先日の『漢字検定』の掲示を読んだ現在地元神戸で小学校の先生をしている元バレーボールチームメイト(K先生)からメールが届いた。メールでは簡単にどのような方法で書き取りしていたのかを説明したが、当時の担任の人となりや詳細を併せて説明しよう。
小学校5~6年の時の担任「サダコ」先生はとにかく厳しくそして怖い先生で、生徒が悪さをすると緑色のプラスチック製の細い棒を鞭のようにしならせて、空気をするどく切りながら男女問わず生徒の裏太腿を叩いたものだ。今の体罰禁止の「お優しい」時代では考えられないことだが、ほぼ毎日のように友人が餌食になっていた。でも叩かれても仕方がないようなことをしていたので、それが問題になるようなことはなく先生と生徒のルールが確立されていたのだろう。親に知られるとさらに怒られるので足にアザがあっても隠していた時代だった。(今もその当時の友人に会うと、その鞭の話となるのだが、私はあまり叩かれた記憶がないいい生徒だったのか?要領の良い生徒だったのか?)
宿題は毎日漢字の書き取りと自由課題の2点セットだった。自由課題はあまり記憶がないのだが、漢字は確か200マスのノートを2ページ計400マスがノルマだったと思う。国語の教科書の後ろに小学校で習う漢字一覧が低学年から順番に掲載されており、それを一文字ずつ順番に熟語にして一行を埋める。埋めたらまた次の漢字を書いて行く。この繰り返し・・・(例:漢字が『田』の場合、田園・田園・田園・・・で一行。そして次の漢字)
つまり一日で20行なので20個の漢字の熟語を毎日毎日20種類書いて行く。低学年の漢字は一とか二と画数の少ない簡単なものなので、サインを書くようにサラサラ~と早く終わるのだが、学年が上がるほど画数が増え非常に時間が掛かった。だから六年生の漢字を「卒業」してまた低学年に戻る時は、本当に嬉しく、帰り道もどこか軽やかだった記憶がある。
また同じ熟語を毎回やっていると飽きるので熟語を色々変えてみたりもした。(『明』の時に、当時流行していた漫画ドカベンの高校名『明訓高校』と書いたりした)この熟語が結構重要で、ただ漢字一文字だけならばそれほど頭に入らなかったかも知れない。
そして途中から「土曜日の宿題を全員忘れなかったら、日曜日の宿題はなし」と有り難い制度が導入された。だから土曜日の朝、登校すると先生が来るまでにクラス全員で宿題のチェックをした。忘れた生徒が居た場合は、それはそれはクラス中からブーイングの嵐となり、忘れた生徒は一時間目終了までにせっせと隠れて宿題をしていたものだ。(一時間目が体育の時はどうしていたのだろうか?)
それにしてもそのクラス全員の宿題を先生は朝預かり、帰宅時間までにすべて添削して生徒に返してくれた。その労力たるもの本当に大変だったと今になって改めて思う。そのおかげで今もそれなりに漢字については自信がある。
私にとってあの先生は数少ない恩師のひとりかも知れない。先生あなたは本当に素晴らしい先生でした
有限会社やな瀬不動産