赤門を配した臨済宗妙願寺派西巌山寿光寺を過ぎると旧出雲街道街道から少し北に入ったところ(土塀際)に西寺町の説明板と寺町界隈案内図があった。


西寺町
城下町の建設期には、武士や町人など、多種多様な宗派の人々が集まり住むことによって城下町ができた。そうした人々の必要に応じて、津山藩は、城下町の東西の端に各宗派の寺院を集めて寺町を作った。
東の寺町が丘陵上に配置されたのに対して、西寺町では、町人町から続く主要な街道に沿う形で寺町が形成されていった。
高い土塀と豪壮な建築物が建ち並ぶ寺町は、城下町の防衛施設と位置づけられることもあった。


街道を西に進む(4枚目の写真の左側が妙法寺、右側が愛染寺)。高野山真言宗(準別格本山)高室山浄光院愛染寺の(鐘楼のついた)仁王門は見所の一つで平成18年(2006)3月17日に県指定重要文化財になった。天台宗高徳山大圓寺の先から街道は少し曲がってくる。



西寺町
城下町の建設期には、武士や町人など、多種多様な宗派の人々が集まり住むことによって城下町ができた。そうした人々の必要に応じて、津山藩は、城下町の東西の端に各宗派の寺院を集めて寺町を作った。
東の寺町が丘陵上に配置されたのに対して、西寺町では、町人町から続く主要な街道に沿う形で寺町が形成されていった。
高い土塀と豪壮な建築物が建ち並ぶ寺町は、城下町の防衛施設と位置づけられることもあった。


街道を西に進む(4枚目の写真の左側が妙法寺、右側が愛染寺)。高野山真言宗(準別格本山)高室山浄光院愛染寺の(鐘楼のついた)仁王門は見所の一つで平成18年(2006)3月17日に県指定重要文化財になった。天台宗高徳山大圓寺の先から街道は少し曲がってくる。
