the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESの記憶は冬のものばかりである。
それとは無関係に・・・。

まあほんとに暑い。
室内でも熱中症に気をつけなければならない
とよく言われるほど暑い。

昔は熱中症って言葉は聞いたことなかったが
おそらく医療関係周辺では普通の言葉だったの
かもしれない。
日射病に気をつけろ というフレーズは何度も
聞いたことがあった。

9歳の頃から中3まで野球をしていたが
その頃は水分補給は厳禁の時代だった。
自分が所属する少年野球チームと中学の部活
野球部は、その時代の趨勢に反して
「水分足りんかったら運動なんかできるかい!」
という考えだったので、足りないとは言え
水分補給は許されていた。
それでも暑いもんは暑い。
空にぽっかり浮かんだはぐれ雲を
こっちへ来い!こっちへ来い!と念じたものだ。
炎天下の練習中など、雨雲が見えたら
「こっちへ来い!大雨降らせ!ぬかるみになれ!」
と、チーム一同一心不乱に祈り続けたことも
あった。それほど効き目はなかったが
あの祈りをもっと続けていたら今頃は
全員が立派なシャーマンになれたような
気がする。

水分を摂ることには寛大な指導者たちだったが
練習中にも「声を出せ!」と言われるのは
他のどのチームとも同じだった。
理不尽だ。声を出すことで体力をどんどん
消耗しなさい ということだ。
結果体力も瞬発力も摩耗していくに違いない
のに「もっと声出せ!」と言われる。
中学時代のある時など、サードを守っていたAが
「声を出せ!」と言われ続け、
『暑ーーーーい!暑いんじゃーーーー!』と
叫び始めた。やけくそだ。
これに呼応した他の部員が一斉に
「暑ーーーーー!!暑いぞーーーコラーーーー!」
とヤケクソな唱和を始め、グラウンドは混沌と
してきた。
これなら出せる!と皆声を限りに
「あついんじゃーーーーーあ!」と声を揃え
そこにセミまで出力アップで鳴き続けた。
監督(
(先生)も
「暑いんじゃーーーー!」と言いながら
うっすら笑いながらノックを続けていた。

アホな声出しをしたものだから全員がバテて、
練習を中断した。
皆プールのフェンスを乗り越え、しかし
ながらユニフォームのままプールに飛び込む
ほどの無法者集団ではなかったので、
シャワーを全開にして水浴びした。

コンクリート製の部室の屋根は
うまい具合にジリジリ灼けていて
そこに濡れたままゴロンゴロン寝転ぶと
タオルで拭かなくてもすぐに乾いた。
バーベキューの食材ってこんな感じ
なんかなあ、てなことを言いながら
あちこちのコンクリートで
野球部員がゴロンゴロンと自分の
ユニフォームを乾かしていた。
今冷静に考えると、「脱げばいいのに」
と思うが、コンクリートでジリジリジリと
水分が飛んでいくのがなんとなく
面白かった。

「今日はバンメシは何やろか?」
「こんな感じで、鉄板で焼き肉やったら
ええのになあ!」
「お前この夏バテの季節に焼き肉って
元気やのう」
「え、お前、夏は肉食わんのか?!」
「食うけどなあ。食いたいなあ!」
「食うんかい!」
「俺は塾やなあ。さっき暑い暑いって
叫んで体力なくなったから、塾は無理や」
「お前、真冬にも『今日塾ムリや』って
言ってたやんか!」
「そやねん、とにかく塾おもろないねん」
「おもろい塾なんかあるかいな」
と、完全に日が落ちるまで不毛の
会話は盛り上がった。
監督(先生)はもう、とっくにスーパーカブ
で帰って行った。
そんなチームなのに、年間にある4回の
大会のうち2回は優勝したのだから
世の中というのは、皮肉なものである。
帰宅途中には川の堤防に座り、薄暗く
なるまでまた不毛な会話を続けた。

夏はとにかく暑くて、しかしまた次の日には
エネルギーは満タンに補充されていて
遊んだり微量の勉強をしたり、声を出さされたり
大笑いしたり怒ったりドキドキしたりしていた。
夏がただ暑いものではなくて、
ひたすら明るく、色々な不安や心配など
まだまだ遠くの方にあった。

父も母も、兄ももちろん元気だった。
そういえばその頃の父と母は、
今の私よりもずっと年下だった。
さてまだまだ今年の夏は続く。




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