フイールド日当たりの良い場所にいくつかフキノトウが出てきた。採集し味わう事はせずに眺めて楽しむ小生なのだが、おっつけ消えてなくなるフキノトウでもある。フイールドの数カ所にフキを定植しフキノトウを眺められるようになって久しいけれど、フキノトウやフキの存在が知られるようになるに従い消えるのも早くなっている。大方の感覚は「山菜」であって採集対象、環境植物としての感覚や位置づけなど無いのが普通なのだろう。
山里での折り合いの付け方や不文律など関心も無く「山菜などただ」としか思わない俄か山菜取りの跋扈蹂躙は威之志士様と同類である。元の竹藪山を知っている人たちでさえ「自然になった」と思っているかの様だ。帰省しての線路沿い、フキノトウやコゴミの大きな群落が多々連なっているのを見るたびに、過疎凋落を想う。あるところには廃棄する程あるけれど採り尽くしてしまうような意識も輩もいない。彩りにある程度の植物を大胆にかっさらっていく心魂が分からん。まっ、盗人の種は尽きまじ、そういう事なのだろう。

山里での折り合いの付け方や不文律など関心も無く「山菜などただ」としか思わない俄か山菜取りの跋扈蹂躙は威之志士様と同類である。元の竹藪山を知っている人たちでさえ「自然になった」と思っているかの様だ。帰省しての線路沿い、フキノトウやコゴミの大きな群落が多々連なっているのを見るたびに、過疎凋落を想う。あるところには廃棄する程あるけれど採り尽くしてしまうような意識も輩もいない。彩りにある程度の植物を大胆にかっさらっていく心魂が分からん。まっ、盗人の種は尽きまじ、そういう事なのだろう。
