串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

大阪女子マラソン

2011年01月30日 | 大阪

今日、1月30日は「大阪女子マラソン」が開催される日でした。

大阪城の梅林の開花状況チェックを兼ねて、大阪城へ。

大阪城あたりは往路・復路、ルートは違うけど2回ランナーは走ります。

難波で折り返したランナーが大阪城へ入って来る地点で待ちました。

隣で待っていた男性とカメラ談義しながら待つ事30分ほど、
やっと現れました。

先頭集団です。

真ん中が1位になった赤羽さん、その左が2位の伊藤さん。

赤羽さんはストライド走法・・・?凄いですねぇ。

梅の開花はまだまだ・・・です。

 

 

 

満開に近い「一重野梅」。

こちらもよく咲いていた「八重野梅」。

咲いているのは、この2種ぐらいで、早咲きの「鹿児島紅」なども、
何輪か開いている程度です。

ヒヨがロウバイの花をついばんでいました。

この梅が満開になるのはいつ頃だろうか?

 

 


新燃岳

2011年01月29日 | 旅-九州・沖縄

新燃岳が噴火している。

ここ、登ってたんだ。

と、いう事で古い写真を探し出して・・・。

「みやまきりしま」の背が低い木々をかき分けて登った新燃岳。

火口湖がきれいでした。

前日泊まった「妙見石原荘」で作ってもらったお弁当を食べています。

遠くにかすんで見えるのは、韓国岳。

高千穂の峰へと縦走路が延びていますが、縦走はせずここで下山。

前日泊まった妙見石原荘の大浴場。

好きです、この宿。

こちらは、貸切になる露天風呂。

この湯船の横にもう一つ露天風呂があったのですが、
今は取り壊されてありません。

M教授の進言によったものらしいですが・・・。

幻の露天風呂です。

川に張り出すように作られていたこの湯船。
湯がぬるくて、川の流れを眺めながら、いつまでも入ってられるお風呂でした。

書いてるうちに妙見温泉へ行きたくなりました。

2002年のこの頃と違い、宿泊代は高くなっているからなぁ・・・。


雪の彦根城-知らぬが仏

2011年01月29日 | 旅-関西

雪国の方には申し訳ないけど、雪景色が見たくて彦根城へ行ってみようと思いました。

草津あたり、冠雪した平良山系が車窓から望めますが、平地には雪がありません。

あれぇ、雪積もってないんだろうか?

残念だなぁ、雪が見たかったのに・・・。

と、思っていると彦根に近づくにつれ、空はどんより曇り、一面雪の原。

大阪駅から80分、彦根駅に降り立つと、雪、ゆき、ゆき・・・。

井伊直弼の銅像も寒そう。

彦根城も積雪5センチほど。

足元は、随分長い間履いていないスノーブーツで決めてきましたが、
歩いているうちに、靴の底から水がしみこんできます。

古くて安物だから、どこか破けているのだろうか?

家に帰り、靴を脱ごうとしてはっとしました。

靴底がはがれている。

右足の靴、かろうじてつま先あたりでくっついているが、もう少し歩いていたら
完全にはがれていただろう。

私の背後を歩いていた人は、きっと笑っていただろうなぁ。
全然気付かなかった私、「知らぬが仏」状態だったんだ・・・。

「よう、気がつけへんかったなぁ。」と、家族からあきれられたけど、
気が付かなかった。

靴、ゴミ箱入りです。

 


雪の彦根城

2011年01月27日 | 旅-関西

雪の彦根城です。

玄宮園から見た国宝の天守。

2層の千鳥破風、3層の唐破風の屋根、火頭窓がよく見える。

お堀に黒鳥のつがいが・・・。

黒鳥、初めて見ました。


旅の終わり

2011年01月26日 | 旅-中国・四国

慌しく散策を終え、JR内子駅に到着。

ず~っと曇天だったが、駅に着く頃になってポツポツ冷たい雨が・・・。

駅前に蒸気機関車。

内子からダンナと待ち合わせの児島まで列車で向かう。
ジパング倶楽部でチケットを買うつもりだったが、1月5日は使えないと駅で言われた。

そうだった!
ジパング倶楽部は、繁忙期には割引適用じゃないのだった。

新幹線「のぞみ」の特急券も適用外。
ほとんど「のぞみ」になっているのに。

仕方なく正規料金で・・・。

海側の指定席は満席で、通路側しかないと言う。

じゃぁ、自由席でいいや、とホームへ。

入って来たのはアンパンマン列車だった。

自由席・・・席が空いてない。
通路や出入り口にも乗客が立っている。

宇和島始発の列車だが、なんでこんなに混んでるの???

