5月に行った北東北桜旅、角館でSTOPしてました。
ふるえながら桜を見たあの寒さが恋しい暑さが続く大阪です。
5月8日、角館の桜は武家屋敷通りの枝垂桜も桧木内川堤の染井吉野も満開。
早朝から多くのアマチュアカメラマンで賑わう伝承館前。
花数が少し物足りないような気もするが、これで満開なのだろう。
武家屋敷通りの道幅は六間(11m)と広い。
昔からこんなに広かったんだろうか?
そんな疑問に地元の方が答えて下さった。
元々林だったこの場所に秋田藩の支藩である芦名義勝によって城下町が造られたのは1620年。
芦名義勝の石高、1万5千石なら3間道路が妥当なところだが、60万石の格式・気概で
町割をしたのでこんな広い道路を作った・・・とか。
いろんな要因が重なり、今も当時のままの姿を残しているらしい。
その要因の一つに奥羽本線が角館を通るのを拒否したため、大きなビルが建たず、
この街並みは開発をまぬがれて残った。
そして戊辰戦争の最後の戦場となり、佐竹藩は朝廷派で奥羽越列藩同盟と戦い、玉川
向こうで3日間の攻防戦の最中、鶴ヶ城落城の知らせが入り列藩同盟軍は撤退、
かろうじて持ちこたえていた角館の町は焼け残った。
重要伝統的建造物群保存地区の第1号指定を、白川郷、妻籠、萩、京都と共に受け、
30数年間の間に7億を越える補助金がおり、武家屋敷の黒塀などはこのお金で整備された。
これがなければ、生垣程度の塀だったかもしれない。
枝垂桜は、1664年京都の公家三条西家の姫様が角館佐竹家に嫁いで来た際
嫁入り道具の中に京都祇園の枝垂桜の苗木が3本入っていたのが始まりとか。
その枝垂桜の子孫を殿様が家臣に分け与え、頂戴した家臣は、殿様から拝領した桜だから
庭の育っている木を伐ってでも、庭先の目立つ所に植えた。
武家屋敷の目立つ所に枝垂桜が多いのは上のような訳。
そして、家臣の庭で育った枝垂桜の子孫は一族郎党に分け与えられ角館近辺に広がる。
DNAを調べると京都祇園の枝垂桜と同じらしい。
車で角館に入って来る時、枝垂桜がアチコチにあるのに驚いたが、こういう訳だったのか。
桧木内川堤の桜並木の始まりは、昭和9年、皇太子(現天皇)の誕生記念として植えられたもので、
およそ80年の樹齢を重ねる。
見事に花咲かしているが、古木が多く、染井吉野の寿命との戦いで、地元の人も
腐心しておられるだろう。
角館の泊まりは「角館プラザホテル」。
1階はスーパーで、ホテルはその上。
このスーパー、以前訪れたのは冬だったが、トロ箱に入ったオス・メス・大小さまざまな
ハタハタがずらり並んでいて、さすが本場だと驚いた。
珍しいものでも並んでいるかと魚売り場を覗いてみたが、フツーの魚売り場でちょっとがっかり。
駐車場もスーパーと共用。
最上階の丸い展望室が朝食会場となったレストラン。
かなり古ぼけたような感じがし、きっとフロントにはおじちゃんが座っているだろう・・・と、
思いながらフロントへ行くと、そこにはきりっとした女性スタッフと、イケメン中年ホテルマンが。
部屋は広々としたツインで、必要なものは揃っている。
喫煙室、禁煙室の区別はないようで、タバコ臭い。
持参した消臭剤をふりまくが、しみついた長年の臭いはなかなかとれない。
確か、部屋にも消臭剤が置かれていたような記憶があるが・・・。
残念ながらウォシュレットではない。
これが、このホテルでの唯一の不満。
1泊2食付きだったが、ホテルでの食事は朝食だけ提供され、夕食はホテル向かいにある
食事処で頂いた。
夕食で出た鶏のつくね。
黄身をまぶしていただくもので、なかなかおいしかった。
朝食は最上階の丸いレストランで。
一般的な内容だが、どれもおいしい。
この角館プラザホテルは、道路を渡れば武家屋敷通り、廊下の窓からは桧内川堤が見える、という街並み散策にはもってこいの場所にあり、
施設の老朽化はあるものの料金もリーズナブルで、泊まって、いえ、桜の季節に予約がとれてホントに良かった。
30分ほど地元の方に角館の事を聞いた。
地元の方ではなく、リタイア後、好きだったこの角館に住居を移し、角館で活躍しておられる方だった。
その方が中心になり京町家を参考に民家に連泊する「角館の町宿」というプロジェクトを始めておられる。
角館には景観を壊さないようにという点から宿泊施設が少ない。
宿泊施設が少ないから、訪れる観光客の7割を占めるツアー客も角館での滞在は少しの時間で、
宿泊は、田沢湖高原温泉や男鹿半島の宿へ・・・で角館にはお金は落ちない。
日本人には苦手な滞在型の旅の拠点に角館を・・・。
角館を愛する方から貴重な話を伺えて、桜もさることながら今回の旅でピカ一だった角館。
北東北桜旅はこれにて終了いたします。