「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「神無月ついたち」

2020年10月01日 | 季節の移ろい・出来事

   
        小高い丘の木々の葉を分けてゆっくりと顔を出す中秋の名月

      

   名月を 見上げる顔に 黒マスク    駄作

年に一度訪れる「月見る月はこの月の月」。今年は雲も風も雨もない穏やかな旧暦8月15日、見事な中秋の名月を迎えた。絶好のお天気に恵まれ、煌々たる美しを誇る十五夜お月さんだというのに、残念ながら観月の夕べなどといった催しは全て中止を余儀なくされた。お月見のお供えの向こうで流れる妙なる琴の音も、今年は聞こえない。

黒やグレーのマスクして観月お茶席に並んでもねー。風流のふの字も味わえたものではないような。
琴尺八とくれば吟詠である。そんな吟詠などといった、大きな口を開けて大きな声を出す仕草は、今年の場合は何よりのご法度である。慎まなくてはならない。そんなことならいっそ何もしないのが無難だとばかりに、なにかもやらない、できない。

戦国時代を駆け抜けた武将茶人も愛した名水、と呼ばれる「桜井戸」はすぐ近くにある。毎年地域の人のお楽しみイベントとして、お茶席やステージパフォーマンスで大盛況であった。
少し足を延ばせば、小高い山の上にある岩国城の観月茶会。ふもとにある作家宇野千代生家では、月の明かりで宇野千代作品を読む観月朗読会など、スケールは小さくてもそれぞれに工夫したイベントがあった。それらが、にっくきコロナのせいですべからく中止。

たら、ればの下らぬ詮議をしても仕方ないが、ことほど左様に精のない秋半ばではある。但し、コロナも何もなくて順調な中秋の名月を迎えたなら、どれか一つに顔を出す程度で、あれもあったこれもあったと数えてみることもない。そのくせに、出来ないとなったとたんにあれもこれもあったのに、と嘆くのは天邪鬼というものだ。

家の窓から東の空に、ゆっくり上がる満月の写真も撮ったし、まあ良し、と妥協点を見つけることにしよう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい