猛暑さえゆめまぼろしに思えたり雪の便りに炬燵の支度
摘菜するえにしの人にあらねども我が裾ころも露に濡れたり
二親の終の苦痛に比べればまだ余裕なり日々活きておる
華麗なら良きに加例の生身ゆえ指差す場所の多き診察
猛暑さえゆめまぼろしに思えたり雪の便りに炬燵の支度
摘菜するえにしの人にあらねども我が裾ころも露に濡れたり
二親の終の苦痛に比べればまだ余裕なり日々活きておる
華麗なら良きに加例の生身ゆえ指差す場所の多き診察
母親と遊びに来ていた幼子三人が、昼を食べていたら「こんにちは」と元気に挨拶してくれた。2歳、3歳、5歳くらいだろうか。兄と姉は手に虫かごと網を持っている。
中を覗かせてもらったら、バッタ、カマキリ、テントウムシなどが入っている。バッタもカマキリも見かけなくなっているから、良く見つけたものだ。
「これはカメノコテントウ」と教えてくれたのが写真のテントウムシだ。名前も実物も初めてである。「日本で一番大きいテントウムシ!」と元気だ。もう昼は済まして、また虫取りに原へ降りていった。話を聞いていると昆虫の事をよく知っている。幼くても、時々このような子どもに出会う。兄に影響されたのか下の姉妹も虫が好きなようだ。
兄姉から遅れて来た末の子は首に緊急用のホイッスルをぶら下げ、クローバの花茎で編んだ髪飾りを持っている。「ママが作った」と手渡してくれた。花の数が少ない時期だから、花でビッシリという髪飾りではないけど、幼子にしてみれば「お宝」に違いない。
母親は後片付けしていて、少々遅れて「遊ばして貰っています」と挨拶して子の後を追っていった。この母にして、この子等ありと感じた出会いだった。羨ましいステージである。
虫の名を児に教えらる小春なり
小春日和の静かな一日だった(スズメバチさえ飛んで来なければ…)。フイールドに来たのはは母と子3人だけだ。
延び延びになっていた刈り草の集草と集積をようやく終了することが出来た。刈り草が放置されて厚い所は、概ね猪が掘り返して無残である。その上、刈り草の下は日光が届き難いから春の野草の萌芽にも差し支えてしまう。
熊手とフォークを使用しての作業だったが、熊手は昔ながらの鬼熊手が一番使いやすい。金属製の熊手は何とも使い勝手が良くないのだ。フォークは重宝した。集草も運搬も非常に使い勝手がよく、使用していても気持ちがいい。
刈り草は、もう十分乾燥していて嵩張るだけの物だけど、二ヶ所の草原誘導地で20個ほどの小山が出来た。意外と量が多くて一日では終わらないと思ったものの、無言の行のお陰か昼過ぎには終了した。集積して一山にしたところは、しばらくは子ども達の遊ぶ場所になるのだろう。
干草の香りなつかし遠き頃
干草をフォークで絡め持ち上げる腹も減るなりすでに昼時
トンボ池の最終作業、オーバーフローを手直しした。導入水量は管径90Φのエンビ管で最大水量が制限されるので問題はないのだが、降雨時の周囲から流れ込む地表水の量が不明だから、必要以上に排水断面積を大きくしておいた。
流れ落とす小水路まで落差があるから段差工では堤が痩せてしまうから、底はゴムシートを張り水路の壁は丸太を半割りにしたものを伏せて浸食を防止した。
欲を言えば水の落ち口にも浸食防止の丸太を組みたいのだが、それは春の雨のシーズンまでに構築すればいいので、しばらくはトンボ池から離れることが出来る。
池を急遽設えたことで、草原を刈り払った後の集草が済んでいないし、侵入竹の除伐もストップしたままなのだ。除伐面積をある程度終了していないと、鋸の交換刃などの消耗品の現物助成を申請しにくくなるので、小さな予算規模のグループでは大問題でもある。交換刃一枚が予算の5%にもなるのだから。
フイールドに降り立ったらいやに冷たかった。周囲を見渡すと倒れた草の上は霜で真っ白だった。寒いはずである。肌着に長袖の二枚では寒さを感じるが、陽の当たるところはそこそこ暖かい。作業を開始すれば汗ばんでくる。
草むらを分け入ってもバッタ類は全く目に止まることはなかった。さすがに霜が降りる気温では日中でも無理があるのだろう。こんな時期になったのにオオスズメバチはまだ活発だ。
拠点近くに群がっているのは、どうも巣があるようだ。草藪の周辺でしっかりと確認できないので、近いうちに完全防備で接近確認してみる。
ETなら心も弾むのだろうが「イテー!」の猛虫ではオッカナビックリである。オオスズメバチは暮れも押し詰まった頃、最高気温12度の日でも飛翔していたから、巣があるなら処理しないと危なくて移動に支障がくる。
トンボ池にカンガレイ3株とイを2株の植栽が終わって、とりあえず完成とした。カンガレイを掘り取った泥の上に小さな浮き草が張り付いてきて、そのまま植栽したから浮き草も移植したことになる。根株の泥の中には微生物もいるだろうから、それらは新天地での種になるだろう。
