豊後街道の一部、今市宿の石畳を見に。
熊本から大分県の鶴崎まで整備された豊後街道。
熊本から内牧、久住、野津原を通り鶴崎まで続く豊後街道。
参勤交代が通り、勝海舟が坂本竜馬と連れ立って長崎往還したという。
その今市の宿場町に石畳の道が残されている。
何故か車が1台、石畳の真ん中に駐車。
石畳を傷めないよう徐行運転するようにと注意書きがあったが、本当は通って欲しくはないんだろうか?
石畳が始まる所に丸山神社があった。
加藤清正が参勤交代の長旅の安全を祈願して天満社を創立したのが、丸山神社の始まりとか。
苔むした石段を上がって行く。
大分県には数少ないといわれる重厚な楼門をくぐる。
見事な彫刻が楼門のあちらこちらに。
本堂の屋根は絵付の格天井。
吹きさらしの本堂、絵の傷みも激しい。
お参りする目に飛び込んできた ↑。
社務所らしき建物はあったが神社は無人。
今日は1月5日、私達の他には参詣に訪れる人はみかけなかったが、嬉しい心遣いに心が和む。
地方の神社ではこういう情景が見られるのかもしれないが、私の住む大阪では考えられない。
ありがたく一杯頂戴する。
その横にはお札、お守りが。
お札を一つ頂き、この先の旅の安全を願って車に乗せた。
今回の旅は、赤間神宮を皮切りに、阿蘇神社、宇佐八幡宮と巡る初詣旅だったが、
この丸山神社が一番有り難く感じた。
全長660mの石畳は、途中で鉤形に折れている。
城郭建築によく見られるが、延焼を防ぐ防火の意味合いもあるようだ。
正直、走りづらい。
片側のタイヤは石畳の上で車体はガタガタ。
通りの家屋は整然と並び立ち、手入れされた庭には枝垂桜の木も見えた。
春、桜の頃にも美しいだろう。
誰が来たのか?、とばかりに柴に見つめられる。
無駄泣きはしない賢そうなワンだった。