2010年12月に「勝手に期待するからがっかりする」と書いた。
その時は「がっかり」の後は「勝手にしやがれになる」と書いたが、あれから3年が経過し、「しやがれ」の前には「悲しい気持ち」になると知った。方向性についてあれこれ話し合ったにも関わらず、それとは逆らうように違う方向で行動された時の衝撃はなかなかヘビーである。「状況をよく分かっているはずなのに・・・」と信じて疑わなかった人たちが何事も無かったかのように平然としている姿に愕然とする。またそれが人数が多ければ多いほど、悲しい気持ちはさらに増幅され、最後に「勝手にしやがれ」となる。「しやがれモード」になると自暴自棄的な危険な考え方が頭の中を興奮気味に駆け巡る。
ただそれでもすぐに冷静になれたのは、友人からの「しゃあないなで流すこと」とのひと言だった。さらに「どのみち白黒つけるのは自己満足であって良い方向にいかない」との言葉は、自己満足へ進みそうだった私をしっかりと自制させてくれた。改めて前回のブログを読み返す。「・・・だから変な期待も余計な事もしないように心掛けてはいるのだが・・・」と書いている。その通りである。ただあれから3年が経過したが、今でも成長過程の未熟な私がいる。だから「しゃあないな」で流せそうも無い私は恐らくちょっとした拍子に口に出してしまうだろう。だからもう少し距離感を明確にしつつ、当分の間は色々と自粛しておこう。こんな悲しい気持ちが繰り返されないのであればそれがいいだろう。
子供たちには「見てくれている人は見てくれるが、残念ながら見てくれない人の方が圧倒的に多い」といつも言っているのだが、「こちらが思っている以上に人は筋道を立てては行動はしない」を付け加えようと思う。
そんなことを思った2013年の夏である。しゃあないな・・・しゃあないのか?