the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESの味は思わず笑みが出るようなもの
ではない。
それとは無関係に・・・。

つい最近病院でいろいろな検査によって
「まあ問題なし」という無罪放免のお墨付きをもらったので
余勢を駆って「他の部位も検査しよう!」と決め
別の病院へ行った。まああまり余勢を駆るような物事では
ないのだが。

「3診前の待合でどうぞ」と案内された。
私の直前に入った人が出てきた。もうそろそろ
呼ばれるぞ、と思ったのだがそこからなかなか名前を
呼ばれない。
そのうちに3診の中から少し刺々しい会話が聞こえてきた。

女性「それでも●●は△△なんですから・・・」
男性「いやだからそういう類の話は悉く私に知らされて
ないんだからさあ!」

病院スタッフと、どうやら医師の会話らしい。
あら、診てもらう直前にどうも雲行きが怪しいのか・・・

スルスルっとドアが開いて、先生が顔をだした。
「SGCさん、どうぞどうぞ!」
と満面の笑み。

え、いま結構悪そうな雰囲気で話してたのに、笑み!

どうやら優れた切替スイッチを持った医師らしい。
その後の会話でも特に機嫌が悪いような様子は一切見せず
終始にこやかにやり取りは行われた。

大学病院への紹介状を書いてくれたのはこの医師で
その結果を報告しつつ、次の検査のスケジュール調整を
してもらった。
まあどんな職場でも、いや職場でなくても
いろいろあるわな。



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GITANESを嗜好し始める、ずっと前。
それとは無関係に・・・。

ずっとずっと前のこと、高校生の頃。
何かの集まりがあって、私はまだ1年生だった
のだが、3年生の先輩に
「おい、何かやれ!」と命じられた。
1年生から3年生まで、男子も女子も同数ぐらい。
30人ぐらいいただろうか。

誰かが持ち込んだギターがあったのでそれを持ち
ガチャガチャと弾き始めたのがこの曲。
それは別にどうということもないのだが
驚くべきことに同席していたほとんどの人が
ほぼ完ぺきに、その他の人もサビは完璧に
歌うことができた。
ギター弾き始めた1年生の私が引くぐらい
ほぼ全員が歌えるなんて想像していなかった。



左がオリジナル。
右は清志郎亡き後、CHABOが歌ってるやつ。
最近の出勤時にはいつもこれを聴く。


ちなみに、この集まりには
「第2425話・飴は放物線を描いた」に
登場する先輩女子も参加していて、誰よりも
ノリノリで絶唱していた。

CHABO(仲井戸麗市)は現在73歳という。
いつまでもこんな感じで歌っていてくれれば、
と思う。


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GITANESが似合う曲なんだ。
それとは無関係に・・・。

こういうことはよくあるのだが。

昨日久しぶりの久しぶりに
渡辺香津美・リチャードストルツマンの
「BLUE MONK」を聴きたくなり、繰り返し
3度ほど聴いた。

で、さっきネットニュースで渡辺香津美氏が
自宅で倒れたと知った。脳幹出血かも
とのことで、すべての音楽活動を休止する
らしい。

この曲は最後の笑い声までイイ感じなのだ。
そんな感じのように、回復されますようにと思う。

BLUE MONKと言えば、昔テレビでArt Farmer
の演奏が放映され、それをビデオに撮って
ビデオテープがどんどん劣化するまで観た記憶がある。
多分「真夜中テレビ」という番組(録画されることが
前提という画期的な番組だったと思う)で
Jazz at the Smithsonianシリーズだった。

Art Farmerだけではなくて、Joe Williams,
Benny Carter ,
Alberta Hunter,
Art Blakey and JazzMessengers,
Winton Marsalisなどが日替わりで放映されていた。
Art Farmerのフリューゲルホルンや日野皓正に
感化されて、まったく心得もないのにコルネット
を買った。結局吹けるようにはならなかったが
これらのビデオを毎日毎日観ていた結果
細部まで「口」でコピー・再現できた。
何の自慢にもならないけど。

で、渡辺香津美と言えば「夢の乱入者」である。
90年から97年にかけて、これも深夜にやっていた
音楽番組で、この番組でDavid T Walkerを知り
ギターで一所懸命コピーしていた。

昔の番組だから、既に亡くなった人も大勢出演
していた。原田芳雄もそうだし、桑名正博、
もんたよしのりも歌っていた。

ちなみに、Jazz at the Smithsonian も夢の乱入者も
今ではyoutubeで一部を観ることができるのだから
幸せな時代になったもんだ と思う。

