トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

河床安定化作業 七日目(段差工用材の回収)

2024-03-18 | 今日は真面目に

 夜半、左ひざの痛みがあったし中休みのつもりでいたものの余りにも好天なので出かけてしまった。予定では丸太二本橋として使っていた丸太材が両岸浸食で流路に落下して放置されたままの材を段差工用材として曳き出し現場まで運ぶつもりだったのだ。とは言えこの丸太、一昔も前に河床安定化段差工用として小生が水源地に用意していた材なのだが勝手に使用されてしまったのだった。すぐに必要だった材でも無かったからそれはそれで構わなかったものの「一言も断りなし、以後も知らんぷり」ではしょうもない限りだ。それなりに顔は売れていてリーダー的な立場にある人物だけにその信義則の無さには呆れたものである。そんな経過があった材なので言わば「拉致材を取り返した」形だ。

  ➡   ➡ 

 侵食された沢の中から牽引器で河原まで二本曳きだした。この材を段差工の現場まで運ばなければならないのだが70mほど上流にある現場まで牽引器を支点になる立ち木を交換しながら移動させるのは手間暇面倒すぎるから河原を鳶口1本で曳き転がす事にしたもののあえなく折れてしまった。代わりにツルハシを用いたのだが鳶口ほどうまく作用しない。やはり道具立てひとつ不足しても作業は賄えないのだった。このまま作業終了も癪の種なので尾根越えしてフイールドの拠点道具小屋まで交換に行った。車で往復も考えたのだが猪侵入防止のゲートの開閉4回、すれ違い出来ない道路でのツッツモッツを想定すると尾根越え徒歩往復がスムーズに感じられて往復40分を費やして交換してきた。

 それで難なく⁉河原での移動は行えたのだが残り15mほどの砂州と言うか小石の高みを越えられずダウンした。車には牽引器が入っているから使える状況ではあったけれど息絶え絶えで河原を移動させて更にまた牽引器のコンテナを持ってくる事など願い下げに思えた。考えてみるまでも無く今回の河床安定化作業はまだ道半ばなのであるが高齢者の行う作業では無く、言ってみれば老働には不適切であることは間違いない内容だ。言い換えてみれば自傷行為や自己損傷作業みたいな様相であって、この点ではいわゆる小生、SなのかMなのかどちらに相当するのだろうか考えれば考える程判らなくなってきた。で、この日の一服はポンカン1個で自嘲的に評すれば「姥捨て山の幇間」に近いが、はてまた呆漢かいな・・・。まあ、そんな事、誰も知らないし誰も見てはいないし関心も無い現場だし全ては自己内差の課題である。そして我はSなのかMなのかこの哲学的命題に再び立ち戻るのであって、その思索はカチカチ山とは異なり姥捨て山の春の静寂の中にあったのだが時折「呆 保毛虚…」やってらんない。

 

 


映画祭のパンフレット

2024-03-17 | 番外編

 姥捨て山の孤爺ともなれば社会性や文化からは遠く離れた存在になっている。けだしその通り、なのであるが孤爺となる前の若き日のみぎりより「毛出し」の奇跡はついぞ現れなかったままで現在に至る。それは何より「親の因果」でも「前世の誤り」でも無く生身である現世そのままの実態なのだった。その悪戦苦闘、獅子奮迅、OH!モーレツ!、そして聞くも涙語るも涙ぶりはドキュメンタリーになるだろうし、一方で現在マイブームの「発酵惣菜」の世界にはかの「発酵の旅」だったかの小雪女史やら小泉大先生や江上トミ学園長からも絶賛賞賛訪問取材まで期待できるはずなのだが、前述の如く姥捨て山の孤爺では連絡の当てがある訳がない文化とは無縁の野生である。

