東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業50年を迎えます不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

ボディボード2回目

2019年04月25日 09時26分32秒 | ひとり旅の話

終業後に羽田空港へと向かい、昨年11月と同様22時過ぎに那覇空港到着。目的はただひとつ、昨年初体験したボディボード熱が失せないうちにの再トライであった。

翌朝、市内でレンタカーを借り、まず最初に向かったのは以前ドキュメント72時間で登場したことのある恩納村の老舗ドライブインである。

国道58号線を大雨の中を北上する。左右に米軍基地や施設が広がる。

約一時間ほどで目的であるシーサイドドライブインに到着。沖縄初のドライブインで、創業は私よりひとつ年下1967年。冷蔵庫の製造業者として米軍基地に出入りしていた創業者が、基地内のレストランを見てそのスタイルを気に入り、アメリカの文化にたっぷりと影響を受けて開業したそうだ。名物のスープがつくフライライスを注文し、レトロな店内と海を眺めながら静かに食事を楽しむ。本来であれば夜のネオンが見たかったのだが、それはまた別の機会にしよう。

その後、市内へ引き返すように数日前に海開きをしたばかりの北谷でのボディボードのレッスンを受け行く。天気は相変わらずだが、どうせ濡れるので気にしない。ウエットスーツに着替えて、車で数分のビーチで降りる。まだ満潮前だったが、初心者にはほど良い波で、貸切りのビーチでマンツーマンレッスンを受ける。

前回よりも長く波に乗れる回数は増えた。波に乗る感覚は実に快感・爽快であるが、乗れる距離が長くなればなるほどポイントへ戻るのが大変になるので、前回より早く疲労困憊になり、最後は両脚が吊り始めて、予定よりも早めにレッスンを終了して貰った・・・シンプルなものは奥が深いのは世の常であるが、スキーにも似た面白さである。

ついつい海にもリフトがあればと思ってしまう・・・(つづく)

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竪坑櫓を見に行って来た

2019年04月18日 09時26分12秒 | ひとり旅の話

当社連休初日の昼前に福岡空港に到着。福岡へは昨年5月以来実に17回目の訪福となった。福岡

まず最初に空港から「天ぷらひらお本店」まで徒歩で約15分移動。店外にはすでに人が溢れていてその列に加わる。途中で食券を購入し、さらに並び続ける。少しずつ列が進み、店内に入ると、奥がかすむほどの長いカウンターがあり、その後ろの席に座りながら横にずれていく。

店員さんの威勢のある声と人気店にありがちな横柄な対応もなく、気持ちよく待つこと30分で席に案内される。食券を出して、食べ放題の塩辛をつまみにビールを飲んでいるとすぐに揚げたての天ぷらが目の前に届く。

一品ずつ出してくれるので画像はホームページから借用

天ぷらにはビールがよく合うと実感しながら、お腹いっぱい、ほろ酔い気分で店を出る。そして今回のメインである以前から気になっていた旧志免鉱業所竪坑櫓(きゅうしめこうぎょうしょたてこうやぐら)を見学しに歩みを進める。竪坑櫓とは、ケージと呼ばれる籠を昇降させるために造られた巨大なビルディングでこの櫓の真下にまっすぐ掘られた深さ430mの「竪坑」という穴を使い、地下から石炭を上げたり、鉱員を地下の石炭層まで移動させていた。1957(昭和32)年には21万トン以上も出炭していた竪坑も、1964年の閉山とともに稼動を停止。現在日本に現存する最大規模の竪坑櫓は、日本で唯一、開坑から閉山まで国営でありつづけた志免鉱業所の歴史を物語っている・・・とのこと。

5km以上の距離を歩くこと約1時間、泣きそうになる頃に竪坑櫓が遠くに見えてくる。それだけで巨大さが分かる。目標が見えると足取りも軽くなり、ずんずんと進むと公園内にそびえ立つ竪坑櫓とご対面。

