年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸時代の大根河岸はどこ?銀座の隣り!

2024年08月30日 | 築地市場にて
京橋の西側の橋は、紺屋橋(別称中橋)と言い、その先に城辺橋(旧称比丘尼橋)あたりは大根河岸と呼ばれていた。昭和10年まで、青果市場があったからである。京橋川の堤防には、その付近だけ階段がついていて水運を利用して運ばれてくる青果物を運び上げるためであった。 早朝から、野菜を積んでくる舟、地上を走り回る大八車が忙しく行き交い、京橋、銀座一丁目周辺には、青果業者たちの大声が響いていた。
 このように、銀座のすぐ隣で野菜が取引されていたことはあまり知られていない。しかし築地市場が、今なお銀座の隣町にあることを思えば、銀座は、日常生活にもっとも近い街でもあることがわかる。そして、大根河岸と築地市場、築地と移転が予定されている豊洲とは同じ位の距離にある。

東京市史 市街編 第58 758頁から763頁
明治9年河岸地に命名     河岸地を若干命名す
中央区は大根河岸、竹河岸(大根河岸のとなり)等が命名された
明治10年8月3日 
 京橋より以西 比丘尼橋までの河岸地、自今大根河岸とす。 この命名の後
明治10年 京橋大根河青物市場設立認可 問屋37人、仲卸17人
 
京橋区史より
大根河岸は京橋川に沿ふた河岸地で比丘尼橋の北詰めより起こりて東のほう京橋に至る一帯の区域を言うのである。大根河岸というと公称のようであるが実は里俗名で、江戸町鑑によると(西白魚屋敷川岸通、里俗大根河岸と唱う)とある。これは当時から青物市場がここで開かれていたからかく称されていたのである。
 この大根河岸の青物市場は明治32年4月14日から16日に至る三日間創立235年記念祝祭を催した。此れによりて推定すれば延宝3年四代将軍家綱の時に当たるが,古老の話によると寛文2年創設されたと言い伝えられていて、其の創始年代については正確な記録が残っていないから不明であるがこの市場は元々数寄屋橋付近にあったのが火災にあって大根河岸に移転したと伝えられている。その移転の時期も不明である。







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台風から秋の長雨へ

2024年08月30日 | 宅老のグチ
台風10号が停滞し、暴風圏がなくなり、一安心と思っていたら、関東で雨の注意報。前の経験から河川のライブカメラで確認すると、二子玉川の兵庫島が水没しそうで驚く。その下流の田園調布のカメラも河川敷が消えそう。
 何時も台風の雨量をチェックするのは四国の水がめと言われる早明浦ダムの貯水・放水・貯水率の変化。60%台の貯水率で下流の水害がどうも予想していないのだろう。アメダスのデ―タは後追いデ―タで、事前にダムの放水して、災害に対処している様子が見える。この辺りは災害日本の経験豊富ということに尽きる。今の処の報道では数名の死者でこれから増えても秋田の集中豪雨より少ないと予想する。今は台風なら鉄道が止まり、田圃の見回りで災害死で亡くなる事例も、。モニタ-で済ます時代となった。自分も小雨となったら、多摩川の水位確認の人を見てみたい。
 そんなわけで今日の予定は雨次第。行きたいところはあるがこのような天気の時に異国人観光客は観光しているのだろうか。気になる。
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