1月5日、そうだっ、まだ帰省のUターン客なんだ。

はぁ、めったに乗らないJR、事情にうとくなったもんだ。

松山で降りる人が多く、松山からは座れた。

しかし、眺めの良い海側の窓側ではない。

車窓に撮りたい風景が流れるが、じっと我慢の子。
座れただけマシ・・・か。

↑の写真は、かろうじて撮った夕暮れまじか、瀬戸大橋からの眺め。

児島に到着。

アンパンマン列車は、降りてみないと分からない。
車内は、フツーだから。

ダンナと駅前でおちあい、夕食をとって帰る事に。

「きばらし」という和食の店で。

ゴチを目の前にして、アルコールが呑めないとは辛い。

なまこは久しぶり。

 

はぁ、おいしかったがご飯がまずい。

ジャー飯は嫌だなぁ。

山陽道を走り帰途に着きました。


内子散策-4(内子座)

2011年01月25日 | 旅-中国・四国

 内子へ来たなら絶対にはずせない「内子座」。

大正5年、有志18名による株式会社組織で3423円の建築費をかけ造られた。

回り舞台や花道、せり等を備えた本格的な歌舞伎劇場で、昭和60年に改修工事を終え、
現在は年に1度文楽が、2年に一度歌舞伎公演、その他コンサート等の催しに使用されている。

花道から舞台を見る。

嬉しい事に写真を撮るのに制約はない。
三脚使用、フラッシュ撮影でもいいのだろうか?

 

2階席から

舞台から

 

 

当時の看板がかかる2階席は「大向(おおむこう」という低料金の客席。





天井は折りあげ格天井

扁額には「芸於遊(芸に遊ぶ)」

 

 

 

縦に「いろは・・・」と番号が付けられている。

横は何だったんだろう?
きっと「一ニ三・・・」だろう。

席の定員は650名。
そんなに入れるんだろうか?と、思った。

 昭和60年の改修時に整備された奈落。

珍しいものを見せてもらった。
劇場の奈落など見るのは、初めて。

唐破風屋根の横には、繁盛を願ってキツネが鎮座する。

建設当時の内子の繁栄ぶりが偲ばれる「内子座」。

内子の人々の文化的な拠り所として愛用されてきたという。
老朽化して取り壊しになるところを町民の熱意により昭和60年復元再出発。

内子に内子座あり。
町並を拝見するだけでも、驚き感心したものだが、最後に見たこの内子座で
私は、内子のとりこになってしまいました。

わずか2時間ほどの滞在しか出来なくて、食事もお茶すらも口にしないで
慌しく駆け回ったが、次回は、もっと時間をとり、ゆっくり歩いてみたいと思う。


内子散策-3

2011年01月24日 | 旅-中国・四国

修復工事中の建物が何棟かありました。

町屋資料館前の立派な敷石。

お土産を売る店も何店かありましたが、いずれも地元の方が営んでいると
いう感じのこじんまりした店が多く、好印象。

下芳我家は、「マザー」という洋食屋さん。

こちらも立派なコテ絵が・・・。

立派なたたずまいの商家だなぁ・・・と、思っていたら、ここは「商いと暮らし博物館」。

よく出来た人形が座っていた。

別のデジカメで撮った「本芳我家」。

 内子散策の〆は、内子座。

ここまで写真を撮りながら歩いて1時間程。


内子散策-2

2011年01月22日 | 旅-中国・四国

 町並、もっと賑わう時もあるのでしょう。

 地元の黄色っぽい土を使った壁と黒いナマコ壁がよくマッチして美しい。

木蝋の生産と輸出で財を成したという本芳我家。

外観は素晴らしい意匠があふれています。

内部は一般公開されていないようですが、きっと邸宅内も素晴らしいものでしょう。

壁に龍の文字のコテ絵が。

モダンなデザイン。

左側の建物は蔵でしょうか?

屋根の下のコテ絵に目がいきます。

昇る朝日に舞う鶴。
鶴の下は雲でしょうか?

旭鶴マークといい、このマークをつけて白蝋を海外に輸出したという。

ハゼの実を砕いて粉にしたものから白蝋を作り、当時、日本より需要の
あった海外へさかんに輸出された。

右側の建物の1階の屋根部分を見て目がテンに・・・。



 

 なんて素晴らしいコテ絵なんでしょう!

