「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋たけなわ」

2020年10月14日 | 季節の移ろい・出来事

      

       ふと匂う誰も知らない金木犀      三宅 やよい

       いつしかに金木犀の香る庭       堀尾 早苗

この季節に咲く花は数々あれど、香り高きといえば、やはりあの鼻をくすぐる金木犀であろう。
まさに秋たけなわ。スポーツに読書に、ついつい一つ余分の食欲に。そして色鮮やかな紅葉とくれば、1年の中でも楽しみ多い季節である。

「秋たけなわ」「宴たけなわ」「・・・妻を娶らば才たけて・・・」などとごく普通に使う「たけなわ」とは。
いちばん盛んなとき。最高潮に達したときなどを言う。「日本シリーズ、セの覇者とパの覇者の戦いは今まさにたけなわ」などとアナウンスされると、我が愛するカープとは全く縁がない戦いでも、ちょっと覗いてみようかとそそられる。

そして今ひとつ、たけなわが略されて「たける」「たけて」という言い方がある。こちらは盛りを過ぎてやや衰えかけたときを表すのに使うようだ。「吾輩は齢すでにたけて、その任にあらず」などと言う。
さらに「才たけて」と言えば「才が十分に備わっている。すぐれているいる」などと使う。「臈たけて」とくれば、年功を積む。経験を重ねると、プラス思考に捉えられる。ここにも日本語の奥ゆかしさというのか、難しさが潜んでいる気がしてならない。

そんなどっちでもいいようなことにふとこだわってみたくなるのも、物思う秋という季節の特徴とでも言うのだろうか。
そして思うのは「人世のたけなわ」とは短いものだ、儚いものだといううつむき加減に落ち着いてしまう。
なんのなんの「我が人生今がたけなわよー!」と、少し無理があっても、前を向いて胸張ってみるほうが楽しいよねー。

姿は見えなくても、その香りで存在感を示すキンモクセイのような生き方。つまり、何でもかんでも口に出さずとも、そこに居るだけでそこはかとない存在感を示すナイスガイ(古いフレーズだねー)。小生には縁遠いだけに憧れもあるが、そんな奴はこの頃少なくなったよねー。

コメント
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