 そんな中での先日、ヤギさん郵便でハード封筒が届いたのだった。さすがにハード封筒だったのでヤギも食べれなかったようだ。中身は「大倉山ドキュメンタリー映画祭」でのチラシやシナリオ解説などで「杜人」や「サステナ・フォレスト」などの環境保全の映画が紹介されていた。それだけでなく上映された10作品はどれも「社会派」ともいえる内容で興味深い作品ばかりだった。のだが既に映画祭は終了してそれでも「サステナ・フォレスト」についてはまだ全国6都市で鑑賞の機会があった。「久しぶりに映画でも…」と思いつつも新型コロナの流行やエンフルエンザの再流行中の世相では姥捨て山から市中真っただ中へ出かける訳にもいかない。ここは「孤爺は黙って詰め用事」するしかないのだ。

 送り主は高校時代にはワンゲル部のキャプテンだった友人恩人の奥様で、大学時代は実習の折りに新婚所帯なのに2週間もの居候を許してくれたのは破格の待遇と言って良い。ただ誠に残念なことにコロナ猛威下の先年に恩師の後を追い共に補陀落山への山行に旅立っている。心残りはお別れも出来なかった事に尽きるけれど、これはまあ浮世の定めでもある。それは別にして第二びわこ学園のドキュメンタリー映画「わたしの季節」のパンフレットも入っていた。奥様自身は恐らくこの映画を見ていたに違いないのだが、パンフレットが入っていたのは共通する仕事の世界だったからだろう。

 そんな事から現在過去未来、改めて想起回想妄想に陥ってしまい、この記事を書いてしまった・・・と言う事になる。思い起こさなくても忘れもしないワンダーフォーゲル部で出合ったことが我が人生を決めたのであって、部活の折々、山行の端節でそういうことを話題にしたことは無かったものの高校を卒業してからの進学先はもう一人の同期の部員を含め学校が異なってはいたものの学部は同じで職業も同じ道を選んだのだった。今、振り返ってみずともキャプテンご夫妻の生き方に共感したのは間違いない。人生の追憶は映画のように映像で残されている訳でも無いけれど忘れられない出来事や忘れてはいけない出来事に満ち溢れている。生者必滅・会者定離、かくして終焉と共に全ては虚無の彼方へ散じて悠久の時を得て新たなる息吹へとつながるのだろう。そんな事からフォスターの名曲「老犬トレイ」を老賢孤爺は口ずさむ事になるのだった。ハイ。

     


車止めを置く

2024-03-16 | 今日は真面目に

 連日の如く隣り沢の作業地に通う日々が続く。時折だけ取水地の整備に訪れるのならバックで林道終点まで入るのも致し方ないと思いそう行ってきたのだが、何せ片側は崖で車輪を外せば転落しかねない。以前には一回だけではあるものの後輪を外しそうになって冷汗をかいた事がある。バックする時は後部ゲートを跳ね上げ林道の状態をより視認し易くしながら行うのだけれで山側は排水溝の残骸のように窪みが続いているし、右左の両方に注意を払ってのバックは負担になってきた。

 そこで連日通わなければならない状況なので安全第一を考えて前進進入したけれど、今度は帰路をバックで走行しなければならない。そこで林道終点部の山側の崩れた部分を少し均して方向転換できる面積を生み出したのだが、元より十分な広さがある訳も無し。何度かの切り返しを行いながら方向転換しなければならない時に沢の肩近くまで車を寄せなければならず、これも冷や冷やだったのだ。現在の車のようにバックモニターなど無いクラシックカーであるから、そこは視認して行う事になるけれどやはり見え難いのは変らない。そこで朽木ではあるけれど車輪が乗っても潰れない強度がある材が近くにあったからそれをL字に置いてみた。玉石で多少はカバーしたので乗り上げてしまう速度で無ければ少しだけ安心感が備わった。やはり安全もそうだけれど手抜きはいけない。

 論語に「朽木不可彫也 糞土乃牆 不可杇也」とあるけれど朽木や糞土であっても使い道を選べば十分に役に立つ。一方、顔淵第十二18には盗賊撲滅の秘訣を問われて「国家の盗賊は君だ」と言った行があるけれど、今まさにネコババとン十人の党賊の岩窟は薬も効かない厚顔確信犯のような微笑念に満ちているわい。我が若き日のみぎり「人知れず微笑まん」と言う本が出たが、その微笑の意味は天と地、いいえ、天と野壺ほども差がある。