修復に携わり、素晴らしいコテ絵の魅力にとりつかれ、自分でもコテ絵を
始められた、町並の中のコテ絵屋さんの気持ちがよく分かりました。

国指定の重要文化財の本芳我家。
内子の中でも群を抜く素晴らしさでした。

 

こちらも、近くの家の壁を飾るコテ絵。

こんなにステキなコテ絵がたくさんあるとは・・・。

頼もしげな顔つきでのっしのっしと歩いて来ました。

 


内子散策-1

2011年01月19日 | 旅-中国・四国

今日は夫婦別行動。

谷屋をチェックアウトし、内子までダンナに送ってもらい、高昌寺でバイバイ。

内子の散策は、この高昌寺からJR内子駅に向けて散策するのがいいようです。

高昌寺は、七堂伽藍を持つ曹洞宗の古刹で450年の歴史があるという。

華やかさとは無縁の渋い境内の伽藍だが、それとは対照的な
この涅槃仏の鮮やかなのに驚く。

うすら寒い日でした。

観光客もまばら。
ツアーの団体が歩いている程度。

町並保存地区の北の玄関口、八日市・護国町並保存センター。

優しいもてなしに少々驚く。

奈良の今井町・富田林の寺内町・・・よく似た感じの町並だが、
内子は、「ゆっくり見て行って下さい。」と、言わんばかりの温かさを感じ、
まだ歩き始めたばかりなのに、嬉しくなってしまう。

向かいにある民家「内の子屋」だろうか?

2階の壁に目がいく。

 龍の顔・・・?

嬉しい!コテ絵だ。

お金を投入し、勝手に品物を買って行く。 

内子の特産物だな。

 

 

コテ絵の工房。

中に入って作品を見学できる。

 

主は、修復をとおしてコテ絵に興味を持たれたとか。

この先、旧家の随所に緻密なコテ絵が見られ楽しい町並だった。


谷屋のお風呂

2011年01月18日 | 宿-中国・四国

昨年、一番お気に入りだった「湯姫」だが、今年は何故か落ち着かなくて・・・。

奥が腰掛けられるようになっている「湯月」。
なんだか瞑想風呂の感じ。

あまり好きではない岩風呂だが、今年は一番お気に入りになった。

今では採れない貴重な湯山川のあぶら石を積んだ「湯山」。 

壁に掛けられたプレートには、正岡子規の句が刻まれている。

風呂は3箇所あり、いずれも貸切対応。
バスタオルは部屋から持って行くが、浴用タオルは風呂場にある。

↓の札を風呂場の入り口にかけておく。

1階の部屋は風呂場に近いので、1階を希望したが、
この日は満室にもかかわらず、いつ行っても風呂はどこ空いていた。

 

 

 

顔湯です。

昨年泊まった折は、何度か顔をつっこんでいる女性を見かけたが、
今年は、ほとんど見なかった。

初めての人なら珍しいだろうが、リピーターなら、もういいか・・・と。

フタを開けると、湯気が立ち上ります。

いずれの風呂も清掃が行き届き、気持ちよく入浴できるが、
一つ残念だったのが、湯は加温循環されている事。

冬場は加温で掛け流しだと思っていたが違っていた。

道後の宿で掛け流しは「常盤荘」だけなのか?

でも、塩素臭などしないし、湯もくたびれている感じはない。

おいしい料理と快適な部屋。
(今回のももは、ちょっとしんどかったが・・・)

又、季節を変えて泊まりに来たいと思う。

 


谷屋の食事

2011年01月16日 | 宿-中国・四国

 

食事は、朝・夕共に食事処で頂く。

なるべく明るい席で・・・と、お願いしておいた。
どこでもお好きな場所で・・・と、言われたが、どこもあまり変わりないので
1階の囲炉裏端に座る。
足が下ろせるので苦痛ではない。

先附の五種盛り。

どれもおいしい。

お刺身もたっぷりあるが、生魚、あまり好きではない私、もう少し少なくてもいいかな。

うずしお太刀巻と銘打った揚げ物。

人参を太刀魚で巻き、からっと揚げてある。

「いも豚と松山ナスのはさみ焼」

昨年、体調不良だった私は、これから後の食事は断っていたが、今年は食べるぞぉ。

おいしくて、なんか分からないうちにお腹に納まってしまった。
もったいない、もっと味わって食べるべきだった。

他に茶碗蒸しが出て、本日のご飯は「タコ飯」。

デザートも三種盛り。

大筋は昨年と変わらない内容だったが、やはりおいしい。
量も丁度良い。

お酒が進み、あれこれ冷酒を4合ほど頂く。

朝食は2階のテーブル席で。

豪華な朝食だ。

なんて事ないちりめんじゃこ・・・と、思っていたら
細かく刻んだ生姜と青しそがじゃこに混ざり、その下に隠し醤油。
そして、上には金山寺味噌のような大豆がトッピングされている。

