1週間を経過した、広島土砂災害の現場(報道写真借用)
この夏の異常気象による豪雨災害は、今さら言うまでもないほど日本列島各地に大きな大きな爪痕を残した。
中でも、100万都市広島のベッドタウン的な、広島市安佐北区・南区・可部地区などの住宅密集地を襲った土石流。
発生が20日未明だったので今日で1週間を過ごしたことになる。
降り続く雨による二次災害の危険を考慮したり、想像を絶する土石流の膨大さによって、重機による効率的な作業を阻まれ、復旧作業が思うように進展していない様子。テレビ映像や、新聞写真を見るたびに胸が痛む。
災害発生直後に、中学校同窓会名簿を調べてみた。
広島市安佐北区・南区に4人の同級生が住んでいることが分かった。すぐに電話しようか、と思うには思った。
「待てよ、混乱極まりないところに電話などしたら迷惑千万であろう・・・」
「もしも何事か起こっていたらどうしよう・・・何と言えばいいのだろう・・・」
などと、正直なところ一時は最悪の事態も頭に描いてうろたえてしまった。
逸る気持ちを抑えていると、今度は電話すること自体が怖くなってき始めた。
「あの柔和な彼に、こんな結末が訪れるはずがない」「あれほど積極的に生きた彼女が災害などに負けはしないだろう」などと、一人ひとりの顔を思い浮かべるうちに、電話機を取る手が益々縮かんでいく。
そしてついに1週間。思い切って4人に次々電話した。電話機を手に、目をつぶって祈るような思いでダイヤルを回す。
「もしもし、〇〇です」「オッ!〇〇君、岩国の△△です、中学校同窓会の」「オーオーあんたかー、どうしたの?」という彼の声。
「これこれしかじかで電話したんよ」「少し離れていて、特に何もなかったよ」。一人目の無事確認。安堵の胸を撫で下ろす。
二人目。「家の前も後ろも横も水浸し、幸い自宅は大丈夫だったんよ、ただ少し離れたところの事務所一階が土砂にやられた、でも私たちは大丈夫。主人はずっと近所の復旧に出かけている」と。よかった、無事を確認。
三人目も同様に、「1メートル地上げしていたお蔭で、家屋への土砂流入は免れた」。最後の一人も、「クルマで20分離れたところなので無事だったよ」と。
それぞれに、きわどいところではあったが兎に角、命も財産も大きく損なうことはなかった、との返事。
何よりも、本人の無事な声が聞かれたのは、同窓会幹事を受け持つ小生にとって最高の喜びであった。
もしも彼らに何事かあれば、ボランティアに駆け付けようか、いやロートルが出て行って足手まといになっては却って迷惑。それより同級生の善意を集めようかとの心配もした。危惧に終わったことを喜びたい。
その分を、また別な形で被災者支援に手を貸したいと思っている。
4人が4通りの感謝を示してくれた。たった1本の電話が大きな成果をもたらした。
向こう1年の間に開くであろう中学校同窓会。彼や彼女が元気な顔を見せてくれる楽しみが増えた。
それにしても未曾有の大災害。行方不明者の迅速な捜索を心から願うとともに、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。合掌。
お互い気持ちが通じて良かったですね。
実は私も同じ安佐南区に友人が居るのです。賢ちゃんと同じ気持ちでいました。
すると、1昨日、たまたま別の要件でTELあり、彼女に関係する所では何もなかったことを聞きましたが
報道を聞くにつけ、何とも最近では悲しいことが多すぎますね。
お友達を気にかけて、お電話をされようとした時の緊張感、不安感は記事を読んでいる時でさえ、体が震えます。
皆さん、ご無事で本当に良かったですね。
犠牲になられた方々には心よりご冥福をお祈りいたします。
思い切って電話して、彼も彼女も命の危険などに晒されていなくて、本当に良かったです。
武ちゃんも、災害には早めの注意をね。
4人のうち2人は、家の周りが泥水に覆われるなど、厳しい状況でしたが、幸い大事には至らずということでした。
兎に角、4人とも無事で安心しました。
いつどこで何が起きるか分からない世の中。先ずは自分の命を守る方策を日ごろから考えないといけませんね。
本当に恐ろしいことであり、被災された方の無念は如何ばかりかと。
同級生4人の無事が確認できたことは不幸中の幸いです。
元気な声で話が出来て本当によかったです。
未だ行方が分からない方、犠牲になられた方、本当にお気の毒です。ご冥福を祈りましょう。
私たちも、普段から、なんとしても命を守る方策を模索しておかないといけませんね。