で、でかい・・・補強工事中だったのは残念であったが、それでも巨大さは十二分に伝わってくる。圧倒されながら櫓の周りを一周する。工事が終わったら是非もう一度訪れたいものであると思ったと同時に今回は保存の為の補強であったが、前回の屋島のケーブル同様、古い建物は撤去される前に早めに訪れるべきだとも思った。

バスを2回乗継ぎ、ようやく博多駅まで到着。目的が達成されると一気に疲労感に覆われる。

その日の歩数は前回の金刀比羅宮同様だった・・・おかげで東京に戻っても体重増がない。

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うどん県でうどんを食べに行って来た・後編

2019年04月06日 09時42分28秒 | ひとり旅の話

あっという間に最終日。

食べ納めとばかりに先輩おススメのうどん屋さんで朝うどん(一昨日掲示したうどん画像・下段右)を食べた。ちなみに朝うどんは香川県民にとって当たり前のモーニングフードのようで、開店と同時に店内はほぼ満席だった。その後、琴電瓦町駅から屋島駅へと向う。駅前からバスで頂上まで登ると源平屋島合戦史跡が一望出来る。

地形を利用した「船隠し」や「義経の弓流し」や戦法等にも興味があるが、私の目的はあくまでも廃墟となった「屋島ケーブル」の見学だった。

2005年まで運航していたケーブルはその後、引き継ぐ企業が見つからずそのまま放置され、山頂の廃墟ホテル共々廃墟マニアの間では有名なスポットとなっている。

しかしドライブウェイの駐車場にある案内図には表示されていない。まあ廃線になった駅をわざわざ表示しないよな~と駐車場に居合わせたバスの運転手さんに訊ねると「とっくに撤去された」とのこと・・・嘘・・・痛恨の調査ミス。頂上駅に魅せられてわざわざ訪れたのに・・・と思いつつ、頂上は撤去されても麓の登山口駅はまだあるだろう?と運転手さんを始め、地元の人たちにも確認したが、「多分」や「確か」と正確な情報が伝わって来なかった。そりゃそうだろうな~地元の人には昔から存在する廃屋なんて興味がないだろう。とりあえず頂上に取り残されていた廃墟ホテルを見物するものの駅に戻るバスの時間まで60分やることがなく、とりあえず登山道を下ってみる。昨日の金刀比羅宮さんの疲労が残っているので、下りもかなり辛く、ヘロヘロの状態で琴電で瓦町駅まで戻り、空港へと向かった。

東京に戻ってからも調査をしたものの、撤去の情報は得られず、最終的にグーグルマップで調べてみると、登山口駅を発見。ん?何だか綺麗になってる・・・

さらに登山口駅(上画像・黄色丸)は私が下った道のわずか数百メートル先だった・・・まあどちらにせよ、とにかくよく歩き、よく登り、よく飲み、うどん三昧な三日間であった。(おしまい)

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うどん県でうどんを食べに行って来た・中編

2019年04月05日 09時41分23秒 | ひとり旅の話

高松駅まで戻り、雨が上がった市内を歩いて散策。金刀比羅宮さんの疲労を感じず、海沿いをずんずんと歩く。知らない街を歩くのはいつでも楽しい。堀に海水が引き込まれる「海城」で日本三大水城として有名な1676年(延宝4年)に上棟された高松城北乃丸月見櫓は駅のすぐそばにある。また事前に高松を調べていると「城東地区」なる場所(下画像赤枠)があった。明らかにぽつんと「隔離」されている地帯で、元八重垣遊郭が存在していたエリアとのこと。

 「男の歓楽街」がすべて凝縮されている島であったが、一種独特の雰囲気に海越しに遠くから眺めるだけにした。

高松競輪場を横目に南下すると、市街地に突如現れる高松刑務所の長くて高い塀を発見。すぐそばに地元・新小岩では馴染み深い「松島二丁目駅」なる無人駅で琴電に乗り、瓦町駅まで二駅乗車。

