「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「いろづく」

2008年11月05日 | 季節の移ろい・出来事
たった一日の中で、今日は一年の四季を味わったほどの思いがする。朝は冬並みの寒さ冷たさ。午前中は春3月下旬の陽気。午後は夏を思わせる暖かさ、そして日暮れが近付くと季節通りの秋となった。 
羽織ったり脱いだりまた着たり…体温調節など体調管理がややこしい。

身のまわりには、色づいたピラカンサスが真っ赤な実を付け、目の前にある冬を手招きしているように見える。

いろづく……なんとなくいい言葉だなーと一人悦に入る。完全に実りきる一歩手前、熟しきる前の未だ頼りなさが少し残っている状態。これがたまらなく興味をそそる。人間で言うと、どのあたりを言うのだろうか。 これに毛がはえて「いろけづく…」となると、とたんに下世話な話になりそうだ。しかしみんなそうやって成長してきたのではある。

いろづいた程度の今の状態では、小鳥も餌として認めないのか、ついばみもしない。
六十路半ばの秋が行きかかってはいるが、出来れば今のピラカンサスのように、いろづいた状態でいられたらいいな…などと欲を起こす。 熟してしまえば後は小鳥に食べられるか、枯れ落ちるだけである。

人生もう少し先があるのだろうから、熟すのはもっともっと先でいい。と言ってもこれ以上熟しようがないのかも知れない、あるのかも知れない。いずれにしても「まあ!いい色だねー…」なんて評価される完熟前でいたい。
そして黄泉路の川の渡し船から此岸をふり返ったとき、熟していたよーという一声が聞かれたら嬉しいだろうな。

ちなみにピラカンサはギリシャ語で「火のトゲ」という意味だそうな。幹が変形したトゲが無数にあることから、スが付いてピラカンサス。たちばなもどき・ときわさんざし などとの総称となっている。花言葉は「慈悲」これも好きな言葉のひとつである。ないものねだりかもね。

      ( 写真:幹や葉っぱを覆い尽くすように赤くいろづいたピラカンサス )
コメント (7)
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