     


河床安定化作業 六日目(取水部段差工の復旧)

2024-03-15 | 今日は真面目に

 丁度良い具合に天候不順が続き丸々四日の作業休日が出来た。高齢者の行う作業では無い事くらいは合点承知の助だけれど放っておけばフイールドの環境は水泡に帰す。まあ、物好きだとか阿呆だとか言われる環境にない孤老だからこそ出来るのであるが過労に至る格好の条件を備えているのも確かなのだ。フイールド環境を損なわない様に踏ん張れば、それはストレートに自らの肉体的健康を損なう方向に直結していく。妥協点は見いだせぬまま湿布と磁石粒とストレッチでなんとか凌ぐしかない。凌ぐしか手が無いという点で観ればガザやウクライナと似たようなものである。

 さて少しばかりの休日を挟んだところで腰痛や膝痛が改善した訳でも無く湿布を貼り続けて皮膚が荒れてきて湿布は使えず磁石粒とお灸で凌ぐのであるが現場に行けば否応なく重作業が待っている。この日は好天になったけれど気温は一桁のままで沢であるがゆえに日照は無し。季節風の強さが影響しないだけ「好い」とせねばなら。前回曳きだしたままになっている材の他にもう1本曳きださねばならない材が埋もれているので、これもリサイクルするために牽引器で引き抜いた。この1本は最下段に設えて4段の段差工を施す事が出来たけれど丸太の下はアッパッパで底抜け状態だから埋めなくてはならない。まずは玉石を運び入れなければならないのだが、それは後日の事である。

 牽引器で引き抜く ➡  引き抜き途上、パイプの上を渡らせなければならない

 下の二枚はこの日の作業前と作業後の様子だ、お遺骨、いいえ老い骨鞭打ってようやく形になってきた。この段差工修復部は沢の左岸で写真左側、道具類のある場所が取水堰端である。そこから横たわっていて白く見える丸太が取水堰の高さなのであるがそれの上部は集中豪雨に因る流下堆積物だ。この段差工が突破されてしまえば、もう恐らく復旧させるだけの体力気力は失せる。隣り沢のフイールドにとってここはへその緒、扇の要、絶対に死守すべき生命線であり、生命維持装置でもある。小生自身には「生命維持装置はいらない」からと子どもたちには伝えてあるものの環境にはそうもいくまい、いくまい黄泉路・・・。だからこそ尻捲りは出来ず尻を端折って水商売・自転車操業なのである。この世は因果だ!。「人の生きる道は重い道具を背負い、河原を遡るがごとし」とかの神君家康公もおっしゃっているではないかい。

 

 

 


ニホンアカガエル、三日月池にも産卵していた

2024-03-14 | 小父のお隣さん

 産卵期には何度か見回りして卵塊の有無を確認していたつもりだったのだが発見できず「産卵無し」の判断だった。ところがこの日、前々日の90mm超の降雨による影響を確認に行った折りに卵塊の残骸が水面に浮いているではないか。広がっているので卵塊の数としては計数できないけれどおおよそ5,6卵くらいは産んであったのではないかと想像した。近寄って観察すると残骸の中に黒い物体がある。オタマジャクシとして外に出ていない幼体の様だ。ゼラチン質から飛び出たオタマジャクシまでは確認できなかったのは水中に緑藻類が繁茂していたからで、卵塊を確認できなかったのは緑藻類の中に埋もれていたからなのだろう。今期の産卵数にカウントしないけれど既に100を超えているから「一つ二つ三つ、いっぱいいっぱいいっぱい・・・」で十分なのだ。

    


