the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 




GITANESはあまり紙が燃える音を立てない。
それとは無関係に・・・。



事務所の中で仕事中、突然ハマショーが歌い始めた。
たしか、もう1つの何曜日 とか何とかいう曲。
何が始まったのだ・・・。




モノゴコロついてから、何回か引越しを経験した。
全く新しい住環境になるのは当たり前だが、
「音」に関して、かなり重要な要素であるということに
気付いたのはつい最近である。

生まれ育った家は小さい借家で、子供だったから
あまり「音」に無頓着だった。何しろ小さい家に
家族5人が住んでいたので、少々の音を気にしていては
家庭そのものが成立しなかっただろう。

16歳の時、最初の引越し。
親が建てた家だ。各人に部屋が割り当てられて
家族間の「音」プライベートもかなり保たれるようになった。
しかしお隣がガラス屋さんで、朝早くから夜まで
ひどい時には1日中、ガラスを割る音が聞こえてきた。
製造に失敗したガラスなのか何なのかわからないが、
とにかく、年中ガラスを割る音が聞こえていた。
家の前は車の往来が激しい道路で、それらの音が聞こえていた。

25歳の時家を出て、その当時比較的仲の良かった女性
(つまり当時の妻)と賃貸住宅に住んだ。
新築の、それぞれが2階建てというなかなか恵まれた物件だったのにも
かかわらず、隣家の物音がよく聞こえてきた。
よく聞こえてきたといっても、すべての音が聞こえてきたのではなく
隣の夫婦の、夜の営みの声と音が激しく聞こえてきた。
壁が異様に薄かったのか、お隣さんが非常にエキサイティングな人だった
のかはわからないが、反対側のお隣のお宅の声は全く聞こえなかったので
おそらく後者だろう。

2年後、そこから車で数分の場所にある社宅へ引越し。
別にエキサイティングな隣人から逃れるためだけではない。
この社宅は築年数が自分の年齢を超えており、かなり古く、
窓のサッシは鉄製で隙間風もひどく、壁のモルタルも傷み、
水道管も錆びていたのか、油断すると蛇口から茶色い水が
出てくるような環境だったが、音に関してはまったく静か。
隣人も当然同じ会社の人間だったが、声が聞こえてきたことは
一度もなかった。

30歳の時。
ここらでお互いに独立して、それぞれ頑張ってまいりましょう と
離婚したのをきっかけに、ワンルームマンションへ引越し。
家賃も安いワンルームマンション(頑張っている人にエールを
送ってくれるワンルーム)で、両隣の部屋の音も階下の音も
聞こえてきた。一人暮しだったからそれほど気にはならなかった。

2年ほど経って、実家(親が住んでいる家)へ戻る。
家賃がもったいないと気付いたからだ。
相変わらずガラスを割る音は聞こえてきた。


数年後、またマンションに引越し。
今度はエールを送ってくれる物件ではなく、しっかりした造りの
マンションだった。
真上の部屋のFというバカ以外はまったく静かだった。
幸いFというバカはしばらく後に引っ越していき、その後に入居してきた
夫婦は物静かな暮らし振りだったので、快適だった。

マンションを処分して、田舎の中の田舎へ引越し。
これが現在の住まいである。
とくにこれといった音は聞こえてこない。田んぼの真ん中だからだ。
夜の犬の散歩にでかけると、今なら秋の虫の音がやかましい。
近くの竹やぶが、風の強い日にはザワザワする。
耳にやさしい環境である。




突然のハマショウの歌の正体は、「西日本で一番音に鈍感な男」・
Iが持つケータイの着ウタだった。マナーモードにもしない。
仕事中であるにもかかわらず である。
この男のケータイにかかってくる電話は、大体98%が
プライベートな用件である。
私が仕事する事務所にはもう一人、「西日本で一番音に鈍感な男」の
座を、I氏と激しく争う人物がおり、彼もケータイをマナーモードに
する習慣がなく、そして着信は100%プライベートな用件である。
(I氏はドアの開閉、抽斗などの開閉の音、荷物を置く音などが
すべて雑、風邪を引いてもマスクを付けるということを思いつかない。
もう一人の方は地声がとてつもなく大きく、色々な開閉の音が大きく、
ため息が大きく、何もかもうるさい。)



物音がしない環境で仕事をしたい なんてことはただのわがまま
でしかないし、騒音がイヤならば無人島か山奥へ行って一人で
暮らせ というのが私の持論でもある。

しかし、この「西日本一」争いのツートップが同じ事務所にいる
という環境は、私にとっては劣悪なのだ。



写真は散歩コースの神社の灯篭に火が燈った写真。

静かな場所で散歩をするときは、彼らのことを忘れることができる。


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