今日は小生より年上のカップルを叱りつけた。自然観察園として手入れをしている水辺のセリを大量に採取していたのだ。注意の看板の脇を通って入り込むのだから、気が付かないはずは無い。フキノトウを総て取り去った人と同一人物であるかどうかは不明でも、ダブって意識する。
「子ども達の環境学習用に設え手入れしている部分です。横着しないで自生のセリを摘みなさい」と我ながら語気強く注意した。「すみません、すみません」と言いつつ引き上げ、谷の奥に入っていったが直ぐに戻り車で帰っていった。
自生地は通路から採取できるはずもなく、湿地だからスニーカーではちょいと無理。入れるところはコロニーを形成しておらず過疎。手間隙掛けたくないという姿勢がありありだった。
散策路の脇のタラも鎌で斜め切りで、上部が切り取られているのが目立つ。二番目も採られている。斜め切りは子ども達の顔の高さだ。こんな連中ばっかりである…。とは言え、これは正しい表現ではない。
多くの人は表示があれば守っているが、一人でも「則を越える」と総てがぶち壊しなのだ。手入れを続けることは引き換えに「イライラ」を伴う…。これが会友の共通の気持ち。