寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

三国湊に残る古い町並み(後編)

2008年10月25日 | 

「松ヶ下西光寺」はかつて湿地だった場所に建っている。正保3(1646)年創建と伝わるが、今の堂宇は寛政年間に再建されたものだ。

西光寺の南側に「遊廓」ができたのは17世紀に入ってまもなくのことである。その後「遊廓」は湊が西に拡張するにしたがって万治2(1865)年に作られた上新町周辺(旧森田銀行がある北側)に集中するようになった(『三国町史』)

「三国大野屋」

西光寺門前の細道を下ると元「三国大野屋」がある。越前大野藩が起業した産物会所で、現在の言葉で置き換えると商社になろうか。

南本町3丁目の「宮太旅館」

ここから更に東に足を進めた。「宮太旅館」は回漕業を営んでいた宮本家が明治になって創めた旅籠屋がもとになっている。これもやはり「カグラ建て」だ。「三国神社」まで行く時間の余裕はなく引き返した。

北本町3丁目にある「坂井家」

福井県道119号を横断して北本町3丁目に入る。江戸時代に米などを商っていた「坂井家」を基点にして九頭竜川に沿って古い町屋が西にのびている。昔は大量の物資が荷揚げされてさぞかし賑わったのであろう。

私は「遊里」があった神明3丁目に向かって歩き始めた。

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