我が家の桃もフリージアも咲きました。花は春への道標です。
2011年のあの日も、関東は穏やかな晴れ間の昼でした。2時を回り、私の居た耐震強化建築の建物も、ただならぬ揺れ方をして。緊急放送を聞きながら、職務としてトレーニングされている次の対応にむけて動き始めました。支援活動は一年弱、続きました。
仕事とは別に、胸痛む情報更新の嵐のなか、ネットに飛び交う流言飛語を、私のblogでも、何度も否定した時期でした。科学を信じてください、と繰り返した時期でした。
あの日から13年。原発の周りを除いては、人々の暮らしが戻りつつあるとの知らせがあります。
されど、破損した原発では、処理水の排出、放射性物質の取り出しが計画通りいかない等、次々と新しい課題が生まれてきます。それでも、牛歩の歩みながら、進んでいるのだと、祈る気持ちで、311を迎えるのです。当初の計画の40年では解体処理は終わらないかもしれません…。
私たち、彼の地に住んでいない者たちは、できる応援を続けて、かつ、忘れずに事実を見つめて、政治に正しい対処を求めつづける務めがあると、私は思います。
だけど、当事者の方々は、どうか少しでも忘れてくださいと、切に願います。
何年たっても、忘れられるはずがない哀しみ。寂しさ。怒り。。。
それでも、どうか、生きる喜びを取り戻していただきたいと、願っています。
『原発事故がなければ! 故郷を追われずに済んだのに。』
この言葉は13年間、変わらずに聞いた呪詛の言葉でした。
そして、能登半島の地震のおりにも、志賀原発は? 珠洲にも計画なかった?と、最初に多くの方が案じたことでした。
一人一人が豊かに暮らすことは、電気と無関係にはできません。その中で、どう折り合いをつけたら、よいのか?
私はあの日から、三割削減を自分に課してきましたが、盛夏の時期には、決意が揺らぎます(苦笑)。これは、皆で考えて、選んでいかなければならない課題です。
たくさんの課題がある、311から、13年目。彼の地に住まない私は、今日も黙祷の時に、祈りとあわせて、考えると思います。
どうか、当事者の方々は、懐かしさや優しい人の面影を浮かべる、祈りの時をすごされますよう、お祈り申し上げます。
2024/03/11. 過労死予備群