とにかく、回復を祈っております。




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GITANES嗜好の真っ最中だった。
それとは無関係に・・・。

某現場で看板屋さんの社長と打ち合わせ。
社長は76歳。
少し前から階段の登り降りなどがやけに
キツくなり、
「歳やなあ・・・」
と思っていたらしい。
夜中にトイレに立った時も、どうも息苦しく
「歳やなあ・・・」
と思っていたらしい。
そうすると朝まで胸がドキドキし続けて
「歳やなあ・・・」
と思っていたらしい。

その様子が気になっていた奥様がネットでエリアの
お医者さんをいろいろ検索し、病院へ連れて行ったところ
「あかん、あんた死ぬで。このままでは来年生存率
一桁やで。すぐ紹介状書いて電話もしておくから
●●病院へ急いで!」
と言われた。
おとなしく指示に従って、指定された大きい病院へ
行き検査を受けたところ、
「心臓と繋がるでっかい血管(社長の表現です)が
切れかかってます。すぐ手術です」
と言われた。

左手首からカテーテルを入れて、その後ごちゃごちゃ
してもらって(これも社長の表現のままです)、
「たった4日入院して、もう普通ですわ」
とのこと。
その後はいくら階段を上っても降りてもまったく
支障なく、息も上がらないらしい。

「命拾いしたわー。はじめ『医者に行こう』と
言われたときは『連休明けでエエやんか』と思ったけど
なんとなく言われた通りしておいてよかったわー。」
と暢気に仰る。

「SGCさんと一緒に仕事するようになって、
何年になりましたっけ?」
「社長、もう30年ですよ」
「えっ?30年!」

その頃私はまだ20代で、社長も当然若く
今の私よりもずっと年下だった。
体型はまったく変わらない社長だが、体内では
そりゃあいろいろあったのだろう。

これからも長生きしてもらいたいし、
それだけではなくて、仕事は現役のままで
あってほしい。私のわがままな願望だとはわかって
いるが、そう思ってしまう人物である。





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GITANESは休止しているだけです。
それとは無関係に・・・。

2022年だったからもう2年も経ったのか。
ロシアがウクライナへ侵攻開始した日だ。
意外、というと何かしら批判されるのだろうが
はっきり言って「すぐにウクライナのほとんどが
占領されてしまうだろう」と思っていた。
善戦という言葉も適切ではないだろうが
持ちこたえていると言える。
戦争開始のあの頃の話は
小泉悠/ウクライナ戦争(ちくま新書)などが
参考になるので、そちらを読んでいただくとして
今後どのように進んでいくのか誰もが気になる
ことだ。


自分の家ではまんじゅうを買いに行く日でもある。
24日は亡くなったオヤジの誕生日だからだ。
一滴も酒を飲まなかったオヤジは、まんじゅうが
好きだった。そしてコーヒーも好きだった。
昭和10年生まれだったから子供のころは
戦時中だった。
幸い田舎生まれの田舎育ちだから空襲に巻き込まれ
たことはなかったらしいが、戦争のせいで転居は
余儀なくされたという。
自由にまんじゅうなど食べていられない時代だっただろう。

遺影の前にまんじゅうの山を築いてやろうと
思っている。



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GITANESなどもちろんない時代のことであるが。
それとは無関係に・・・。

万葉集に(巻16.3858)
このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
(比来之吾恋力記集功尓申者五位乃冠)

というのがある。
これを眺めるたびに口元はにやけてしまい、
「これ詠んだ奴、いいやつなんだろうなあ」と想像する。

意味は
最近の自分の恋愛に関する努力なんて、それ全部
記録して業績申請したら、五位に昇進できるほどじゃねえの。

というような意味である。

時代背景としては、このころの法律(考課令)に
「(役人は)一年間の功績、賞罰、能力を詳しく記録
したものを集めて申請し、それをもって考課される」
という制度があったということだ。
だから、
「こと恋愛のマメさや熱意でいうと、これ申請
できるもんなら五位の冠ぐらい貰えるんじゃないか」
ということになる。

万葉集に載っているということは1200年以上
も前のもの。その頃の男がぼやく内容は
現代とさほど変わらないというのが可笑しい。
そしてそもそもそれが残されていること自体が
すごいことだ。
何でも残さないとあかんもんやなあ。