池には僅かな流入があるが、漏水も同じくらい続いていて、トータルで均衡が取れているようだ。だから水位の上昇は見込めない。降雨があって濁り水が満水になれば好転するかも知れないと言う期待はあるが、好天続きだから当座は妄想と似たようなものである。
朝は初霜があって冷えたが、昼時にはアキアカネが20匹程度飛翔してくる。産卵するカップルもいるが、概ねオスの方が多い。この時期にまだ活発に飛翔しているなんて、水辺を造成して初めて判った事だ。
この池に産卵したトンボは、今の所アキアカネだけ確認しているが、今日植栽したカンガレイは羽化する時に必要な水草である。ガマも葦も掘り取れるのだが、地下茎を横に走らせ漏水の原因になりかねないから「親の敵」と思って、ここには進出させない。
「葦が生えると漏水する」との先人の言葉は、こんなローテク、ローカル、アナログの世界で生き返る。馬鹿に出来ない。
ようやく九分九厘のところまで漕ぎつけた。桟橋も丸木橋も当初は念頭に無かったのだが、興味や関心をくすぐり、池に接近できる仕掛けは必要と考えた末の手間仕事だった。
桟橋は220cmほどの長さであるが泥水地の部分に張り出させたから、上手くいけば春にはヒキガエルの卵塊が直下で見られるかもしれない。ただ一説には生まれた池に戻って産卵する、という一文を読んだ記憶があるからどうなるやら。産卵しなかったら至近の水辺から卵塊を移設するつもりだ。
島は土饅頭みたいになってしまったが、面積が小さいから水面上の体積を多くしたかったから、これも致し方が無い。島にはタラノキ、ヤマツツジ、シモツケ、ツルグミ、フユイチゴ、ヤマハギなどを植栽した。これも周囲の込み入った部分から間引きして移したものだ。
シモツケ以外は、花が咲いて結実するまでには数年かかるだろうが、鳥や昆虫が群れてくれれば嬉しい限りだ。後は水仙と彼岸花を初夏に植え込んで完成する。水辺にはトクサとカンガレイを数株移植して完成だ。カンガレイはトンボの羽化する場所になる。
橋板を支柱に固定し、跳び木の高さをそろえて仕掛けが完成した。奥の笹原もO氏が地際から舐めるように刈り取ったから、幼児が転んでも手のひらや顔を傷つける心配も薄れた。春になって芝草が萌え出てくれたら随分と美しい谷地が出現するだろう。
丸太を半割にした片割れはもったいないから土手より水面に突き出た桟橋風に設えることにした。池の中の支柱は丸太を立てる心算だったけれど、切り株の大きいのがあったから、これを池の中に据えて突端の支柱代わりにする。
アイデアが出てビジョンが固まると、どうもせっかちな性分が顔を出す。早く片付けたくて翌日が待ち遠しい。朝も普通より早く目が覚めてしまうのだ。まるで遠足前夜の子どもみたいになってしまう。すでに「二度わらし」のステージにいる、だからしょうもないか・・・。
トンボ池の丸木橋が細すぎたから、間伐で調達しようと考えたのだけれど、沢に立ち枯れして倒れたヒノキがあったから利用することにした。
太さは十分だが幹が曲がっていて利用できる長さがギリギリだった。その上、長らく放置されていたから表面から腐食が始まっている。それでも断面を観察すると必要な芯の径はありそうだから二つ割りにした。歪んでいなければ、鋸目に楔を打ち込んで割るのが妥当なのだが、歪みと二又の幹の部分があるから楔は使えなくて、結局最後までチェーンソーで斬り裂いた。
久しぶりの大仕事だったが、研ぎだした刃で切り込みを入れるのは何とも快感である。綺麗な大きな切り屑が脚の間に噴き出してくる。伐倒のように重量物が倒れることではないから気は楽だったが、切り出す長さがあるから、途中で燃料もオイルも補給するほどだった。
予想以上に良く分割することが出来て、当然ニンマリとしただろう。気持ちの良い作業だった。陶然、陶然。
立冬も過ぎたのに、まだ蛇が出没する。オオスズメバチも数は減ったものの、気温が上昇すると飛行が確認できた。
季語に「穴惑い」とあるけれど、これは彼岸過ぎても穴に入らず徘徊している蛇のことを言うとあるが、季節は既に立冬を過ぎている「穴惑い」も甚だしい。
朝に通った時は痕跡も無かったから、気温が上がり、更に新設の真っ黒なアスファルト路面の暖かさに魅せられて出てきた蛇なのだろう。路面からの温感が太陽光毛布みたいに感じたのだろうが、無残にもペッチャンコになっていた。名実ともに「山呵呵死」になってしまった。
これが煩悩や誘惑に魅せられると「とんだことになる」との見本か…。心したい。
惑い蛇小春にひかれ春はなし なむあみだ小春に惑い日干しかな