その夜の香川の先輩との約束まで時間があったので、日本一長いアーケードを見学。

2006年から本格的に始まった再開発で復活したその斬新な手法(60年の定期借地契約や地権者全員の承認等)が実に素晴らしく、以前からとても興味があったアーケードで、縦横無尽に伸びる総距離2.7kmはただただ圧巻だった。散策後ホテルに戻り、先輩と合流し、夜遅くまで酌み交わした。(つづく)

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うどん県でうどんを食べに行って来た・前編

2019年04月04日 09時26分54秒 | ひとり旅の話

終業後に羽田空港へ向かい、21時過ぎに高松空港に到着。

これまで2006年に高知へ向かった際に通過したことはあったが、今回が香川県初上陸でこれで高知(2006年)・徳島(2010年)・愛媛(2015年2019年)の四国四県すべて上陸したことになる。ただし高知はひとり旅ではないが・・・リムジンバスで高松市内へ向かい、22時にチェックイン。とりあえずうどん県で初うどん(下画像・下段左)を楽しむ。

翌朝は雨の中、こんぴらさんの呼び名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)までJR高松駅から電車で移動。金蔵寺駅で途中下車し、娘が以前訪れておススメとのお店で朝うどん(上画像・上段)で腹ごなしをしてから、琴平駅へ向かい参道に待ち受ける石段1368段を登り始める。観光客で混雑し、雨で濡れている傾斜のある石段を上ると思ったよりも早くゴール・・・したかと思いきや、そこは金刀比羅宮本宮(下画像・左下)で、まだ約半分の785段とのこと

本宮の裏からさらに石段が続いているが、そこから一気に閑散とする。一瞬引き返そうかと思いつつ、ここまで来たら踏破しなければ意味がないと歩みを進める。雨に煙る山頂で社殿が見える度にゴールと見間違えるが、それは常盤神社や白峰神社で、歓喜と落胆を繰り返しながら、次第に足が動かなくなり、息が切れる。いや~辛い、とにかくきつい苦行である。ただ休憩するとそのまま動けなくなりそうだったので、そのまま上り続けるとようやく奥社(巌魂神社・下画像・左上)に到着。時間にして約1時間で登頂成功。気温は低かったがシャツは汗でビショビショになってしまった。帰りはさぞ楽だろう?と思いきや、足が上手く動かないこともあり、下りは下りでそれはそれはなかなか怖い苦行が続いた。最初どこか伊香保のような軽い気持ちで臨んだ自分が恥ずかしい・・・

下りながら参道の途中にある今月こんぴら歌舞伎が開催される旧金毘羅大芝居(金丸座)を見学。現存する日本最古の芝居小屋で、以前見た熊本県山鹿にある八千代座とよく似た趣のある素敵な小屋だった。

気が付けば雨も上がり、再び電車に乗り込み、15時前に高松駅に戻った。不思議なものでお腹が全く空いていない。うどんは腹持ちが良いのだろうか?

ちなみにその日の上った階段数を見て笑ってしまった。102階って・・・(つづく)

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伊丹空港から伊丹十三記念館へ行って来た・後編

2019年03月23日 09時36分12秒 | ひとり旅の話

今回の愛媛再訪のきっかけは伊丹十三記念館の存在を知ったからである。

彼の作品はこれまで本ブログに2008年1月映画「お葬式」を始め書いており、映画「マルサの女」については2012年10月2018年2月と2回掲載しているほど好きで時々無性に観たくなる不思議な作品たちであると同時に、伊丹十三の役者やクリエーターとしてのマルチな才能にも興味が非常にあった。

ホテルのある松山随一の繁華街・大街道(おおかいどう)から伊丹十三記念館のある東石井までのアクセスは「バス」「車」「タクシー」としか書いていないが、地図で見る限りは一本道だし、どうにも近く感じる。しかしホテルのフロントでもお巡りさんにも訊ねたが、異口同音に「徒歩ですか・・・いや~」と言われ、俄然燃えてしまう。ん?以前も熊本で同じことがあったような・・・

