市民まつりの旧桔梗屋会場で交流した後、藤沢宿ふるさと宿交流館に立ち寄り、旧東海道の名所の常光寺の弁慶塚、永勝寺、妙善寺を巡ってきました。
ふるさと宿交流館では、当時の藤沢宿の様子や藤沢の歴史などを知る交流の場となっていて、この日も藍染めの体験会が行われ、館内には藤沢宿のジオラマが展示されていました。
交流館前には、宿場の中心に置かれていた「高札」も移されていました。
館内には、藤沢宿場街の境川周辺の様子のジオラマ模型が展示されていました。
藤沢宿は、遊行寺の門前街とも呼ばれていて、遊行寺の入口だった大鋸橋(遊行寺橋)は、江戸時代に大名行列が渡ったといわれる橋で、現在は朱色の欄干の橋となって「かながわの名橋百選」に選ばれて賑わいの橋となっています。
当時は、江の島一の鳥居が東海道にあったようですが、その様子の藤沢宿の賑わいを描いた歌川広重の浮世絵が、トランスボックスに描かれています。
遊行通りから旧東海道の西側の常光寺の裏山には、かって弁慶を祀る八王子社があったようで現在は、弁慶塚と庚申塔など多くの石塔が残されていて、源義経公を偲ぶ史跡となっています。
弁慶塚の前には、歴史を感じる古木のタブノキが幹の中は空洞となっていますが、多くの枝を伸ばして生命力ある姿が見られます。
東海道沿いの常光寺横の浄土真宗の「永勝寺」では、山門を入った墓所に藤沢宿で繁盛した旅籠で働いていた「飯盛女の墓」が39基設置されています。
墓地の中には、大木のイチョウの木が銀杏の実をつけて、木の下には、多くの銀杏が落ちて匂いを発していました
永勝寺から東海道の北側にある「妙禅寺」では、本殿前に大木のイチョウの木も見られ、境内には、藤沢宿の本陣職を務めた蒔田家の墓がある宿場の歴史スポットとなっているようです。
また広い境内の西側の正宗殿には、鎌倉時代の刀匠の正宗を冠したお稲荷さまで、最澄大師が祀られているようです。
参道脇には、狐さんや龍などの動物を模した石灯籠も飾られています。
藤沢宿には、他にも江戸時代に賑わった多くの藤沢宿の歴史が刻まれたスポットが残されて、当時の様子を伺える人気の様子を知る機会を期待したいと思っています。
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