“ 我が恋は 磯のアワビの 片想い… ”
ものごころついてから、何度も何度も経験してきた磯のアワビの片想い。
数えれば……両手にあまる…そんなもんじゃない、もっとかも…。
しかしこれは、誰に迷惑をかけるでもなく、嫌な想いをさせるでもない。ただ一人静かに、自分の中だけで恋心に浸っている淡い淡ーい物語である。
これがなかったら、生きている資格がないとさえ思っていた一時期もあった。
ここでいう永遠の片想いの主は、脚本家で先ず有名になり、小説やエッセーの名手とうたわれた、直木賞作家、向田邦子さんである。
先日、我が愛読の新聞に「向田邦子さん最後?の講演、取材メモで27年ぶり復活」という見出しが踊っているのを見つけた。
この講演会は、飛行機事故で亡くなる約半年前に、広島、中国新聞文化センターが特別教養講座の一環として開いたもので、売れっ子だった彼女に「怖いことば」と題して講演してもらった内容を取材記者がメモっていたものを、27年ぶりに活字として復活させた。それが「オール読み物12月号」に掲載されると報じていた。
何は置いても買い求め、片想いの相手の考え方に直接触れる思いで読み返しているところである。
最初に向田邦子という名前を知ったのは、「7人の孫」というテレビドラマの脚本担当だったと思う。次いで、「寺内貫太郎一家」そして「時間ですよ」など大ヒットのホームドラマの脚本が彼女の手による物であることに驚いた。
一瞬ではあるが、上京して脚本家の内弟子になろうか…と考えたこともある。そのくらい印象の強い人だった。
嫌味のないユーモア、しつこくない人情味、軽妙な言葉のキャッチボール。
全てが彼女の人柄のような気がして熱くなったものである。
講演の内容など書きたいことがいっぱいある。が、多すぎて長くなるので今日はひとまずここまでにしよう。日を改めて気に止まった言葉などをご披露することにしよう。
( 写真: キリッとした向田邦子さん、講演前の楽屋 当時50歳 )
ものごころついてから、何度も何度も経験してきた磯のアワビの片想い。
数えれば……両手にあまる…そんなもんじゃない、もっとかも…。
しかしこれは、誰に迷惑をかけるでもなく、嫌な想いをさせるでもない。ただ一人静かに、自分の中だけで恋心に浸っている淡い淡ーい物語である。
これがなかったら、生きている資格がないとさえ思っていた一時期もあった。
ここでいう永遠の片想いの主は、脚本家で先ず有名になり、小説やエッセーの名手とうたわれた、直木賞作家、向田邦子さんである。
先日、我が愛読の新聞に「向田邦子さん最後?の講演、取材メモで27年ぶり復活」という見出しが踊っているのを見つけた。
この講演会は、飛行機事故で亡くなる約半年前に、広島、中国新聞文化センターが特別教養講座の一環として開いたもので、売れっ子だった彼女に「怖いことば」と題して講演してもらった内容を取材記者がメモっていたものを、27年ぶりに活字として復活させた。それが「オール読み物12月号」に掲載されると報じていた。
何は置いても買い求め、片想いの相手の考え方に直接触れる思いで読み返しているところである。
最初に向田邦子という名前を知ったのは、「7人の孫」というテレビドラマの脚本担当だったと思う。次いで、「寺内貫太郎一家」そして「時間ですよ」など大ヒットのホームドラマの脚本が彼女の手による物であることに驚いた。
一瞬ではあるが、上京して脚本家の内弟子になろうか…と考えたこともある。そのくらい印象の強い人だった。
嫌味のないユーモア、しつこくない人情味、軽妙な言葉のキャッチボール。
全てが彼女の人柄のような気がして熱くなったものである。
講演の内容など書きたいことがいっぱいある。が、多すぎて長くなるので今日はひとまずここまでにしよう。日を改めて気に止まった言葉などをご披露することにしよう。
( 写真: キリッとした向田邦子さん、講演前の楽屋 当時50歳 )
若さに任せて、ミーちゃんハーちゃん的発想で、あこがれを抱いたのでしょう。
これから少し時間をかけて本格的に彼女の作品をひもときます。
今後の参考になれば、熱い思いの再燃が功を奏しますね。
飛行機事故はまさに容赦なく惜しい人の命も奪いますね。
たら・れば、はいけませんが、飛行機事故がなかったら、橋田壽賀子さんをしのぐ、人情味あふれるドラマが広まっていったでしょうね。
脚本・演出は32歳の若さ。若い世代に作品が手渡された、バトンタッチされたことを作品冥利に尽きると。
関わる人との縁は赤い糸だと信じていると。
yattaro-さんの熱い思い、再燃。
yattaro-さんのイメージがまたひとつ広がりました。
彼女の作品は私も大好きです。とりわけ感動したのは
「阿修羅のごとく」「あ・うん」でしょう。テレビドラマなのですが、何回見たか分かりません。せりふが頭のどこかにこびりついて残っていますね。
彼女が卒業した「実践女子大」の門の前で、「この入り口から入ったに違いない」としばし佇んだことがありました。「ままや」も繁盛してましたが、今はお店をたたまれたそうです。
台湾での飛行機事故さえなかったら、もっともっと
いい作品が出来たことでしょう。本当に残念です。
もしかして、yattaro-さんも脚本家になっていたかも知れませんしね。
講演の内容是非伺いたいです。お願いします。
「父のわび状」はじめ、エッセイ集などを、今の自分の感覚で読み返してみたいと思っています。