24時間雨量90mmの後始末・・・

2024-03-14 | 小人閑居して憮然

 「雨が降れば送水止まる」のがフイールドでの定説だ。前日は雨降りお憑きさんで蟄居中だったのだがこの日の出しなに降水量を確認すると90mmだった。これだけ降ると取水升上流部の河床平滑化のための段差工を設えた部分に砂礫が溜まり平滑化が成っただろうと期待して行ってみたら、あろうことか二カ所とも底抜けしており段差工の趣旨に反している。まあ、永田でさえ平滑化は程遠く、横流し、袖隠し、敢て未記載なんて常習化しているのだから野蛮な荒れ沢の流水ではさもありなん。ゆえに幸運流水なんて事は期待はせず黙々と自転車操業・水商売を続けるのみである。

 増水し流路の侵食が多ければ砂礫の流下は当然で、取水升にも堆積してフイルターまで埋まっている。礫で埋まるほどの水量では無かったが濁り水に含まれる砂泥が取水升の中にまで堆積していて送水管口まで上昇していた。これはスコップで取り除いたけれど応急的処置なので砂泥の高さを取水管口より下げただけである。後日、掬い取るための金笊を用意して行おう。幸いにも砂泥は多少は吸い込まれただろうが詰まるほどでも無くて管口に手を当てれば陰圧で吸い付く。とりあえずは強制排砂はしなくても良いサインでもある。

 砂泥で取水フイルターまで埋まる ➡  砂泥を排出した

 さて底抜けした二カ所については河原の玉石を拾い集め積み上げておく。水は抜けてはいるけれどおっつけ砂礫が溜まれば丸太の位置まで河床は上昇するはずである。現在の作業が終了して身体的余裕があるならば河床の高い部分を唐鍬で掻き均して削った砂礫で凹部を埋めれば良い。しかしながら膝や腰が不調の現在、しゃがんで玉石を持ち上げ運ぶ動作に笑顔が出ない。粛々と渋々と悶々と作業続行するのみ。これが孤爺の活きる道・・・。ウグイスがへたっぴぃに鳴いているわい。不思議な事にフイールドでの鳴き声はまだ聞いていないのだ。

         底抜け部は玉石で応急処置しておく。後は流下砂礫に委ねる

 流路のカーブの部分は突破されずに保たれており、河床も30cmほど下がりえぐれている。ここは「思い通り」になったけれど突破された弱点部であるだけに流路幅が狭くなったネック状態では誠に不味い。流路が多少低下したので障壁としていた丸太を移動させ流路幅拡張させておかないと更なる降雨量増加時では破壊される可能性もあるから、ここも手直しだ。かくして自転車操業・水商売は続くのである。

                  カーブ部は狭まいので洗堀河床低下だ。これは良!    

 


隣り沢のニホンアカガエル

2024-03-13 | 小父のお隣さん

 隣り沢で河床安定化作業が続いている。今日も時間まで作業をし道具を車載している時に沢への肩で動くものが見えた。確認するとニホンアカガエルである。主フイールドでは珍しくも無くなったニホンアカガエルなのだがひと尾根越えた隣り沢で視認できたのは初めてである。腹部は膨らんでおり孕んでいるかのように見えたのだがこの隣り沢では産卵できるような水溜りも出来ない荒れ沢だし雄も居ず産卵できないままなのかとも思ったりしたけれど、卵を抱えているメスの腹部はもっと膨満して来るはずなのでたまたまなのだろう。まあ、フイールドの卵は既にタマタマ、いいえオタマジャクシになって遊泳している。

 隣り沢での初記録なので記事にしたのだが改めて写真を見ていると右の前足が欠けているように見える。3枚ほど撮影したが同じ場所で撮影距離だけが異なるから確認できなかった。車載中に飛び去っていく姿を見ているが、まさが前足が欠けているとは思わなかったし、少々残念であるわいな。

     

 

 


今日の素労風努「発酵惣菜、何作目だっけ⁉」

2024-03-13 | 何よりの楽しみ

 「料理」の範疇に入るとは思ってはいないものの「惣菜作り」の感覚はある。合わせる材料を一品だけ変更しての食べ重ねなのであるけれど既に「常備菜化」してしまって習慣的に作り続ける。単品でのキムチも糀もヨーグルト、漬物等々、そうそう消費できる素材ではないものの「発酵惣菜」として作り始めてから消費量が増えた。今回、新たに加えてみようと思ったのは「高菜漬」や「奈良漬」、「野沢菜漬」などを物色してみたのだが今回は「糠漬け」を用意した。その他の漬物は追い追い試せばよいのである。