【赤矢印が宿泊地】

ずんずん砥部(とべ)道路を南下する。開館時間は10時で松山空港へは遅くとも12時には到着していなければならない状況だったので、記念館滞在時間は1時間と設定しつつ、あれこれ帰り方を考える。タクシーでそのまま空港へ向かうと25分とのことでこれが最短プランと位置づけて、次に南下途中で見つけた伊予線いよ立花駅から松山市駅まで戻り、そこからリムジンバスに乗るパターン。そしてバスで松山市駅まで戻るパターンの3つを考慮しつつ、さらに南下しながらタクシーの走行状況もチェックしながら、ようやく記念館に到着。約2.3kmを約30分で踏破。ちなみに松山駅と松山市駅があるので注意。

敷地内に彼が最後の乗っていたベントレー(上画像・中段右)が展示されている。開館時間前の9時45分だったので駄目元で受付に行くと、快く受け入れて頂き、見学開始。館内の一部は撮影可能という伊丹さんらしい太っ腹の対応にバシバシ撮影。もちろん映画関係の展示には食い入るように見学したが、クリエーターとしての芸術性に惹かれ、(上画像・上段)ポスターのデザインは実に素晴らしく、館内でのアンケートでポスターやポストカード等に商品化して欲しいと書いたら、ホームページに掲載して頂いた。

中庭(上画像・中段右)が実に心地良かったが時間の関係で余りのんびり出来ず、終始気持ちの良い対応をして頂いたスタッフさんと別れ、バスで松山市駅まで戻り、空港へ向かった。ちなみにこの日は13日で名前にちなんで映画の無料上映「(今回は)マルタイの女」があったが、「十三時」からだったのでまた次回にしよう。おしまい

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伊丹空港から伊丹十三記念館へ行って来た・中編

2019年03月22日 09時33分17秒 | ひとり旅の話

伊丹空港からわずか50分で松山空港に到着。2015年4月以来4年ぶりの愛媛入りである。

リムジンバスで松山駅まで移動し、予讃線(よさん)に乗り込むこと46分で下灘(しもなだ)駅に到着。海の見える駅としてドラマや映画のロケ地として有名な駅であるが、無人駅のホームにはカメラを持った人が溢れており、また一緒に同乗していた乗客の大半が同駅で下車した。

各自ベンチに座った状態や看板の前で撮影するため、順番待ちの列が出来ている。何とかまばらになった瞬間を狙って撮影し、約1時間後の松山駅行きまで時間をつぶす。再び松山駅まで戻り、路面電車に乗り、ホテルにチェックイン。6km先の奥道後温泉からパイプで直接引湯した館内の大浴場に浸かった。

翌朝は早起きして、ホテルで借りたレンタサイクルで道後温泉へと向かう(約15分)。今年1月15日から大規模な保存修理工事が始まった道後温泉本館は前回入浴したので、今回は本館すぐ近くの2017年9月にオープンした「別館・飛鳥乃湯泉」に入った。前回本館では体験出来なかった休憩付きにしたので、60畳の大広間休憩室に通される。本館にはない露天風呂も楽しみ、朝早かったおかげで貸し切りだった大広間に戻り、お茶を頂き、再びホテルまで戻ってチェックアウト。この旅の最終目的地である「伊丹十三記念館」へと向かう。(つづく)

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伊丹空港から伊丹十三記念館へ行って来た・前編

2019年03月21日 09時43分50秒 | ひとり旅の話

昨年から始まった太陽の塔の内部見学へ出掛けた。伊丹空港着陸直前に太陽の塔が小さく見える。

1970年の大阪万博(日本万国博覧会)のシンボルとして芸術家・岡本太郎によって制作された高さ70メートルの「太陽の塔」。約50年近く閉ざされていた塔内を大規模な修復を経て再び公開されることとなった。昨年息子が大阪に赴任した時に思い立ったものの、公開から一年が過ぎてようやく訪れることが出来た。

