宿に向かう途中、谷あいの田圃から煙が上がっている。煙りの立ち込めた区域を離れて控えめな煙の所に立ち寄ってみた。
「籾焼き」とばかり思っていたのだが、この田圃では切り株やせん断された藁を焼いていた。周辺に住宅地が無いから出来る作業だろう。
煙の色も風景も「懐かしい」の一言だったが、煙を吸って少年の頃を思い出したのには驚いた。記憶の再生は何が引き金になるか判らないものだ。
作業の帰り道、郊外の園芸店に立ち寄った。店の前に並べたプランターに違和感を感じて目を落したらアゲハが吸水中だった。
考えてみれば無理もない。周囲は畑や宅地で、散水しない限りは土は湿らないし、おおむね散水が頻繁になされるのは園芸店の商品なのだ。
アゲハも生きるために必死なのが伝わってくる。林道で吸水するアゲハ類よりも敏感でないのは、それだけ欠乏している事の証しなのかもしれない。ナミアゲハと見たのだが、どうだか…。