 何回か作っていると手際も良くなって、朝食前に糀の活性化とヨーグルトの水分抜きをセットする。昼過ぎには混ぜ合わせる段階になるから食べようと思えば口にできるのだ。つい先日の事なのだが雨降り御憑きさんで古い漬物の本をチラ見した折に「キムチと糠漬けは両横綱」と言うくだりに出会って「なるほどそうだ!」と今回のレシピに至った次第だ。前回作った「発酵切干入り」の品は最初こそ切り干し大根の食感があったのだが日にちを経るに従い大根の食感は消えてしまった。美味しさは変らなくてもコリンとした歯ごたえも美味しさの要素なので、今回入れた糠漬けも数日の内には軟化してしまうのかどうか気になるけれど「食べたら判る」のだ。

 食べたらわかる、のだが話せばわかる範疇でも無い惣菜だし、作り続けて安定したレシピでも無いので今回も「やってもうた・・・」となった。美味しい・旨いは変らないのだが日を経るにつれ糠漬けの水分がにじみ出て全体がユルユルになったのだ。糠漬けを脱水シートで包み脱水させてからと言う手もあるけれどそこまでするほどの物でも無く、他の高菜漬けやツボ漬けなどのように水分量の少ない漬物を使えば良いのである。とは言え糠漬けの栄養素を外すのも惜しいのだが、そこまで凝らなくてもと言うべきだろうなあ。ご飯にはてんこ盛りし、食パンには挟み、麺類には汁やソース代わりで重宝している。まあ、育ち盛りの少年期に食べていた「バッカリ食」に近い感覚だが、この食生活は豊かなのか貧しいのかよう分からんものの、一日30品目、献立は毎回異なると言う様な食生活も脅迫的、いいえ脅迫テク的ではある事よ・・・。

 


河床安定化作業 五日目(取水部段差工の復旧)

2024-03-12 | 水辺環境の保全

 この日一日、風が強いとの予報なので護岸材の伐採は止めて昨秋の氾濫で跡形も無く破壊された取水堰横の段差工の復旧に切り替えた。上流部の崩壊で大量の土砂砂礫が押し寄せ河床は身長ほども堆積物で上昇したのだがその結果、取水升と河床の水平を保つための段差工が破壊されたままになっている。まあ、幸いとも言える事は段差工が破壊されたにもかかわらず流出して来た根塊が詰まり取水升より河床を下げなかった事である。そうでなければ取水堰の無い左岸部は大きく流されて個人の労力では復旧不可能になっていたはずで、この現場は行政も既に放置した現場だからフイールドへの送水は断念せざるを得なかったのだ。

 現場に立って状況を眺めれば段差工として五段構えで設えた痕跡はすでになく護岸丸太も縦横斜めと勝手な方向で外れて埋没している。これを取り出して再利用したいのだが砂礫中心の堆積物ではスコップは使えない。結局はツルハシで丸太を埋もれさせている砂礫土砂を除いたのだが個人の労力ではびくともしない。結局はチルホールを用意して移動を試みたり引き抜きを試みたりしたものの一支点での作業では方向を変えられないから1本を地表に横たえるためには数回の支点の移動が必要だった。

 昼まで作業をしたものの予定の位置まで丸太を並べる事が出来ずに終わった。作業強度としては「強」レベルの作業が五日間も続いたので「そろそろ中休みを…」と思いつつも翌日からは数日間の雨予報なので増水する前にあらかた整えたいと気は急くのである。そうはいっても高齢者にはきつい作業の連続で、楽しみと言えば「よーし、今日は昼寝と三時に羊羹!」と人参を妄想させてご老体に鞭打ったのだった。そこでハタと考えてみた「おいらってSだったのかしら・・・」。まあ、それはともかく取水の破綻をきたす前に手当てをしているのであるがわが身が破綻しそう。雨模様でしばし中休みできるだろうか。

