連日の如く隣り沢の作業地に通う日々が続く。時折だけ取水地の整備に訪れるのならバックで林道終点まで入るのも致し方ないと思いそう行ってきたのだが、何せ片側は崖で車輪を外せば転落しかねない。以前には一回だけではあるものの後輪を外しそうになって冷汗をかいた事がある。バックする時は後部ゲートを跳ね上げ林道の状態をより視認し易くしながら行うのだけれで山側は排水溝の残骸のように窪みが続いているし、右左の両方に注意を払ってのバックは負担になってきた。
そこで連日通わなければならない状況なので安全第一を考えて前進進入したけれど、今度は帰路をバックで走行しなければならない。そこで林道終点部の山側の崩れた部分を少し均して方向転換できる面積を生み出したのだが、元より十分な広さがある訳も無し。何度かの切り返しを行いながら方向転換しなければならない時に沢の肩近くまで車を寄せなければならず、これも冷や冷やだったのだ。現在の車のようにバックモニターなど無いクラシックカーであるから、そこは視認して行う事になるけれどやはり見え難いのは変らない。そこで朽木ではあるけれど車輪が乗っても潰れない強度がある材が近くにあったからそれをL字に置いてみた。玉石で多少はカバーしたので乗り上げてしまう速度で無ければ少しだけ安心感が備わった。やはり安全もそうだけれど手抜きはいけない。
論語に「朽木不可彫也 糞土乃牆 不可杇也」とあるけれど朽木や糞土であっても使い道を選べば十分に役に立つ。一方、顔淵第十二18には盗賊撲滅の秘訣を問われて「国家の盗賊は君だ」と言った行があるけれど、今まさにネコババとン十人の党賊の岩窟は薬も効かない厚顔確信犯のような微笑念に満ちているわい。我が若き日のみぎり「人知れず微笑まん」と言う本が出たが、その微笑の意味は天と地、いいえ、天と野壺ほども差がある。