あれから18年の歳月が流れたが、
あの「弁天寿司」は今も評判の良いお寿司屋さんとして函館で繁盛しているようだ。
いつの日かまた訪れることができたら……と思っている。
8月23日の早朝に長万部を出たぼくは、
25日の午後には函館に到着した。
この長万部~函館間は、
交通量が多い上に、歩道が少なく、歩いていてとてもコワかった。
北海道の車は高速道路並みのスピードで走る。
それに追い抜きを頻繁におこなう。
道内の人に訊くと、「時速80キロ程度ではすぐ抜かれる」ということであった。
狭い路肩を歩いているぼくのすぐ脇を猛スピードの車がすり抜けていく。
途中雨も降り出し、水飛沫を何度もかぶった。
こぶしを振り上げ、車に罵声を浴びせながら、ぼくはひたすら歩いた。
だから函館に着いたときは、ホッとしたものだ。
函館はぼくの好きな街のひとつである。
青春時代に何度か訪れたことがあり、懐かしさもある。
特に港からまっすぐにのびた坂道が気に入っている。
この日の夕刻、
ぼくは函館市大町にある「弁天寿司」という店で、
新鮮なスシや刺身をたくさん御馳走になった。
もちろん無料(タダ)で。
なぜか?
この旅を始めたばかりの頃、
ぼくはあるおじさんと知り合ったのだが、
この人は函館に本社がある会社の社長さんであった。
「鹿児島まで歩いている」と話すと、
「函館を通過するときには、ぜひ連絡しなさい。鹿児島県出身の奥さんがいる行きつけの寿司屋さんがあるから、そこへ招待してあげる」と言われていたのだ。
図々しくも連絡すると、
社長さんは仕事の関係で一緒には行けないが、寿司屋さんにはもう話しているので、直接行ってほしいとのことであった。
店のご夫婦、お客さんにまで大歓迎を受け、お土産まで頂いた。
こうして北海道の旅は終わった。
新聞には、
「この旅を始めたばかりの頃、ぼくはあるおじさんと知り合ったのだが、この人は函館に本社がある会社の社長さんであった」
としか書いてないが、
実はこの社長さんとは、面白い出会い方をした。
徒歩日本縦断の旅の出発点へ向かうとき、
佐賀から札幌までは飛行機で、
札幌から稚内まではバスで移動したのだが、
稚内行きのバスに乗ったとき、
隣り合わせたのが、この社長さんだったのだ。
もちろんバスに乗ったばかりのときはどんな人物か知るよしもなく、
出発してすぐに酒を呑み始めたこの男性を、私は快く思っていなかった。
いろんなツマミを鞄から取り出しながら、
このおじさんはいつまでも酒を呑み続けた。
酒の臭いと、スルメなどのツマミの臭い。
顔を赤らめ、酔いがかなり回っているのが、
隣に座っている私には手に取るように判った。
酒好きの酔っぱらいのおじさん……というのが私の印象であった。
からまれたら嫌だな~と思いながら、
〈どうか私に話しかけてきませんように……〉
と祈っていた。
しかし、私の祈りは届かず、
この隣のおじさんは、やおら私に話しかけてきたのだった。
「兄ちゃん、どこへ行くの?」
〈兄ちゃんじゃなく、私もおじさんなんだけど……〉
と思いながら、
「はあ、ちょっと歩き旅をしようと思って……」
と答えた。
この答えでは満足できなかったらしく、
このおじさんは、根掘り葉掘り私に質問してきた。
で、とうとう、宗谷岬から佐多岬まで徒歩日本縦断することを白状させられた。
おじさんはいたく感動したらしく、
「私はこういう者だが……」
と名刺を差し出しながら、
「いつもは本社のある函館にいるので、函館を通るときには必ず私に連絡しなさい。君と同じ九州出身(鹿児島県)の奥さんがいる行きつけの寿司屋に招待するから」
と語ったのだった。
函館に到着したとき、
私はあの社長さんに連絡しようかどうか迷った。
なぜなら、あの日、彼はかなり酔っぱらっていたので、
もしかして憶えていないのではないかと思ったのだ。
駄目もとで電話してみると、社長は不在であった。
秘書のような方に用件を訊かれたので、
あのバスの中でのいきさつを話すと、
「ああ、そのことは社長からことづけを受けております。社長は同席できませんが、お寿司屋さんには話を通してありますので、直接お寿司屋さんの方へ向かわれて下さい」
との返事。
お寿司屋さんの場所を聞き、
その「弁天寿司」という店を訪ねると、
ご主人、奥さん、それに店の常連のお客さんなどから大歓迎を受けたのだった。
数ヶ月後、徒歩日本縦断の旅を終えて帰宅し、
あの社長さんとお寿司屋さんに、
お礼の手紙と共に、佐賀の銘菓と、紀行文が載った新聞を送った。
すると「弁天寿司」のご主人と奥さんから我が家に電話があり、
「新聞はもうすでに読んでましたよ」
と仰る。
新聞に載った私の紀行文を読んだ佐賀県内の読者から、
「弁天寿司」へ新聞が送られてきたそうだ。
その読者は、よく函館に出張する人で、
出張したときは必ず「弁天寿司」に立ち寄る人であったらしい。
あれから18年の歳月が流れたが、
あの「弁天寿司」は今も評判の良いお寿司屋さんとして函館で繁盛しているようだ。
いつの日かまた訪れることができたら……と思っている。