GITANES嗜好は10年ほど続いた。
それとは無関係に・・・。
幼いころの日記というのはもちろん
誰かに強制されるものであって、それは
学校だったり親だったりするのだが
そんなものが継続できたことはなかった。
強制されたからだろうと思う。
今日自分に起こったことを自分が書いて
何になるのか・と思っていたし
今でもそれほど変わりはないのだが。
ずっと時代を経て(半世紀近くも!)
今書いている日記はもう3年ほど続いている。
どうして続いているのかわからないが
多分「強制されたものではない」からかも
知れない。
でも、自分で一念発起、決心した「決めごと」も
続いたためしがなかったのに、珍しいことだ。
内容はいたって普通。
身の周りの出来事を淡々と書くだけで、
何を思ったかとか、そういう「心境」については
触れない。
あった人の羅列が多い。
また誰かについて批判めいたこともほぼ
書かない。たまに
「あんなアホは他にいないだろう」程度は
書くものの。
私が亡くなった後誰かがそれを読んだ時
この人の毎日はそれほど凪の状態が
続くだけだったのだろうか と思えるような
内容にしておきたいと思う。理由はない。
読み返すこともない。
予定や出来事は別の手帳を見た方が
分かりやすいからだ。
だから益々、日記には意味がない。
日記を書くことは、まったく楽しいことではない。
今となっては万年筆のメンテナンスのために
書いているような部分もある。
ご存知のように万年筆の最良のメンテナンスとは
書くことだからだ。
読み返すことがない理由は他にもある。
私の日記は縦書きなのだが、しばしば
何を書いているのかわからないところがある
からだ。
字が雑だ。
それは、子供の頃に強制された日記から逃れたい
と願っていたときとそれほど変わりがないのである。
| Trackback ( 0 )
|