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GITANESもなかなかのクオリティだったけど。
それとは無関係に・・・。

おばさんの店員さんがおにぎりを運んできた。

店員さん「はいお待たせしました。こんぶのおにぎり
と梅のおにぎりです」
我々「はいありがとう」
おばさん「こちらがこんぶです。こっちですよ。
で、こっちが梅干し入り」
我々「はいはい」

店員さんが立ち去ってから
A「SGCさんどっちがいいですか?」
私「こんぶ欲しいな。」
B「じゃあこっちですね」
私「いやいや、こういう場合はその逆をいって
こっちがこんぶだな」
A「なんでやねん!素直じゃないですね」
私「うるさい。こんぶはこっち」

店員さんが自信を持って「梅干し入り」と宣言した
方を割ってみた。
こんぶだった。
私「ほら!」
皆「うわあ!こんなことある?!」

しばらくして、

A「おにぎりたべたいですよね」
B「もういちどおにぎり注文しましょうよ」
今度はこんぶと鮭を注文した。

さっきの店員さん「はいお待たせ。おにぎりです。
こっちがこんぶね。そんでこっちが鮭ね。」
我々「はいはい、ありがとう」

A「ボクはこんぶ欲しいので、おばさんが言うには
こっちだけど・・・」
B「この流れでいうと、やっぱりこっちの『鮭』
の方が『こんぶ』だよな」
A「じゃあ逆張りで、『鮭』の方を割ってみよう。
どれどれ・・・」

中身は梅干しだった。

文句も言わずみな食べきった。




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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

フレンズ、いやfriendsか、
もっと正確にはF・R・I・E・N・D・S
で、それも各々のドットは色が違っているのが
正式か。

書斎の一番下の棚にはアメリカのコメディドラマ
フレンズのDVD全巻が揃っているのを長い間
忘れていた。

テレビの深夜枠で放映されていたそれをたまたま
観てしまい、すぐにハマッた状態になった。
そのうち、身の周りにもそのドラマがお気に入り
だという人もいることがわかった。
O編集長(当時)や珠姫がそうだった。
当時はまだまだバリバリにGITANESを吸っていた頃
だった。

もう久しくDVDの存在も忘れてしまっていたが
思い出すきっかけは往々にして、悪いニュースで
あるようだ。
チャンドラー役のマシュー・ペリーが亡くなった。
54歳。若い。
永遠に続編制作の機会は失われた。

とにかく、DVDがあるのだからチャンドラーは永遠に
死なない と考えるべきか。











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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

父と母の分骨分の納骨がようやく終わったと
先日書いた。

母が亡くなってからの一年数か月は
母が寝起きしていた部屋に小さい経机を据えて、
そこに3つの遺骨を並べていた。
センターが父、向かって右が母、そして
左はケンタロー(柴犬)の骨だった。
ケンタローはこのブログでも登場回数が
多いのでご存知の方もいるかも知れない。

父と母の骨がその場からなくなった後は
ケンタローの大きい(すべての骨を納めたから)
骨壺だけが取り残されていた。もちろん高野山へ
納骨する訳にはいかなかったし、そもそもケンタロー
が仏教の信者だと打ち明けられたこともなかった。

ケンタローはとにかく家の中に入るのを嫌がった。
大雨でも雷でも、面倒くさそうな顔をするだけで
「おい、今日は家の中で寝るか?」とこちらが
気を利かせて屋内に引っ張り入れようとしても
断固として拒否した。足をグンッ!とつっぱり
動こうとしなかった。
矛盾しているが独立心のある飼い犬だったのかも
知れない。

ケンタローが寝起きしていた犬小屋は家の北角に
あった。だからと言って一年中日当たりの悪い
ところで過ごしていた訳ではなく、フェンスで
仕切られた場所内で自由に動き回っていた。
季節とともに、時間とともに過ごす場所を変え
いちばん快適なところを陣取っていた。もちろん
フェンスの中ではリードなど付けずに
冬は日向を追いかけ、夏は日陰を探して
散歩の時間までの暇つぶしをしていたのだろう。

犬小屋の前にはシマトネリコを植えていた。
小さい苗から育てていたが、現在ではもう4メートル
ほどの高さにまで伸びた。
ケンタローはこの根元が気に入っていたようだった。

そこにシャベルで穴を掘った。
ハンカチを敷いてそこにケンタローの骨をすべて
移した。
ハンカチの端でまた蓋をし、土をかけた。
砕石と白い石があったのでそれらを使って
前方後円墳にした。
不本意だろうが許せ、ケンタロー。