空港からモノレールで万博記念公園駅で下車。駅から遠くに太陽の塔が見える。約10年ぶりの再会である。公園内に入り、塔の後方の地下にある受付にて事前に予約をしたQRコードを見せて入場。廊下の窓から見上げると太陽の塔がにょきっと見える(上画像左下)。そして「地底の太陽ゾーン」の展示スペースで万博終了後に行方不明となった巨大なオブジェ「地底の太陽」の復元作品を見学(上画像右下)。そしていよいよ塔内見学が始まる(上画像右上)。

高さが41メートルもある「生命の樹」の周りをめぐるように階段を上がりながら、途中でスタッフさんの説明を聞く。塔の左右に広がった腕の部分まで登って30分で終了。塔内は一階部分のみ撮影可能だったが、両腕の内部が撮影したくなるほど実にSFチックで素晴らかった。当時4歳で訪れたものの、ほとんど記憶がなく、塔内に入れたかも覚えていないが、スタッフさん曰く「当時の見学は(今回登った階段部分にあった)エスカレーターでの移動で、ものの5分程度で終了」したとのこと。

また当時は上画像のように両腕から出入りが出来たそうだが、まったく当時訪れた記憶がまったく思い出せないまま、見学を終え、伊丹空港から松山行きの飛行機に乗り込んだ。(つづく)

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兵庫・京都へ行って来た・後編

2019年02月26日 09時51分04秒 | ひとり旅の話

雨の中を歩いたので靴はビショビショ状態だったが、天橋立駅付近には足湯が見つからず、立ち寄り湯へ入る時間もなかったので、再び約1時間掛けて豊岡駅まで戻り、19時過ぎにようやくホテルにチェックイン。今回の宿は国登録有形文化財の元銀行を改築したホテルで客室わずか5室・・・との謳い文句に惹かれて全館禁煙ながら予約した。その時点でかなり疲労困憊でもう少し早ければ城崎温泉へも足を延ばしたかったが断念。城崎温泉(とカバンストリート)は「心残りリスト」に入れておくことにした。

ホテルでおススメの店を教えて頂き、数店舗の中から活魚料理店を選択。気さくな大将で同じ二代目同士の上、年齢も近いこともあり、「おすすめを少しずつ」とリクエストし、紅蟹に松葉蟹の味噌和えから始まり、青ナマコ、ホタルイカ、ふぐ等をつまみながら、二代目苦悩?トークを大将と楽しむ。今朝は4時起きだったので、早々と就寝(スナックのラーメンがおススメとのことだったが、これも心残りリスト入り)

翌朝は10時の便だったが、その前に訪れたかった「駅」へと向かう為、連日の早起きで豊岡駅から6時台の山陰本線に乗り込む。2010年1月に初めてその存在を知り、2010年4月に後輩がわざわざ訪ねてくれ、2014年8月には実際に訪れたことのある「梁瀬駅」に約40分で到着。前回は車での訪問であったが、今回電車で初めて訪問。だって駅だもんなかなかお目にかかる機会が無い「梁瀬」の文字を改めてまじまじと眺める。不思議な感覚である。30分ほどの滞在で構内や駅付近を散策して豊岡駅まで戻り、ホテルで朝食を済ませて空港に向かった。そして東京に戻り、独身最後の誕生日だった娘の「一日遅れの」バースデーを祝った。

今回もわずか24時間の滞在であったが、びっちりと詰まった満足したひとり旅であった。

【明日2/27(水)は当社連休となります】

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兵庫・京都へ行って来た・前編

2019年02月25日 09時27分31秒 | ひとり旅の話

当社連休初日の10時前に小雨の兵庫県・コウノトリ但馬空港に到着。リムジンバスで豊岡駅まで移動して宿に荷物を預け、京都丹後鉄道宮豊線に乗り、1時間余りで天橋立駅に到着。日本三景のひとつである天橋立であるが、地上ではその素晴らしさが分からず、高台に上る予定であったが、観光案内所で確認すると次に目指す伊根の舟屋行きのバスの時間が間に合わないとのこと。

