寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県津山市河原町12の小桜神社に立ち寄る

2017年09月06日 | 
ゆめマート津山を後にして西隣の河原町に入った。私は石組の残る半鐘屋従業員駐車場を見て「江戸期に牢番人がいたのはそこかな」と言った。森栗茂一さんの著作『河原町の歴史と都市民俗学(明石書店 2003年2月1日 初版第1刷発行)』の394頁で河原町の歴史を紹介しているので引用させてもらう。なお397頁の津山の河原町・城東町の復元図が資料的価値が高い。本書は全国の河原町と御仕置場とのつながり(一例として広島市)についても触れているためその道の研究者は要チェックだ。

復元図

町境

河原町とその周辺
 津山の町名としての河原町は船頭町の東で、船頭町との境界に今津屋橋(寄付した米屋の名)があり、西には高燈籠と船着場があった。橋の東、河原町にはガンギの設置された船着場、飛船屋(船蔵)、船宿、米問屋があった(津山市史編纂委員会 一九七四年:一八六‐一八七頁)。「津山城下絵図」(キリスト教民俗館所蔵)によると、米倉、木倉、川戸蔵(貢米の収納庫)・船蔵・船タデ場・船頭屋敷が棟を並べ、牢番所があり、東隣に鍛冶場があった。その南には渡しがあった。冬と春は渡し船を用い、夏と秋は徒渡りの定めであった。宝永年間(一七〇四‐一七一一)より、冬、春に板橋が架けられるようになった。最初、鍛冶屋橋といわれたが、西に移動して、先述の今津屋橋になった。河原町の小桜神社は一七一二年(正徳二)、修験大福院小桜某が居住しており、その所有地が神社になったという(『日本歴史地名大系 第三四巻 岡山県の地名』平凡社、一九九九年:一八四頁)。

小桜神社

小桜神社2

小桜神社参道入口付近に「河原町」の説明板と防犯カメラあり。小さな神社は旧出雲街道に面するクリーニング店・五條屋(京町)の裏辺り(小桜会館の中)に鎮座している。

旧出雲街道(京町)
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広島県福山市山手町5丁目1の個人邸新築工事2

2017年09月06日 | 日記
私は2ヶ月ぶりに山手地区を訪れた。芦田川右岸堤防上から新築工事の現場を望む。既に仮囲いはなく完成に近づきつつある。

土手下

堤防下、左側がサンキョウハウジング、そして右側がアエラホームが手掛ける住宅である。県営南泉住宅第一泉住宅周辺には他にも家が建ち始めている。

土手下2
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広島県福山市霞町2丁目7‐23・小林硝子店倉庫跡地

2017年09月06日 | 日記
土地家屋調査士赤木一郎事務所隣の小林硝子店倉庫で解体工事が始まったのは確かお盆前だった。既に建物は無く更地の状態である。

更地A

霞町エリアでは役目を終えた古い建物が次々に消えているが、跡地の利用が早く決まるのが特徴の一つと言える。この場所がどうなるかは知らぬが……。

更地B
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