 


河床安定化作業 四日目(上流部段差工と流路障外の排除)

2024-03-11 | 今日は真面目に

 三日目を終えようやく寝床に潜り込み、安静状態になると膝に軽く違和感が出ている。腰もくたびれ感があって湿布を貼ってから休まないと夜間に腰の痛みが出て来る。客観的に観なくても年齢不相応な作業なのは承知だけれど「他に代わりはあるじゃなし…」であって手当てしなければフイールドの寿命は尽きるのであった。ついでに腰や膝の手当ても忘れずに行わないと運動機能の寿命も尽きるのであった。だからこそ少しでも長もちさせようと「転ばぬ先のお灸」で足の三里に朝晩お灸をすることになる。別の見方をすれば「お灸くらいしか手助けは無い」水商売・自転車操業なのである。

 4日目の作業は前日に据えきれなかった段差工を済ませ、固定は先になるものの出水時に備え杭打ちを行って流亡を防ぐ手立てもする。段差工2本目は河床を掘り流れる水位で水平を確かめてから丸太を据えた。丸太の上に水準器を当てて判断する手立てもあるのだがこの場合、何度も丸太の移動を要するし仮り据えのまま出水を待って溜まった砂利の水面で再調整をする必要もあるので番線での固定はせずに杭だけで止めたままだし護岸木の杭打ちも済んではいない。

 予定より早めに終了したので流れがカーブする内側頂点で支障になっていた切株を切除した。これで増水時に水流が左岸方向に逃げるのを緩和出来て流路の保全がなされ易くなるだろう。切株があった事で右岸方向に水流が向かい難くなっていて、その抵抗でカーブの頂点に水流浸食が強まり突破されたのが一昨年の事なのだ。今回の始末で流れの誘導をするから結果的には取水できない河床低下まで侵食されるリスクが減じた、はず・・・。とは言えまあ、更なる集中豪雨があれば絵に描いた餅、と言うより「エレベーター内の透かしっ屁」に同じく被害は容易に隣り沢のフイールド全域に及ぶのだ。ホント、水商売。自転車操業から逃れられないのが我が人生だ。

右岸流への障害株 ➡  排除したから増水があれば堆積砂利は排除される

 


三身一体・・・

2024-03-10 | 小父のお隣さん

 この日は久しぶりの最低気温2℃台だ。冬型の気圧配置だけあって快晴・日本晴れである。フイールドでは鳴き声は無かったのだが隣り沢の作業地でウグイスの鳴き声を聞く。昼前にフイールドに立ち寄りトンボ池傍でS先生とSざんとで四方山話。その折、ルリビタキが飛来してSさんが双眼鏡を渡してくれたから初めて姿を見たのだった。背は暗い瑠璃色で胸のあたりはオレンジ色で、やはり野鳥のきびきびした動作は美しく感じる。小生の偏見かもしれないけれど嘴が小さくて、そこがキュートだった。暖かくなれば高地に移動するとの事だったが代わりにキビタキが入って来るだろう。

 さて、今日の話題は鳥で無し、トンボ池の水が久しぶりに澄んで池の中はそこまで見通せる。卵塊やオタマジャクシ、はてまためだかの学校まで丸見えだった。泥の表面にはミジンコみたいな微小生物が移動しているのが見える。まあ、生命溢れる水域ならばヤゴの食事に不足は無いだろう。今回、池の中を眺めて想った事は「ニホンアカガエルとアズマヒキガエルが同居している環境は珍しいのか普通なのか⁉」と言う疑問だったので折よくこの質問をS先生にしてみたのだったが「環境的に食い違いは無いし競合相手でもなさそうだから生息域なら普通の事ではないか」と言う意見だった。まあ、何より生物多様性や共存しながら食物連鎖を形作って繫栄していくのは祝着至極であろうぞ。まあまあ、それを維持するに腐心している小生にとっては執着地獄であるわいな・・・。

    

 


