夕方には大阪へ戻らなければいけないので、アチコチ
見て回る訳にもいかず、予定していた赤沢休養林へ。
国道19号線上松辺りから赤沢自然休養林の方面へ。
森林鉄道の乗り場到着。
乗車券は、いい香りがする木の切符。
乗車日のスタンプが、判で押したかのように、2枚共同じ位置、
同じ傾きで、いい加減な性格の私は、見事な仕事だと驚く。
いい記念になります。
オープントロッコは樹齢300年の天然林を、時速7キロで
片道1.1キロの区間をゆっくり走る。
往復25分の乗車で800円也。
木曾のひのきは平安時代からよく知られ、安土桃山時代には城を建てる
材料として利用され、江戸時代の城下町建設ラッシュになると、木曾の山々から
木々が大量に切り出され、結果、木曾の山々は多いに荒れ木々も少なくなった。
当時の管理者尾張藩が山の木を守り始め、その甲斐あって木々が生い茂る
山々が蘇り、明治時代は皇室の財産、戦後からは国有林として管理されている。
昭和44年に、日本初の「自然休養林」に指定され、森林浴発祥の地・・・らしい。
赤沢地域一帯に遊歩道が設けられ、整備された8つの散策コースがある。
しかし、私達にはゆっくり歩いている時間はない。
森林鉄道の終点「丸山渡停車場」で5分の休憩の後、再び車内へ。
上の写真は、トイレ。
ここから森林浴を楽しみながら歩いて戻る人も多かった。
一帯には木曾五木と呼ばれるヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキが
育っているが、残念ながら歩かなかったので、それらの写真はありません。
伊勢神宮の20年毎の遷宮には、この辺り一帯から伐採され、
ご神木として伐採した切り株は、上の写真のように保存されている。
大正時代に国鉄中央線が整備されたのを契機に森林鉄道の建設が始まる。
蒸気機関車から戦後ディーゼル機関車に変わり、昭和50年を最後に
森林鉄道は廃止された。
その後、昭和62年、観光鉄道としてこの区間を走るようになった。
営業は11月3日が最終。
今も、切り出した材木を運んでいるのだろうか?
それとも展示してるだけだろうか?
どうだんつつじが真っ赤に燃えていた。
立ち並ぶ杉やひのき・・・見てないなぁ。
ここは、やっぱりゆっくりと歩かなきゃ・・・。
急ぎ足で国道19号線へ戻り、蕎麦を食べようと、入ったのが↑の「源氏」。
旗挙そば、源氏・・・??
ここは木曾義仲が平家討伐の旗挙を行った地、日義にある蕎麦屋。
トッピングにあげ玉(50円)を注文。
天ぷらの副産物のあげ玉ではなく、これだけ作られたもの。
大阪ではあげ玉とはいわず、てんかすなんだけど・・・。
ざるの 一人前は2段。
2段無理と判断した私は1段にしてもらう。
回りを見渡しても、ほとんどの人が2段を食べている。
私よりもっとお年寄りの婦人でも「ゆっくり食べたら食べられる。」と。
凄いなぁ、さすがに蕎麦で育った人達だと感心する。
私は1段で丁度良い量だった。
うぅ~、海苔たっぷり。
せいろにすべきだったかな?
平たく切られた蕎麦は、歯ごたえ抜群で甘みを感じるおいしい蕎麦。
たっぷりの揚げ玉をつゆに入れて蕎麦を食べると、ちょっと濃厚な味になり
これも、なかなかいける。
名神へ入ると夕暮れ間近。
八日市近辺のにっくきオービスを眺めながら帰途に着きました。