昨年の今日、まだ介護型療養施設のベッドで間違いなく呼吸している母を見舞った。
数日前から酸素マスクが必要になるなど、なんとはなしに気に掛かる病状であり、姉や妹には極力度々見舞うよう連絡していた。さらに4つ違いの叔母さん、母の妹にも何度となく迎えに行っては母の元に行ってもらった。
酸素マスクの下で、せわしなく大きな息をする母の手を取り、「えらいのー、もうちっとがまんおせーよ…」と耳元でささやきながら、姉妹の意思の疎通を図ろうとする必死の叔母さんの姿、今もこの目に焼き付いている。
この頃には、食事も我々の手には負えなくなっていた。
見舞いとして病室を訪れてもほとんどすることもない。ただ看護士さん・介護職員さんにひたすら「よろしくお願いします…」を繰り返す日々となっていた。
それでも、なんとか行くたんびに顔を拭いてやりたいと思う。でも酸素マスクは外せない、仕方なし二の腕をさすってみる。か細い骨に薄いセロファンのような皮膚が巻いついているだけ。それでも必死に生きていた。
時間の経過と共に、なんかしら母の傍にいてやらなければ…という焦りを感じる。自分でも説明できない不思議な時間が流れた。
邪魔になりそうな酸素マスクの下で喘ぐ母の荒い息。見るのが辛い。ほんの一瞬、「苦しいのなら早く楽になった方が幸せなのではないだろうか」「こう考えるのは親不孝なのだろうか…」
永遠に忘れることの出来ない切ない思いに包まれ、その前夜は静かに更けた。
数日前から酸素マスクが必要になるなど、なんとはなしに気に掛かる病状であり、姉や妹には極力度々見舞うよう連絡していた。さらに4つ違いの叔母さん、母の妹にも何度となく迎えに行っては母の元に行ってもらった。
酸素マスクの下で、せわしなく大きな息をする母の手を取り、「えらいのー、もうちっとがまんおせーよ…」と耳元でささやきながら、姉妹の意思の疎通を図ろうとする必死の叔母さんの姿、今もこの目に焼き付いている。
この頃には、食事も我々の手には負えなくなっていた。
見舞いとして病室を訪れてもほとんどすることもない。ただ看護士さん・介護職員さんにひたすら「よろしくお願いします…」を繰り返す日々となっていた。
それでも、なんとか行くたんびに顔を拭いてやりたいと思う。でも酸素マスクは外せない、仕方なし二の腕をさすってみる。か細い骨に薄いセロファンのような皮膚が巻いついているだけ。それでも必死に生きていた。
時間の経過と共に、なんかしら母の傍にいてやらなければ…という焦りを感じる。自分でも説明できない不思議な時間が流れた。
邪魔になりそうな酸素マスクの下で喘ぐ母の荒い息。見るのが辛い。ほんの一瞬、「苦しいのなら早く楽になった方が幸せなのではないだろうか」「こう考えるのは親不孝なのだろうか…」
永遠に忘れることの出来ない切ない思いに包まれ、その前夜は静かに更けた。