今日のエッ!品「抹茶と小豆のビスコッテイ」

2024-03-10 | 何よりの楽しみ

 もう、雨降りさんなんだからぁー。かれこれ一週間近くもお空様がグズグズしていては雨は上がったりとはならず小生の暇つぶしが上がったりなのであった。この間、図書館も二週間近く閉館していて3月にならないと開かないし読書が駄目ならテレビと言う事にしても朝から見るべき番組も無く、店頭のポスターで見た「編みぐるみ」とか言う物に手を染めたのだ。これなら室内木工で粉塵まみれになる事も無く座しても立っていても出来る作業なのだ。

 とは言え空っ茶だけでは口が何とも寂しく侘しい。雨の中を買い物に行く気分にもならず冷蔵庫を探すと玄米粉がある。薄力粉が欲しかったのだが強力粉しかなく玄米粉と強力粉を合わせれば薄力粉もどきになるだろうと勝手判断でキッチン作業を開始した。発酵時間を要するスイーツでは時間の浪費なので発酵時間が不要なビスコッテイとしたのだった。冷蔵庫の中には賞味期限切れの小豆があるし棚には個包装の抹茶が有ったので合わせる事にした。

 まずはもどき粉120gをベースにいつも通りの気分調合である。抹茶は3包入れたんだが混ぜ合わせる段階から抹茶の香りが来る。抹茶を入れたのでシナモンは無し。後はレシピに添って二度焼いて出来上がりだ。砂糖を控えめにしたので甘さは感じられなかったものの抹茶の風味はさすがに活きる。粉の分量120g程度では切り分けて8本、これでは4~5日分のお茶菓子である。まあ、それでも空っ茶よりなんぼか良いのだ。出来上がりは試食を兼ね1本を立ち食い。何とか落ち着いて孤爺は粉まみれから抹茶グルメに、そして編みぐるみをやったのだった。


産卵母貝用砂槽

2024-03-09 | 今日は真面目に

 飼育しているタナゴを出来るだけ自然繁殖に近づけて繁殖させたいと脳軟化症のネットワークを繋ぎ繋ぎ解に辿りつきたいと孤軍奮闘しているのだが貝にはお近づきになれても解には難しい。池内の繁殖なので魚溜まりの砂層に母貝を放していたのだが避暑の為に連れ出す時、どうしても見失ってしまう事があって、気が付いた時には口を開いて成仏した姿で砂底に現れる。貴重な産卵母貝を失いたくは無いので方法を考慮した末にたどり着いたのが砂槽で生活させると言う形態だ。魚溜まりよりは小さいから窮屈と言われればそうだろうが密度が高くなるほどの狭さでも無いし砂中の餌を摂る食生活でも無いので「取り上げる時に取り残しのない」方式としたのだ。

 槽の中には川砂が主体の現在、魚溜まりにある砂を入れても良いのだが取り上げる時が重い。出来るだけ重量を減らすために軽石砂を使ってみる事にしたのだ。軽石自体は水に浮くくらいだからそれでは役に立たない。そこで師走の頃から仔魚の浮揚用水槽として使っていた水を張った植木鉢の中で浸水させておいた。これでアクを摂りつつ沈下出来るだけの微生物を取り込ませようとしたのである。二カ月も晒したので十分と考えて用意した砂層に移した。砂槽は播種用の篭を転用して底の網目には洗濯ネットを敷き砂粒の脱落を防止する。不織布がどこかにあったはずなのだが見当たらないのでピンチヒッターである。

 砂を敷き詰めて直ぐに池に沈める。このまま連休の頃まで置けば池の水質に馴染むだろう。桜の開花する頃合いで避暑兼越冬の池から母貝を引き上げて移す算段でだ。


河床安定化作業 三日目(上流部段差工の設え)

2024-03-08 | 今日は真面目に

 この日の内容は伐採・曳き出し・据え付けである。まあ、考えるまでも無く高年齢低年金の孤老のやるべき行いでは無いと断言できるがだからと言って裏金やら隠し金やら言い訳三昧のように「ドンに習え」して誰も彼もが出来る事では無いのだ。若き日のみぎり歌声喫茶で歌われていた歌謡を替え歌にしてみればけだしその通りなのであるが小生の頭頂には毛は出なかった。

          里山保全は孤老の願い 作業はとっても厳しいが 

          今の里山より美しく 豊かな環境造るため云々

 おだを上げるのはこれくらいで本題に戻ると作業現場は沢が急カーブしてる場所で過去の集中豪雨で突破され流路が直流となったのが苦労の始まりなのである。その安定化作業も終了に向かいつつあった昨季2023/10月の豪雨で更に上流部の山腹崩壊を起し、崩れた立ち木がダムとなってそこに砂礫が堆積した。その高さは2mにも達して、ここを発生源とする砂礫の流下が絶えず取水部に被害を及ぼしてくるのだ。それを何とか減少させたくて九郎判官義経、いいえ苦労呻吟只中なのである。

 伐採二本 ➡  据え付け場所まで曳いた

 今回の苦労ハイライトは丸太の曳きだしにある。沢幅いっぱいに2本を据えたかったので長さは1本660cmにもなった。これに加えカーブで水流の直撃浸食を受ける場所に太目の護岸木を据えた。流路の平滑化や杭打ちは後日になるけれど、とてもとても曳馬を行い杭打ち作業まで続けて出来る身体ではない。そもそも1月は酷い腰痛で全休したのだ。今日の作業の残し、段差工用の1本は翌日回しだ。ホント、河原が三途の河原に思える作業だったわい。

     


今日の素労風努「発酵惣菜・発酵切干で作ってみた」

2024-03-07 | 何よりの楽しみ

 発酵惣菜バージョン3である。前回はバルメザンチーズを加えて濃厚さは向上したものの小生的にはチーズが入った事で「旨い・美味しい、甘露」とは縁遠くなった感がした。ここは王道に立ち返り「初心忘れるべからず」としなければならない。

 そこで今回はキムチと豆乳ヨーグルトから作ったチーズを混ぜ合わせるところまでは同じなのだが発酵キャベツ漬けは加えない事にした。まだまだブラッシュアップ途上なので合わせる素材のバリエーションを確かめる必要もあるのだ。今回のミソは豆乳ヨーグルトを水切りして出たホエーを切り干し大根の戻しに利用し更にヨーグルトメーカーで発酵させてみた事である。

 豆乳ヨーグルトの菌株は木曽地方で赤かぶ菜を乳酸発酵させた「すんき」から採種したTUA4498L株だと言う事を知って「それなら切干大根の発酵には相性が良いはず」が着想だったのだ。切干しに加えたホエーに2%の食塩を投じ、旨味とミネラルを引き出すために塩昆布も入れた。これをヨーグルトメーカーで37℃7時間発酵させたうえでキムチとヨーグルトチーズの混合物に混ぜ合わした。

 合わせた材料は全て発酵済なのでサラダ感覚で口に詰め込めるし熟成期間を置かなくてもやはり「美味しい・旨い・美味」なのであった、これを温かいご飯に大匙2~3杯もてんこ盛りしてアフアフと食すれば副食は不要なのだがそれはそれ、副食にお魚か魚肉ソーセージ、味噌汁と付け合わせれば我が「薄幸食」は直ちにできる。今まで作っては食べ、作っては食べてきたのだが、この調理には火力は必要ない。保存性のある食材を混ぜるだけで即、美味しいのが口に入るのがミソなのだ。そんな事から被災地の乏しい食事にも一石を健康的に投じられる小生発の緊急食でもある!。

 今回の総量も期せずしてキムチ1kgの空容器に丁度収まってくれた。最初の頃は1Kg入りのキムチを調達していたのだが量が多くて食べ続ける期間が長くなる。そこで通常、店頭にあるサイズに変更したのだがそれが合わせると納まりが良い。さあ、しばらくはチーズ味は忘れてアフアフと食べようぞ。とは言え世間様からは「気持ち悪ぅー」で敬遠される一品である事くらい百も承知だし目隠しさせて食べさせれば旨さが判るエッ!品でもあるのだ。