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GITANESに木片みたいなものが混入していたことがあったなあ。
それとは無関係に・・・。

熱心にDMを送ってくる業者がいる。
白アリ駆除業者だ。
家を建てたときに白アリ対策を施して
その保証期間が過ぎたから
「過ぎてますよ」という、再施工を促す内容の
DMだ。
創業は昭和初期というから老舗だ。

保証期間が過ぎたことはDMによりしばらく前
から気づいていたのだが、つい連絡が億劫で放置していた。


そしてまたDMが届いた。
ようやく連絡する気になったので、DMにあった番号まで
電話した。
「ありがとうございます。それでは担当から連絡
するよう手配いたします」と電話の向こうの女性は言った。

それが7月中旬。まだ電話がない。

昨日もう一度電話した。
先日と同じ女性だった。
「こういう事情で連絡をお待ちしていたが
なかなか連絡をいただけないが、お忙しいのね」
「いやいや、申し訳ありません!
本日中に担当から連絡させますので!」
「それならまあお電話をお待ちしていますね」
「申し訳ございませんでした!」

というやり取りがあって、
そして電話がない。

ちなみに私の家では白アリの被害はまだ確認できないし
白アリをみかけた ということでもない。
とても面倒な状況ではある。




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GITANESなどもちろん知らなかった。
それとは無関係に・・・。

小学校に入る頃だったと思うが、
親に「世界妖怪図鑑」という本を買ってもらった。
子供向けだったと思うが、これがなかなか気持ち悪くて
「なんでこんなの買ってもらったんだろう」と
後悔するほど怖かったのを覚えている。

収録されている妖怪(それらが妖怪かどうかは
意見が分かれると思うが)の中でも、私が特に
恐かったのが『さかさ男』だった。
アフリカのジャングルにいるというこの妖怪に
遭遇すると、いくつかの質問をされるらしい。
質問自体はそれほどややこしいものではないが
それらすべてに「逆さま」に答えなければならない。
例えば、「お前は男か?」と問われると、男性なら
「いいえ。」という風に。
もし「逆さま」に答えることに失敗したら
腕と脚をさかさまにされてしまうという。
肩から脚が出て、下半身が腕になっている状態だ。
このイラストが抜群に怖かった。
裸に腰布だけ巻いた男の、腕と脚が入れ替わっていて
なんとも形容しがたい表情をしているのだ。
※検索したら容易に出てくるので各自見てください。

あまりにも怖いもんだから、自分では手の届かない
高所に保管してもらうよう親に頼み、しばらくは
見ることがなかった。

恐いながらも気になる・という恐怖あるある状態だった。
そしてまた、怖いながらも疑問があった。


あのイラストはさかさ男本人なのか。ひょっとして
さかさ男被害者なのではないか。

もしアフリカのジャングルで腕脚がさかさになっている
男と遭遇したら、質疑応答する前に逃げないのだろうか。

日本語でも質問するのだろうか。

どうして裸なのか。

数年後、自分で脚立を持ってきて自分で自由に
登れるようになったころには本に対する恐怖も薄れ
自分の意思で本を取り出し、普通に読めるようになった。
とくにさかさ男には「おお!久しぶりやなあ!」
と、久しぶりに会う親戚の男のような感じもあった。
それでもまあ気持ち悪くはあったので、とにかく
おとなになってもアフリカのジャングルにだけは
行かないように決心した。

さて、4つの疑問だが、2と3についてはそもそも
「アフリカのジャングルに行かなければよい」
という解決策に自分でたどり着いたので、どうでも
よくなった。これは映画「ジョーズ」のサメと同じだ。
海へ行かなければサメに食われることもない。
1については、
「あの恐怖に満ちたような顔は、被害者側だ。
だから本当のさかさ男の姿はここには示されていない」
と結論づけた。

4の疑問が氷解したのはつい先日だった。
「どうして男は裸なのか」である。
答えは
「さかさ男が服を着ている絵を描くと、
どうやってもコミカルにしかならない」からではないか。
先日クルマで信号待ちをしているときに
そう思い至ったのである。
長年の疑問が解けた瞬間だった。

いやしかし、そんな疑問を数十年も抱えさせたという点
で、世界妖怪図鑑は偉大な書物なのではなかろうか。


のちに、「日本妖怪図鑑」という本も買ってもらった。
恐くもなんともなかった。








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GITANESを休止していることを知らない知り合い
がいた。
それとは無関係に・・・。

