「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「文楽鑑賞」

2009年03月21日 | 趣味・・エッセイ
人形浄瑠璃文楽。生まれて初めて、その本物の中に溶け込んだ。
といえばかっこいいのだが……。そんな生やさしいものではなかったというのが第一印象。
それでも、人間国宝・鶴澤寛治師の三味線。同じく人間国宝・吉田文雀師のしなやかな人形遣い。

これら、文楽という古典芸能・伝統芸能に初めて触れて、直接拝見できたことは、またひとつ心の中に大きなひだの一枚が加えられたと感じている。
その芸の奥深さ・奥ゆかしさはやはり他では味わえない、他とは違う素晴らしさと感動を堪能した。

客席の上手(舞台に向かって右側)に張り出した「床」と呼ばれる、小さいながらも一段高い舞台で、浄瑠璃(義太夫節)が演奏される。その演目や太夫と呼ばれる浄瑠璃口演者と義太夫奏者の紹介などの「口上」で舞台・物語は始まる。


「二人三番叟」(ににんさんばそう)・「御所桜堀川夜討」(ごしょざくらほりかわようち)そして「傾城恋飛脚」(けいせいこいびきゃく)三演目。
解説書など若干の知識をもっては行ったが、実際の浄瑠璃の語り口だけではなんとも理解しにくく、ともすれば、低音の浄瑠璃三味線が子守歌に変わったりする。 そこで、浄瑠璃語り口の原本となる「床本」のコピーが全ての頼りとなる。只、語りに合わせて文字を追っていると、肝心な人形の動きが見えなくなる。

予備知識も少ないままの初体験ではあったが、文楽には文楽独特の格式・伝統を感じる。また歌舞伎に歌舞伎の、文楽とは異なる芸の高さを感じる。いずれにしても、本物のに直接触れると、色んな幅広い感覚が生まれてくることは確かである。岩国の文化を育てる会に感謝しよう。
コメント (11)
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