石井研堂の著書の中で中村正直伝というのがある。明治の初期に年少者の投書雑誌があった。明治10年穎才新誌という雑誌である。少年の投書を掲載する雑誌であった。この当時は少年という言葉が今と違って男子だけでなく年少の女子も含まれていた時代だった。雑誌の初期は3割ほどの女子が投書していたという研究もある。(立身出世の社会史・キンモス著)
明治15年郡山の金透小学校の代用教員だった石井の投書が穎才新誌に掲載されている。明治15年8月19日号(扇説 福島県下郡山 金透学 石井民司 年齢不詳=多分18歳)数竹片を綴りて、手の形にし、紙を貼り付け、これを揺らし涼風を生じる物が扇である。
大意は土の中のあるときの竹は地上に出てどの様な形になるか判らない。
明治の立身出世主義は福沢諭吉の(学問のすすめ)中村正直翻訳スマイルスの( 西国立志編)から大きな影響を受けた。