年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

30分で源氏物語 国立文文書館で

2024年04月01日 | 宅老のグチ
普通なら漬物の歴史とその関連の事を調べていて、源氏物語は高校の古文の時から無視していて、さらに平安時代と言うことで、時代背景が漬物の普及の時代と違うなと思っていた。
 最初にベッタラ漬で人工甘味料の変遷を知り、次に東京名産のタクワン漬を調べ始めると、一応タクワン和尚の発明となっているが品川東海寺では貯え漬と言っていて、根拠は薄い。また品川区の郷土歴史資料館(2024年4月21日再オ-プン)での学芸員はタクワン和尚命名説ではない。このことからタクワンの命名の出所を探ったが元禄の頃から文献に比喩として出て来る。時代背景からコメが余り気味となった。それは徳川の平和で軍事から土木工事の時代となり、人口が増えない間にコメの収穫が増えたように思える。そしてコメの酒作りの進歩と技術の向上が、精米率を上げた―米ぬかが多く出るようになり、肥料用の米ぬかがタクワン漬用に回ってきたと思われる。北九州のぬかだ焚きという料理の始まりが江戸時代からとなる。同様に北陸石川県でフグの卵巣の糠漬けは、テトロドトキシンという猛毒が含まれているフグの卵巣を3年間塩漬けと糠漬けにして解毒する、石川県の郷土料理。この歴史も200年前位だが文献がない。 最初は肝試しだったのだろうか。
 糠の文献を探っていくと、やはり食するには美味しいという文献が少ないというより全然ない。江戸時代の精米が発達すると、脚気というビタミンB1欠病症で多くの上流の人が悩まされ、治療のために田舎で過ごすと治ると言われていた。玄米で保存し食する時に精米を田舎ではしていて、脚気にはなりにくかったと思われる。明治に入って軍隊で白米を食するようになると、脚気が多発した。その理由は兵士が農家出身が多く、供出したコメを食べていなかったので、白米にあこがれていて、糠を出来るだけ取り除いて食していたと想像する。脚気が日本で消えたのが太平洋戦争の敗戦間際で糠を取り除く労力が消えたため、脚気が消えたという。脚気の原因がビタミンB1欠乏とわかっていても軍隊では脚気があった。
 糠味噌という言葉も江戸時代の食の文献では幕末からという。

 さて源氏物語と糠との関係と言うと、室町時代から始まった香道で臭いをかぐ、鼻の嗅覚がマヒしてしまうため、糠味噌の臭いで嗅覚をリセットするという。本当かどうか確認したいが香道の研究書を読むと源氏物語の基礎知識が必要と感じる。
まだまだ雑知識が必要と感じる。

コメント
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