「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「褒め上手」

2009年03月06日 | つれづれ噺
この世の中で、「褒め上手」と言われる人に出会うとホッとすることがある。
“またうまく乗せられるているな……”と思いながらも、まんざらでもない気にさせられる……相手をその気にさせてしまうのが、褒め上手と言われる人の神髄なのだろう。 

褒められる側も、多少なりともその気がある部分をくすぐられると、間違いなくいい気分にさせられる。
自分では気が付いていない部分を、開拓してくれるような褒め言葉はまた格別である。 
残念ながら滅多にそのような場面に出くわさない。己の不徳の致すところを棚に上げて……。

それに今更思うのは、会社現役の頃の職場で、多くの若い同僚や後輩をもっともっと褒めて上げればよかったなーという反省である。「褒める…」元手も何にもいらず、言葉やちょっとした態度で、相手を気持ちよくさせこちらの意を汲んでもらえただろうに。それがいい職場雰囲気作りに貢献しただろうに…と思うことしきりである。
「あの人は厳しいからネー」という評価はよく耳にしたが、あの人は優しいから…とか、褒め上手だねーとかは残念ながらあまり聞こえてこなかった。

子供に対しても、家庭の中でも似たような不遜なオヤジだったのだろうなと思う。
今はどうか…大きく変わらない。分かっちゃいても変わりようがない。責めて孫にだけは嫌われないように、褒め言葉を探しながら付き合っている。付き合ってくれている。

ただ、褒めりゃーいいてもんじゃない。かつて褒め殺しという言葉が流行ったこともある。
その人の何を基準に褒めるのか、対象を引き合いに出して褒められても嬉しくない事が多い。
もしも比較対象で褒めるのなら、本人の過去を基準にして上げるのがいいのかな、と思う。それは、本人は常に努力していることを認められたことに気付かされるからである。自尊心をくすぐられるのは快感につながる。

今回の絵は上手に描けたネー、この前もよかったけどまた少し上手になったネー…と。
間違っても、「兄ちゃんより上手ネー」はタブーである。本人は褒められたとは感じないだろう。

ちょっと奥の深いところへ首を突っ込んでしまった。また時に触れ・折に触れて褒める難しさ・褒められる嬉しさ…あれこれ考えてみたい。

      ( 写真:犬の母親が、種類の違う子供を褒めながら?大切にしている…)
コメント (10)
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