青丸が天橋立駅。黄丸の天橋立ビューランドが駅から近いが、バスの発車時間までの40分では時間が無いとのこと】

バスは駅前(赤の星印・下)から阿蘇海を沿うように緑の線で走り、天橋立の向う側の元伊勢籠神社前(赤の星印・上)を経由して伊根を目指して北に走っているようだ。今後の方法を瞬時で判断する。駅で40分待つ選択肢は最初からなく、とりあえず全長3.6kmの天橋立を徒歩で渡り切り、神社前の停留所まで行くことにする。徒歩で約50分掛かるらしいが、東京の不動産屋は雨の中、大小約8000本もの松並木を30分程度で渡り切り、バスに余裕で乗り込み、伊根を目指す。30分ほどで伊根に到着。この舟屋群は明治時代、集落に道路を敷いた際に、海側に舟置き場や蔵などを集積させたのがはじまりとされ、230軒ほど並ぶ舟屋のほとんどは明治中期から昭和初期に建てられたものとのこと。若狭湾のさらに内側にある伊根湾だから可能だった建築方法だったのだろう。

バスの時間まで約90分で街並みを見学したかったが、雨も風も強くなり、散策はほどほどで遅めのランチ(ビール付き)をゆっくり楽しみ、バスに乗り込み天橋立駅まで戻る。行きは30分だったがスタート地点の天橋立駅までは60分とのこと。先程乗車した神社前から駅までさらに倍の30分も掛かるものなのか?と半信半疑だったが、かなり色々な場所を経由(上の地図の緑線の切れている左側)しており、ほぼ定刻通りに駅前に到着。この後、ビューランドに行く予定だったのだが、地図を見る限り、駅前降車だと遠そうだったので、運転手さんに確認し、ひとつ先の文殊で下車。営業時間終了ギリギリの20分前にリフトに乗り、頂上到着。振り返ると絶景が広がっていた。これは感動モノの景色である。

ちなみに日本三景の他の2つである松島は高校時代の修学旅行で、宮島は2014年に訪れたことがあるので、とりあえず日本三景を制覇したことになった(つづく)

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しじみ汁を飲みに行って来た~島根県出雲市・おまけ篇

2019年02月16日 09時36分27秒 | ひとり旅の話

石見銀山のある島根県大田市や今回宿泊した出雲市の街並みを散策していると、片側一面をすぱっと切り離されたような構造の建物によく出くわした。

東京の下町でもたまに見かける「長屋を切り離した」ものだと思われるのだが、とにかく街中の至る所に溢れている。

その切り口が石川五右衛門の斬鉄剣の切れ味を彷彿させる鮮やかさなので、ついつい見とれつつ、「隣の土地は借金してまで買え」と言われるが、それを頑なに拒否する島根の方々の意地とか、切るしかなかった家庭事情とかをひとり勝手に想像しながら散策する。

ちなみに「出雲駅」って不思議な駅名だな~と思っていたら、「出雲大社の最寄り駅と間違えないように」との配慮だそうで、実際出雲市駅からはバスで約25分掛かり、電車の最寄り駅は一畑電車での出雲大社前駅となる。その一畑電車は2010年公開の映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」のモデルとなった作品で、当初の仮題は一畑電車の愛称である「BATADEN」だったそうで、島根出身の錦織良成監督の「白い船(2002年公開)」「うん、何?(2008年公開)」に続く島根三部作最終作とのこと。もし仮題のままだったら映画RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへを間違えて観なかっただろう。

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しじみ汁を飲みに行って来た~島根県出雲市

2019年02月15日 09時54分29秒 | ひとり旅の話

鮮やかな富士山を見下ろしながら、昼前に出雲縁結び空港に到着。2014年8月以来の島根県入りではあるものの、今回初の飛行機での上陸である。

空港からバスで出雲市駅に向かい、駅前のホテルに荷物を預け、山陰本線で大田市(おお)駅まで約40分ワンマン電車に揺られ、駅前からバスに乗り、30分余りで2007年世界遺産登録された石見銀山に到着。(バスの関係で)世界遺産センターを足早に見学し、大森停留所まで戻り、唯一公開されている坑道跡・龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)を目指す。徒歩では片道45分なので2018年9月の池島同様、電動自転車を借りる。石見銀山は1923年の休山まで約400年採掘されてきた世界有数の鉱山遺跡で、あちらこちらに間歩入口がある。

山道を上ること15分程度で駐輪場に到着し、そこからは入口まで約300mを徒歩で登る。「間歩(まぶ)」とは銀を採掘した坑道のことで、1715年に開発された銀の採掘坑道の壁面や天井にはノミで掘った跡がそのまま残る旧坑道へと入る。ひおい抗(小さな坑道)や竪坑(垂直に掘られた坑道)を見学。ただ天井が低い為、新坑道までの157mは少しかがんだ体勢で歩くのはほんの少し大変だった。

新坑道を通り抜け、約400mの遊歩道を歩き、再び自転車にまたがり、坂道をほとんど漕がずに麓まで到着(往復で約1時間)。自転車を返した後、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、銀山で栄えた豪商の住宅などが並ぶ大田地区の街並みを散策。

2016年6月に訪れた岡山県高梁市とも似た街並みを存分に堪能し、遅めのランチ(ビール付き)をし、再びバスに乗り込み、大田市駅経由で出雲市駅まで戻った。

ひと休みしてから夜はホテルおススメの店舗で山陰沖ののどぐろ一夜干し、奥出雲のくみ出し豆腐を楽しんだ後、締めで日本一になった十六島(うっぷるい)の岩のりと同じく日本一の仁多米のおにぎりと共に待望の宍道湖産大粒しじみ汁で締めた。前回食した時のしじみの深みのある味わいに再び感動しつつ、翌朝も朝食でしじみ汁(二杯)を頂戴し、昼頃に出雲を後にした。今回も24時間ほどの滞在だったものの、あれこれとスケジュールを詰め込まず、ポイントを絞れば十分にじっくりと楽しめるものである。

そしてこの旅で「肉類」を食べなかったことに帰った後に気が付いた。(明日はおまけ編)

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斬新な伊丹空港

2019年02月12日 09時00分00秒 | ひとり旅の話

【本日は当社連休初日。予約投稿にて】

飛行機から見える車窓は地上とは異なりいつも興味深い。

富士山がどちら側の窓から見えるのかを調べられるアプリがあり、いつも事前に確認した上で席を予約する。

雲の形がやたら神秘的だったり、

幻想的だったりするので、ついつい見入ってしまう。

機内サービスを楽しんだり、機内誌を読んでいると、あっという間に着陸態勢に入る。

多くの空港では海側から旋回して進んで行くのだが、眼下に住宅を眺めながら着陸していく伊丹空港はいつも斬新である。

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のりつぎ券

2019年02月09日 09時41分54秒 | ひとり旅の話

先日の長崎で乗車した長崎電気軌道の話。

路面電車に乗る機会はなかなかないので、楽しみに乗車するが、乗り方がよく分からず、女子中学生に訊ねながら乗車し、平和公園を目指す。


市内には4つの路線か延びているのだが、平和公園から軍艦島デジタルミュージアムのある大浦天主堂電停へ向かう場合、直接行くことが出来ず一旦「新地中華街」で降りて、「のりつぎ券」を貰わなければならない。何だ?のりつぎ券って?

