「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「最初で最後の・・・」

2011年12月16日 | 季節の移ろい・出来事

     

今年の暮れは、どうしたわけか子どもたちのしめ飾り体験教室に二度も付き合った。
どちらも、4年生が行う体験学習の一環であり、5年と3年の我が家の孫とは縁がなかった。

若いころ、父親がしめ飾りを作って商いをしていた一時期がある。
10月に新米が取れた後の真新しいワラを大量に購入し、青さを保つように保管し、11月半ばから一気に縄をない始める。縄は「なう」というのが正式な呼び方である。
何百とない上げた縄に、ユズリハ・橙・金紙・扇などを取り付ける。毎年毎年この時期になると、夜が更けるまで総動員令がかかる。そしていよいよ販売の前夜にウラジロを結びつける。これが大変な作業。そして寒い寒い道路わきで道行く人に買ってもらう。

あまり自慢の出来る思い出話ではないが、生きるという実感、お金を稼ぐという厳しさを植え付けられた、貴重な体験だったな・・・と今では思える。当時は辛かったと思う。
しめ縄とは左ないで、右ないには多少の経験があるだけに、なかなか左ないが出来なくて、父親の助けにならなかったことを思い出す。

地方や祀られる神様によって、しめ縄が右ないであったり左ないであったりする。
この地方のしめ飾りは、太古の昔から左ないである、との説明が長老からなされた。何故左ないなのか確固たる理由や言われがあるわけではないような。少し曖昧。

普段ワラその物を見ることさえ少ない子どもたちに、左縄をなわせる・・・。出来るのか?と思ったが、右ないも全く経験ない彼や彼女にとって、縄とは左ないするものだと思いこませば上達も早い。長寿会や地元の有志などの指導を受ければ、始めてから少しすると、あちこちで、やった!出来た!の声が上がる。

しめ飾り作り、人生のうちで最初で最後の体験かもしれないが、一度は手に取ってやってみることは無駄ではない。そして長老から「新年に戸口にこれを張るのは、わざわいをもたらす神や不浄なものが内に入らないように、縄張りの意味がこめられています」などと故事来歴の一端を教わる貴重な体験になるのだろう。

遠い昔を思い出しながら、少し妙な気分で子どもたちの手さばきを眺めた。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい