「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「丹精」

2008年11月06日 | 季節の移ろい・出来事
秋深し 隣は何を……と思っていたら、明日はもう暦の上では冬を迎える立冬だそうな。
肌寒さを感じて当たり前な季節である。

暖かな陽差しを拾うように、錦帯橋に連なる吉香公園に足を向けた。
歩いて行けばいいようなものだが、半日はゆうにかかるので、残念ながらクルマに頼らざるを得ない。

ゆっくり散策するには絶好の場所である。紅葉は今一ながら、何とはなしに歴史や武家文化の匂いがして、妙に心安らぐ空気の美味しい空間である。

幸いなことに、菊花展が催されていた。 カメラに収めながらゆっくり見て歩いた。 まさしく「丹誠込めた」という言葉がピッタリの、それはそれは美しい菊の芸術であった。丹念に見なければ、作者や菊に対して申し訳なさを感じたほどである。

丹誠…まごころを込めて何かをすること、とある。
腐葉土作りにはじまり、苗を植え付けるまでの土壌改良。苗を植えたら、肥料・水遣り・日よけ・芽摘み・枝作り……まさしく一年がかりの芸術作品。

他より先に開きたかった花もあったろう、勝手に伸びたい枝もあったろう。しかしそんなスタンドプレーは許されない。飽くまでも作り手の感覚・感性の前には、菊自信の意志など聞いてはもらえない。ある意味、封建的で可哀想な世界でもある。

我々が長年働いてきた管理社会に似ている。異なるのは、菊の場合、そうやって完璧に管理されることによって、結果的に見事に花開き賞賛され、感嘆の言葉を贈られる。 ところが我々はどうだ?管理はされたが、賞賛も感嘆も特には与えられなかった。そこが根本的に違う。 でもまあその時代を通り越したお陰で、速く咲こうと咲くまいと、勝手に枝を伸ばそうとも、自由気ままな今がある。

それにしても、よくできている。やっぱり美しいものは美しいと評価できる素直さを忘れてはいけないなー。

       ( 写真:芸術品が並んだ 菊花展 )
コメント (11)
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