決まった休みの曜日が火曜日だから、私の一週間
は水曜日から火曜日という区切り方でもある。
そういう単位で考えるとこの一週間は人と会うことが
かなり多い週だった。
もっとも、営業職の人ならその数倍数十倍の数の
人と会うことが仕事だという方も多いだろうから
それと比べると大したことないのだが、それでも
私としては多かった。
今日は混み入った話があったため、スタバで長時間
話す。
やっぱりパソコンを開いて何やらやっている人が多い。
探せばこのネタはいくらでも出てくるだろうけど、
一体スタバでパソコンを使っている人は何を
やっているのだろうか。
すんごく仕事をやっているようにも見えるし、
そうでもなさそうにも思えるし、まあ勝手だけど。

紙製のストローを添えられた。
紙製のストローがプラスチックのそれよりも
環境的に優れているようには思うのだが、私が
そう感じる根拠は何なのだろう。本当にそうなのか。
まあ、店の勝手だけど。

そう言えば某チェーン店でもプラスチック製のストロー
などを廃止して何トンもそれらのごみを低減したという。
しかし他方で、傷んでもいないような店舗の改装を
どんどん推し進める。
これら、イメージを変えるためだけの改装(により発生
する廃棄物)はストロー何本分にあたるのだろうか。
まあ、それもそれぞれの会社の勝手なんだけど。


ということで、書いているうちに
内容はどんどんタイトルとかけ離れていった。
まあ、私の勝手ですけど。



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GITANES。おふらんすのおたばこ。
それとは無関係に・・・。

かなり若いのとミーティング。
どれぐらい若いかというと、年齢が半分
程度の。
難しい話から希望の持てる話まで多岐にわたるが
その中で彼が
「そのスーパーは地域の人がもっぱらお野菜を
買うときに利用するようですよ」
と言ったもんだから、猛烈に気になり始めた。
「君はさあ、野菜を『お野菜』って言うの?」
「え?普通ですけど・・・。」
「いやいや俺は君の倍ほどの時間を生きてきて
今まで一度も野菜に『お』をつけたことがないんだけど、
あれか、実はすっごくいい育ち?王室?
いずれにしても、ご両親がすっごくちゃんとしている人
だってことだけはわかったが。」
「いやあ、おばあちゃんっ子ではありましたが」
「『ふとん』は?」
「おふとんでしょ」

もうその後は何の話をしていても彼の丁寧さ
ばかり印象に残るし、それまでに話していたことは
きれいさっぱり忘れてしまうわで、もうそれはそれは
大層びっくり致した次第でございます。


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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

昔、1987年だったらしいからやはり昔だ。
鶴瓶上岡パペポTVというテレビ番組があった
(スタートあたりではそんな名前ではなかったが)。
20歳の頃、まだ学生の頃だ。
一度形を変えたものの、2000年まで一貫して
深夜放送されていた。

私はそれを録画もしたがなるべく放送時間中に観ようと
しばしば気絶しそうになりながら観ていた。
夜の野球中継が延びたりしたらそのあおりで
2時や3時になることもある番組だった。そういう
時代だった。

ほぼすべて観たのではないかと思う。
とにかく中毒性のある番組だった。
どこがどのようによかったとか悪かったとか
そういうのはこれからしばらく色々なところで
書かれたり話されたりするだろうし、面倒だから
省略する。
しかし、私のスマホには、数百本分のパペポの
(音声)データが入っている。
番組が終了して23年経った今でもそれらを聴いている。
コンビニまで歩くときや洗車するとき、クルマでの移動中、
何かの待ち時間には必ず聴く。
35年もあるとどんな人間にもいろいろなことが起こる。
当然気分的になかなか上昇しないこともあるだろう。
パペポTVのビデオを観たり、その後にスマホで音声
データを聴いたりすることは、いわゆる「調子が悪い」
時期にかなり助けになった。

たった二人きりが出てきてずっと喋っているという
その番組の一人、上岡龍太郎氏が先月亡くなっていたという
報道があった。
2000年できっぱり「芸能界をやめる」と宣言し
実行し、その後ほとんどメディアには出てこなかった。
いつかは一度ぐらい見かけるかな という思いも
あったが実現しなかった。