↑と↓、どちらか選べる。

私は↑。

ベーコン嫌いなダンナはこちらを。

豪華でおいしい朝食だった。

ご飯もおいしいのだが、おひつが来ない。
お替りを頼まなくてはいけない。

おひついっぱいのご飯を残すのは、いつも申し訳ないと思うが、
2階の席では、お替りが言いにくくて・・・。

食後のコーヒーも私好みの深煎りでおいしく、もう少し飲みたかった。


道後温泉谷屋

2011年01月15日 | 宿-中国・四国

道後の泊まりは、昨年も泊まった谷屋さんで。

昨年は暗くなってからのチェックインだったが、今年はまだ15:00にもなっていない。
一番乗りだった。

 

ロビーで自家製「みたらし団子」とお茶を頂き部屋へ。

今回は「もも」という一番料金の安い部屋。

1階には三部屋しかなく、一室は昨年泊まった「えひめあやめ」。
もう一室は、部屋風呂付きの離れで、こちらはお高い。

で、1階にある「もも」を希望したのだが・・・。

階段を上がった所にダブルのふとんが敷かれている。

下は丸いちゃぶ台が置かれた畳敷き。

 

階高のない部屋のロフト形式とあって、上の寝室も下の居間も腰をかがめないといけない。

うっかり立とうものなら頭はゴツン。

これは苦痛だった。

電気ポットにミネラルウォーター。

アメニティも豊富で、ツボ押し棒は頂いて帰り重宝している。

あれっ、お気に入りの浴用タオルは新品ではない。

去年は新品だったのになぁ・・・。

女性に用意されている「おこころくばり」。

トイレはウォシュレット、冷蔵だけの冷蔵庫も備え付けられている。

お茶も蕎麦茶と煎茶、梅昆布茶が用意されていた。

立って歩けない点だけが困ったが、備品や部屋の快適さは満足しました。

 

 


伊予西条にて

2011年01月14日 | 旅-中国・四国

マイントピア別子を後にして、新居浜から伊予西条へ向かいます。

新居浜は、別子銅山から山道を運ばれた銅鉱石を船に積んで大坂へ運び出す為
開かれた港町で、別子銅山とはきってもきれない関係の都市です。

伊予西条は、石鎚山からの伏流水が地表に出て来る所で、アチコチに
湧き水が出ているようです。

やって来たのは、西条市総合文化会館のそばにある「うちぬき水」。

水汲み用の車が3台ほど停められる駐車場がそばにあり、とても便利です。

水は豪快に流れ出し、排水は横を流れる川に・・・。

2Lのペットボトル18本ほど頂きました。

朝一にと思っていた「湯之谷温泉」へ戻って来ました。

源泉温度は18度ほど。
沸かしている煙突が見えます。

沸かさなきゃいけないので、そんな朝早くから営業出来ないですね。

ここ、以前にも来ているんです。

しかし、様子が全然違う。

聞けば2年程前に風呂場は全面改築したとか。

以前は、旅館部から風呂場へ行く廊下で芳しい硫黄の香りがし、
わくわくしながら風呂場へ行った覚えがあります。

そして、その風呂は丸い楕円形(だったはず)で、奥に源泉風呂があり
凄い硫黄臭がした良い湯でした。

今、浴槽は、大きな加熱浴槽、中ぐらいのぬるめ加熱浴槽、
そして小さい源泉風呂。

源泉風呂は、サウナの水風呂代わり使われています。
残念ながら、硫黄臭は乏しいものとなっていました。

常連さんも以前の風呂の方が良かった・・・と。

改修すると、ほとんど悪い方へむいてしまうのは何故でしょう?

 


