明治22年頃の池之端茅町2-18の様子
鶯亭金升日記より
根岸入谷はまだ町の中の村里なり。然るに不忍は下谷の町中にて、一見しても根岸入谷より都なるを知れども、茅町辺りはこれに相違して、大晦日というのに人力車さえも余り通らず、折々通るのは働く人や肥えを運搬する車である。根岸より田舎にてことに前には池あり山ありと書いてある。
池之端茅町はいまの台東区池之端一丁目にあたる。明治22年頃の閑静な様子がわかる。
この地に色々な人物が集合してくるようになる。そして福神漬も其の中に一つとなる。
鶯亭金升日記より
根岸入谷はまだ町の中の村里なり。然るに不忍は下谷の町中にて、一見しても根岸入谷より都なるを知れども、茅町辺りはこれに相違して、大晦日というのに人力車さえも余り通らず、折々通るのは働く人や肥えを運搬する車である。根岸より田舎にてことに前には池あり山ありと書いてある。
池之端茅町はいまの台東区池之端一丁目にあたる。明治22年頃の閑静な様子がわかる。
この地に色々な人物が集合してくるようになる。そして福神漬も其の中に一つとなる。