上岡龍太郎氏には伝説がいろいろあるが、
「握手を求めても拒否される。サインを求めても
断られる」というのもあった。
もし偶然どこかで氏と居合わせた場合、どのような
接触をすればいいのかというシミュレーションを
若いころ考えたことがあったが、いつも結論は
出なかった。
こういうことを考えたのは龍太郎氏、鶴瓶氏と
(理由があって)トニーベネットに対してだけである。


そんなに頻繁に観たり聴いたりするなんて
お前は龍太郎氏のファンだったのかと問われると
まったくそんなことはない というのが矛盾して
いるところではある。
そして現在の「喪失感」が凄まじく大きい
というのが、さらに矛盾しているという自覚がある。

ああ、面白くない出来事だ。



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GITANESをまだ吸っていなかった頃の話。
それとは無関係に・・・。

年上の同年入社が他の店舗にいた。Hという男だ。
少しでも先に入社していれば先輩扱いするという
風潮が、その頃会社にはあった。
私と同じ店に勤める同年入社の先輩Y(6歳上)に
Hを紹介された。
「こちらH君。私より少し先輩でエリートだよ」
とのことだった。
仕事が終わってからJR駅前の喫茶店で合流した。
別に紹介してくれと頼んだ訳ではないのだが、Yさん
と仕事終わりに「お茶でも行こうか」ということに
なって、その場にHを呼んだ形だったと思う。
エリートだか何だか知らないが(会社にエリートが
いるなんて思いもしなかったので)、
「ああ、どうも!Hといいます!」と短く自己紹介
されたあとはなかなか尊大な奴だった。
そして話の内容も浅い。こんな浅い男がいるのか
というほど浅い男だった。
翌日、Yさんに
「Hさんって、何がどのようにエリート社員なんですか?」
と尋ねたところ、
「ああ、本人がそう言ってるんだからそれでいいかな、と。」
なるほど、自称だった。


新人たちの重要かつ季節の行事として、街頭での早朝ビラ配り
という仕事があった。二人一組になって街の主要な場所
に立ち、開店前までに渡されたビラを通行人に渡すこと。
私はエリートHとペアとされていた。
前日エリートHから電話があり、
「明日ビラ配りだからな」
私「はい、そうですね。」
「ビラは本部にあるから忘れずに持って来いよ」
私「はい、わかりました」
「よし、遅れるなよ」
私「はい」

翌日、現場近く。
約束の8時より少し前に到着していたが、Hはまだ
来ていなかった。
8時になったがHは来ない。仕方ない、ビラ配りを
始めないとビラが余ってしまう。
1人で結構な数の通行人に配る。カンタンな説明も
伴うからなかなかビラは減らない。そしてHはまだ来ない。

というより、Hはとうとう来なかった。
ビラが大量に余った。二人分を一人で配るのだから
余るのは当たり前だ。
店の朝礼までには店に到着しないといけなかった。

店に戻り、あまったビラを責任者に渡す。
けっこうな勢いで追及された。
「どうしてこんなに余るんだ?さぼってたのか?」
「いや、Hさんが」
「Hがどうした?」
「来なかったんです。止むを得ず一人でやったので
結構余ってしまいました」
携帯電話などない時代だったので、何がどうなったのか
まったくわからなかった。
「Hさんから本部や本店に連絡入ってませんか?」
「いや、何もないなあ。トラブルかなあ」
「ねえ」
「お前、ちょっとK店へ電話して事情訊いてくれ」
「わかりました」


「お疲れ様です。本店のSGCと申します。Hさんは
出社されてますか?」
「ちょっと待ってね」

「はい、H。」
「あ、おはようございます。SGCですけど、今朝は
どうされました?」
「ああ、わりぃわりぃ。寝坊した」
「え?」
「・・・」
「・・・」
「お前ひとりでやったんか。わりぃわりぃ」

「まあ寝てたんならどうしようもないですね」
「そやろ?」
「じゃあとりあえず、今日からボクに『オマエ』
って言うの、やめてもらいますね」
「・・・」
「聞こえました?」
「・・・はい・・・」

数年後、彼は会社をクビになった。
いろいろなことの合わせ技でそうなったらしい。
そして、会社のすぐ近くに競合他店が進出してきた際、
そっちに入社した。
店長代理という肩書らしい。
そして半年後、その会社もクビになったとのことだ。

実はHとは現在、生活圏がほぼ同じなので
たまにスーパーで見かけることがある。
しかし声をかけられることはまったくない。




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