マイントピア別子

2011年01月13日 | 旅-中国・四国

端出場坑道から出て来て、鉱山鉄道に乗らずに歩いて戻ります。

歩いても10分程の道のり。

明治26年架設の打除鉄橋で、今も鉱山鉄道はこの鉄橋を走ります。

大好きな「登録有形文化財」のプレートが・・・。

丁度、列車がやって来ました。

下を流れる川に大きな岩床が。

レンガ水路。

当時の排水路です。

有害物質を排除して下流へ流したようです。

公害対策はされていたようで、足尾銅山を嘆いた田中正造は、
別子を手本に・・・と、言ったとか。



第四通洞。

5年の歳月をかけて大正4年に出来上がった長さ4600mのトンネル。

鉱石や機械を運搬した別子銅山の大動脈。

第四通洞から線路が一直線に続いていた。

こちらも「登録有形文化財」の中尾トンネル。

明治26年に作られたが、とてもよく出来ているらしい。

鉱山列車がトンネルに入って行きます。

別子銅山跡、大変興味深い所でした。

でも、見たのは、ほんの一部。
江戸時代の坑道があるあたりや、東洋のマチュピチュと
よばれる「東平」は見ていません。

それらの場所へは、車で途中まで行き、散策するようなコースもあるようです。

いつか、じっくり時間をかけて歩き、見てみたいものです。

世界遺産登録を目指しているとか・・・。

長年の採掘で荒廃化した銅山周辺を元の姿に戻そうと、明治中半から
毎年100万本の植林を行なったという。

石見銀山同様、別子銅山も自然と共生してきた産業遺産として
登録されるよう願っています。

 


出足不調

2011年01月07日 | 旅-中国・四国

1月3日22:30自宅を出発し、しまなみ海道からの四国入りでした。

四国へ渡るには3つの経路があり、どの橋経由にしようか迷いましたが、
3日の高速代金1000円を有効に使うには、しまなみ海道経由がいいんじゃないかと。

夜のしまなみ海道、怖いです。

明石海峡大橋や大鳴門橋は3車線あるかな?
瀬戸大橋は、片側2車線はあると思うのですが、
しまなみ海道は、ほとんどが片側1車線。

昼間なら瀬戸内海に点在する島々を眺めながらの快適なドライブでしょうが、
夜は真っ暗な海に落っこちてしまうのでは・・・?と、少々不気味。

おまけに雨が降ってきました。

天気予報では曇り。
雨が降るなんて予報は出ていなかった。

最近の天気予報、いい加減なものです。
これだけ科学が進歩しているのに、直前の予報すらはずす。

朝一番に湯之谷温泉へ行こうと決めていた。
到着するがまだ閉まっている。

8:30開店だったのに、6:30~だと思い込んでいた私。

仕方なく、新居浜へ向かい、マイントピア別子を目指します。

まだ夜もあけない暗い中をウロウロ・・・、はぁ、出足不調だわ。

 

こちらは9:00~の開店。

車で1時間ほど寝て、オープンを待ちました。

施設の中に入ったものの、坑道見学は10:00~。

朝食がまだだったので、スナックコーナーでうどんを食べ、高いコーヒーを飲む。

鹿児島の菱刈鉱山で採掘された鉱石や、ビデオを見ながら10:00を待つ。

この鉱石には、金6.1キロ、銀2.3キロが詰まっているらしくて時価1000万円。

ここまで、なんだか随分無駄な時間を使ってしまったような・・・。

高速代休日1000円にこだわり過ぎたお陰で。
去年は、1月5日ぐらいまでが1000円の対象だったのに、
今年はお正月の3が日だけとケチだなぁ・・・。

冬さくらが控えめに咲く。

鉱山鉄道に乗り坑道へ。

可愛い花です。

素心ロウバイも咲いていました。

こちらは三椏(みつまた)

端出場(はでば)坑道という観光用に作られた坑道へ。

坑道の中には人形で当時の様子を紹介してある。

↑は、坑内に溜まった水を汲み出す様子。

深い坑内なら、こういう人達がタテに延々と続くんだろう。

鉱石を砕く作業で、主に女性が従事。

ジオラマがあったり、地下1000mへ降りるエレベーター(実際には降りない)が
あり、子供が楽しめるような坑道になっている。

まぁ、今までも結構アチコチの坑道跡を見て来ているから、
特に目新しいものもなくこんなものでしょう。

1912年(明治45年)に作られた端出場水力発電所が
そのままの姿でたたずんでいる。

 別子銅山は江戸時代の元禄3年(1690)に露等が発見され、翌4年開坑。
以来283年間、終始住友1社により営々と掘り続けられ、昭和48年に閉山。

時代を追うに従って坑道は山を下って来た。

上にあげた施設がある「端出場(はでば)」地区は、昭和5年から閉山まで
採鉱本部があった。

それ以前の大正5年から昭和5年まで採鉱本部が置かれていた「東平(とうなる)」
地区へも行く予定だった。

東洋のマチュピチュと呼ばれる「東平(とうなる)地区」。
楽しみにしていたが、そこへの道は冬季通行止めで行けないらしい。

そんな事、マイントピアのサイトには書いてなかった・・・のに。

東平があるあたりの山々は白く冠雪していた。