当日は間違えて蛍茶屋行きに乗ってしまった為、長崎駅前で降車して歩いて向かった。新地中華街まで4駅分なのだが、路面電車の間隔は短いので、大浦天主堂前まであっという間に到着。東京に戻ってから「のりつぎ券」を調査する。

新地中華街停留場での乗り継ぎ(1号系統⇔5号系統)について

スマートカードご使用の際、「のりつぎ券」は不要です。新地中華街停留場にて降車される時、カードより運賃を差し引かせていただきます。乗り継ぎ先の電車で、新たに運賃は差し引かれません。
※30分以内に異なる系統に乗車することが条件です。
※運行経路が重複する1号系統赤迫行→ 5号系統蛍茶屋行、5号系統石橋行→1号系統崇福寺行への乗り継ぎサービスはございません。※新地中華街停留場より外に出られて買物・観光・食事等をされた場合は無効となります。※新地中華街以外の「のりつぎ券」発行停留場はございません。※乗り継ぎは1号系統⇔5号系統でのみ可能です。同系統及び区間が重複する場合はご利用できません。

と色々と注意事項がある。つまり新地中華街では誰でもがのりつぎ券を貰える訳ではなく、1系統(赤迫~崇福寺)での新地中華街のみで発券してくれ、そこで停留場から外に出ず、5号系統にのりかえしなければならないようだ。スマートカードって何だ?

日本人でもなかなか難しいシステムである。インバウンド対策も含めもう少し分かりやすくして貰えると助かるな~と思った。

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ハトシを食べに行って来た

2019年02月02日 10時07分11秒 | ひとり旅の話

今年2回目のひとり旅はハトシを食べに長崎へ行って来た。昨年9月以来5回目(ひとり旅では3回目)の再々訪である。

ハトシとは長崎の郷土料理で海老のすり身などを食パンで挟み、油で揚げたもの。これまでなかなか食する機会がなく、ひとり旅で最近心掛けている「心残り」を拾い集めに連休初日の午前中に長崎空港に到着。空港から長崎駅前までバスで移動し、心残りの一つであった平和公園へと向かう。路面電車の長崎電気軌道の平和公園電停で下車し、エスカレーターを上ると遠くに有名な平和記念像が見えてくる。

この公園は元々浦上刑務支所があった場所で、爆心地から約100メートルしか離れておらず、甚大な被害を受けたそうだ。入園料も入館料も不要な見学に、長崎県民の心意気を感じつつ、いくらかでも頂戴して、それを運営費等に充てれば良いのに・・・と皇居乾通りの一般公開の時と同様の感想。


その足で昨年世界文化遺産への登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」である大浦天主堂へと向かい、原爆落下中心地を見学しつつ、市内へと戻る。

そして軍艦島デジタルミュージアムへと向かう。最新のデジタル技術で軍艦島の生活を紹介してくれるのだが、前回上陸時には見学エリアが限られていたが、島内部の様子を細かく紹介してくれる施設で、とにかく映像が素晴らしい。

また30号棟の1/30模型で築100年以上の内部がよく分かった。その他にもVRで軍艦島上空を見学出来るのだが、いつか実際に中に入ってみたいものである。

ちなみに昨年10月の台風25号で大きな被害を受けた軍艦島は来月まで上陸が出来ないらしい。やはり何事も早め早めの行動が大切である。

【パネルの前で撮影して貰い、白黒にしたら島民気分になれた】

長崎県防空本部跡(立山防空壕)にも寄りたかったが、当日は休館日だったので、これも長崎の心残りリストに追加しておく(他には「池島8階建て共同住宅」と「五島列島」)。そのままホテルへと向かい、予定では途中にある長崎新地中華街でハトシを食べながら、軽く一杯と考えていたのだが、営業時間外や定休日が多く断念。チェックインし、夜は前回も訪れたラーメン店・おにぎり屋とはしごしたら、朝四時起床の影響で気を失いそうになり、早々と就寝。結局ハトシ(と角煮まんじゅうとシースクリーム)はお土産で購入し、翌日帰宅して家族で食べた。どこか懐かしい味に満足満足。

前回の熊本同様に今回も滞在時間24時間未満であったが、慣れた感じの気ままなひとり旅再訪編であった。

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