年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

石井研堂の缶詰のはじまり番外2

2019年01月07日 | 福神漬

郡山の石井研堂のことを調べていると慶応4年1968堺事件と言うことを知った。この事件は鳥羽伏見の戦い後に起きた土佐藩とフランス軍との殺傷事件だった。この始末で西軍が攘夷という事を完全に放棄することになった。その堺事件の少し前に神戸事件があった。人は死んでいなかったが異国人に怪我を負わせ、外国人居留地に向けて備前藩士が発砲したようだ。この始末の過程で岩倉具視が主導し西軍が攘夷を公式に断念することとなった。このことが備前藩士に深い傷を負わせた。攘夷を信じて異国人が武士の行列の前を横切ったのは無作法として、傷つけたのが発砲事件となり、備前藩士が切腹したという。

 この事件の関係者が郡山市のはずれの磐梯熱海温泉のそばの、安子ヶ島と言うところに開拓民として移住したという。(NHK歴史への招待・列強 神戸を占拠す)郡山の安積開拓は北海道開拓と共に士族授産と言う意味で石井の心にどの様な影響があったのだろうか.

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