フイールドのショウジョウバカマに花径を伸ばしてきた株が見られるようになった。近くの日当たりの良い石垣下では在来種のタンポポが開花しており、既に冠毛を付けた茎もあった。
フイールドの広場も「タンポポ原っぱ」となるのも近いだろう。しかし周囲の木立が大きくなったため新緑の頃から日照が閉ざされるようになって群落の華やかさは薄れてきたようで少々残念でもある。ショウジョウバカマも昔に比べれば群落は縮小気味で、大株は盗掘され、幼苗は見過ごされ踏みつけられるから育たず、成長したロゼッタだけが目立つ。ある意味高齢化社会の到来のような惨状かもしれぬ。
我、少年期の頃、ショウジョウバカマやカタクリ、はてまた雪割草などはありふれた植物で、敢て見に行くなんて事はしなかったものだが、そのための尋ね人が入るようになった今日、出来得るなら隠しておきたい心境になってしまうのはまあ、何と料簡の狭いと言うしかない心持であろうかのう…。
「写真撮るだけです」「眺めるだけです」と思っている人たちの中に幼苗を踏み潰しているなんて意識を持ってくれる者はまずいないのだ。
フイールドの広場も「タンポポ原っぱ」となるのも近いだろう。しかし周囲の木立が大きくなったため新緑の頃から日照が閉ざされるようになって群落の華やかさは薄れてきたようで少々残念でもある。ショウジョウバカマも昔に比べれば群落は縮小気味で、大株は盗掘され、幼苗は見過ごされ踏みつけられるから育たず、成長したロゼッタだけが目立つ。ある意味高齢化社会の到来のような惨状かもしれぬ。
我、少年期の頃、ショウジョウバカマやカタクリ、はてまた雪割草などはありふれた植物で、敢て見に行くなんて事はしなかったものだが、そのための尋ね人が入るようになった今日、出来得るなら隠しておきたい心境になってしまうのはまあ、何と料簡の狭いと言うしかない心持であろうかのう…。
「写真撮るだけです」「眺めるだけです」と思っている人たちの中に幼苗を踏み潰しているなんて意識を持ってくれる者はまずいないのだ。
