半分は趣味ともいえるボケ防止の文筆活動が終わった。長らくの愛読者だった友人夫妻に、感謝と活動の終わりを知らせる葉書を出した。
「葉書を頂きました。長い間ご苦労様でした」のあいさつに続いて「実は……」と奥様が言いにくそうに電話の向こうで口ごもる。何かあったな!長年のお付き合いの勘でピンとくるものがあった。
「実は主人は3月半ばに2回目の脳梗塞で倒れ、2週間後の3月終わりに亡くなりました」とのこと。
まさに晴天の霹靂。一瞬言葉が出ないほどの衝撃を受けた。知らせるべきか悩んだけど、コロナ危機の最中で、葬儀も家族だけで済ませた。主人と私二人きりでのお別れをしっかりしましたから、結局お知らせしなくてごめんなさい。とのことであった。何故知らせてくれなかったの?とは云わなかった。云うべきではない言葉だと思ったから。でも、彼の最期は知らせて欲しかった。最期というより、倒れた時点で連絡だけは欲しかった。
彼が3歳下の弟分で、温厚篤実、柔らかい物言いのボンボン。こちらは、ちょっと粋がって少しやんちゃな兄貴分。そんなアンバランスが、それこそ人もうらやむような本当の兄弟のような仲で50年近く付き合ってきた。マージャンは生涯の好敵手。カラオケはアタシが先生?農業仕事は彼が先生。
彼の結婚式には司会も仰せつかった。余興では頼まれもしないのに、相撲甚句になぞらえてお祝いの一節をぶち上げたのを覚えている。考えに考えたオリジナル歌詞は今でも頭に浮かんでくる。
1回目の脳梗塞の後見舞った時に「誰か解る?」という奥様の問いかけにすかさず「けんちゃんじゃ」と、にっこり笑って答えてくれた。「他の人はほとんどわからんのにYさんだけはすぐに解るんじゃねー」と奥さんに、二人の中をうらやましがられたこともある。
長い人生の中で、そう多くはいない友情を深く胸に刻んだ友。そんな彼の訃報を7ヶ月もたってから知らされるとは。これもひとえに「コロナ禍」の犠牲である。ここにも憎むべきコロナがいる。
コロナ騒動の前に会った彼の笑顔を思い出しながら、明日はお線香を手向けたい。今回は相撲甚句に乗せられない分を心の中で「有り難う・ありがとう」と感謝を述べよう。良き友よ安らかに。 合掌