トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

流下水路を開ける

2021-10-15 | 感じるままの回り道
 棚田部の沈泥分水池付近の大きな漏水孔を潰して埋土鎮圧して一件落着。真夏日とも思える暑さだったし帰宅しようかとも思ったもののまだ少しばかり時間が早い。そこで二つ池の棚からの水路の除草をした。除草と言っても水路脇を鎌で軽く刈り払って水路が見える様にしただけの事なのだが、これが意外と大事なのである。たかだか10m程度の細く水量も無い水路なのだが、こういう環境をオニヤンマは好んで産卵してくれる。
 似たような設えは数カ所存在するけれど同一ではないので、いわば「お好み」で場所を選んでもらう仕掛けにもなっている。生物多様性と世間は簡単に一語で全てを語ったような雰囲気もあるものの現場はそうそう簡単でも無く簡単であるのだ。「環境多様性こそが大事の中の小事」であると小生は認識する。

 「生物多様性」などは「産めよ増やせよ」なんてスローガンでどうともなるもので無し、「移住し子育てもしてみたい」と多様な職種の世代が集まり生態系やら食物連鎖等々が形成されていく環境多様性こそが、最初の一歩でピリオドに値するのだと姥捨て山では活動しているのである。ところが姥捨て山の哀しさ、豊かな社会になり姥捨てや爺捨てなどしなくても街中でひっそりと消えてゆく社会化が進み、姥捨て山にはとんと捨て爺婆が居無くなった。かくして生物多様性は頓挫するみ・た・い。

 とは言え、「鎌でチャッチャッと横着しないで刈り払い機で綺麗に刈り揃えればぁ」とは世間様の声なき圧力なのだが、それは環境破壊でしかない。フイールドに設えたフジバカマ群生部、会友からは「新聞社に知らせませんか?」なんて声も出るけれど、環境教育NPOでさえ、その活動は破壊教育のあり様を呈したままの現実、マスコミの結果など気にしない報道された故の被害などは小生独りで修復せねばならなくなる。
 保全活動は、周知したいと思う好意や性善説を前提にしては立ちいかないのが経験則だ。ましてやマスコミ報道で知って集まる輩は環境破壊をストレートに発生させる。周辺の蛍の発生地など報道されればその夜の内に草叢は踏圧被害、蛍は捕獲される憂き目に遭う。量的格差が甚だしいのを更に増大させる破壊圧力を増す、この繰り返しは止むことが無い。それはフイールドの動植物も同じなので「秘するが花」を忘れてはならない。

 「知る権利」や「知らせる権利」なんて言葉を見聞きするが「守る権利」や「知らせない権利」など誰も見向きもしない。ましてや汗水たらさねばならない中身など「知る気」も「知りたい」も無いし手間暇必須の保全など意識の外である。
 「まずは隗より始めよ」と言う諺があるが、小生には「まずは好意より始めよ」が意に沿うし「行為より始めよ」は実践中だ。衆愚集愚は不要なのである。まあ、まあ、とんだ脱線ぶりになってしまったわい。

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