夢を見た。
余りにも意外な人物の登場だったので、目覚めてから近況を確認しようと枕元でネットで調べて見た。検索エンジンに名前を入れると、名前と一緒に「死去」のワードが並んだ。
う、嘘・・・目がすっかり覚めた。
サイトには「先月3日に骨髄異形成症候群のため亡くなった・・・」との文字。
その人は・・・本ブログにも2006年7月と2010年11月に登場している須藤薫。高校一年の夏に出会ってから、もう31年のお付き合いである。逝去に際して「よく聴いたな~」とか「好きだったな~」と過去形になるケースが少なくないが、今も私の携帯プレーヤーには彼女のアルバム全曲が入っており、「今も」聴き続けているアーティストのひとりである。
本当に私はあなたの楽曲が好き「だった」・・・ではなく「今も好きだ」。一曲、一曲にキラキラとした眩しい青春の欠片が散りばめられている。高校一年の夏、ユーミンとのライブで衝撃を受け、レコードをすべて集め、カセットテープに録音してウォークマンで聴き、MD、MP-3と機種が変わってもいつも彼女と一緒だった。
学生服姿でひとり観に行った今は無きライブハウス・新宿ルイードを始め、インクスティック芝浦ファクトリー(1987/4/22)、青山ベルコモンズ、(当時の)芝郵便貯金ホール、中野サンプラザ(1988/4/24)や早大の学園祭でのライブも見に行ったものだ。1993年に結婚・出産で休養した頃は、ネット環境がまだ整っていなかった私は所属レコード会社に今後の活動予定等を質問したのが縁で、担当者さんと仲良くさせて頂き、1998年に活動再開の情報等を色々と親切に教えて頂いた。再開後は銀座SOMIDO(1998/12/21)、渋谷CLUB QUATTRO(1999/3/31)、六本木スイートベイジル(1999/12/2)・・・目を閉じれば彼女の歌声が聞こえてくる。私の中でこれだけ多くライブ会場に足を運んだアーティストは他には居ない。もっと見ておけば良かった。
訃報を知った朝、身支度を整えている際、彼女と初めて出会った曲「FOOLISH~渚のポストマン」を流した。享年58歳・・・最後に夢に出て来てくれて有難う。これからも聴き続けます。そしてまたいつかHELLO AGAIN・・・心から合掌・・・