JR東岡山駅から徒歩約3分の所に臭突付き平屋の賃貸住宅群があった(※昭和50年前後に完成と思われる物件)。この付近から住所は東区宍甘(しじかい)となる。西隣の中区土田との境界は小さな水路だった。土田は旧上道郡財田村の大字で宍甘は同郡古都村の一部…つまりかつての村境が区境に変わったと考えられる。
私が岡山市を訪れた際には「市道宍甘沼線道路改良工事(30‐1)」が行われていた。JR流田一踏切の手前(南側)のレールが赤穂線(全線単線)で奥側が山陽本線である。流田という地名は大昔の水害を連想させる。
JR貨物EF210形電気機関車(ECO‐POWER 桃太郎)の通過を眺めながら『岡山藩・宍甘の磔場跡は現踏切周辺が該当するんかな』と呟くと地元民と思しき人が露骨に嫌な顔をしていた。
私が岡山市を訪れた際には「市道宍甘沼線道路改良工事(30‐1)」が行われていた。JR流田一踏切の手前(南側)のレールが赤穂線(全線単線)で奥側が山陽本線である。流田という地名は大昔の水害を連想させる。
JR貨物EF210形電気機関車(ECO‐POWER 桃太郎)の通過を眺めながら『岡山藩・宍甘の磔場跡は現踏切周辺が該当するんかな』と呟くと地元民と思しき人が露骨に嫌な顔をしていた。