寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山市東区宍甘の水道記念碑(宍甘簡易水道組合)

2019年08月25日 | 
JR流田一踏切を渡り北西へ向かう。丁字路角の「岡山市消防団古都分団(宍甘)機庫」から藤井宿方面へ(近世の西国街道を)少し歩いてもよかったのだが、時間をできるだけ確保しておくために今回は見送った。

磔刑場=現今の上道郡古都村大字宿古都尋常高等小學校の地にして國道に沿ひ諸大名の通路の南側にて面積約東西十三間南北二十七間巨大なる椋樹の外に老松四五本樹立し北側には一里塚とて一本の椋樹あり狐狸栖とて人をして悚然たらしめしが明治八年校舎新築に際し伐採して今は昔の面影だも止めずもと磔刑場は本村宍甘(現御野立所南下)にありしが池田新太郎少將の時淫祠を廢し荒祠寄をなすにあたり巫女十三人を火炙の酷刑に處したりしに其の火焔岡山の居城地より幽に見えし故不祥なりと現遺跡に移轉したるものなりといふ後天保五年(八十四年前)本郡玉井村宿奥の井上彦兵衛なるもの池田家に奉公中器物を盜取し仙臺の大名に賣却せんとしに池田家の定紋ありし爲逮捕せられ磔刑に處せらる又上道郡可知村大字松崎新田に孫八といふ不孝者あり親の訴によりて磔せらると又曰く和氣郡茂山(片山町東)の庄造なる者上道郡二本松(宇野村原尾島)某家に放火したる廉にて火炙の酷刑に處せらる叫號の聲遠近に徹したりと傳ふ是れを以て處刑者の最後とす今や慘憺を極めし磔刑場も咿唔の聲を聞く一村文敎の中心となるに至りも聖代の餘德といふべし、
『上道郡誌(大正11年・1922)』

表面

表面2

前述書の上道郡圖を参考にすると移転した磔場の跡は古都宿遊園地や忠魂碑がある付近と考えられる。山王山の麓で水道記念碑を見付けて裏面の文字も確認しておいた。碑は昭和三十六年一月に建てられたもので当時の宍甘は西大寺市の一部だった。伍賀厚氏は最後の市長(2代)となる。福山で言えば松永のような感じだろうか。

裏面
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広島県福山市手城町3丁目14・はるかホームの賃貸一戸建て「フローラ手城」新築工事

2019年08月25日 | 日記
ヤックス手城店南側(藤野住宅跡)がはるかホームの住宅用地(※一戸建て賃貸)に変わった。7月頃から業者が入り作業を始めるのを見た(地盤改良工事と思われる)。

分譲地B

分譲地C
 
先ずは道路沿いから着工し8月中旬の段階で基礎が完成している所もあった。セブン‐イレブン福山手城町3丁目北隣りと同様に全9区画になるのかな?

分譲地D
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