開会式を前に、いよいよオリンピック競技が始まった。
昨日のソフトボール、なでしこジャパンサッカーなど、先ずは順調な滑り出しを見せている。
ただ、昨日を迎えるまでのTOKYO2020は、新型コロナウイルス感染拡大に世界中が翻弄される中にあって、数え上げればキリがないほどの紆余曲折を経験した。
それでも時の流れはとどまることを知らず、様々な声が飛び交う中で開会の時を迎えた。タイトルは飽くまでもTOKYO2020であるが、1年の延長があったのだから実質TOKYO2021と呼ぶべきではないかという疑問は持っている。それにしても、4年間という限られた時間の中で、極限まで自らと闘い、自らを高めるためにあらゆる努力を積み重ねたアスリートにとって、さらに1年間の延長とはどれほどきついことだったか。我々には想像もつかない壮絶な闘いであったに違いない。
そんな経過の上で開会が決定した瞬間も、周囲の色んな声のボリュームが大きくて、アスリートの多くが「オリンピックを闘っていいのだろうか」という疑念にさいなまれるケースも少なくなかった。しかし、そこはスポーツ選手という原点に立ち返って、鍛え上げた自らの限界をさらけ出して頂点を目指して欲しい。そこにこそ、応援する私たちの感動の涙を誘う結果が得られるのではないか、そして自らの達成感を味わえるのではないかと思う。
紆余曲折あったTOKYO2020も、鍛え上げた肉体で限界に挑むパフォーマンスを見せてくれることで、少しは救われる部分はあると思う。何をやってもどっちにしても、100%の賛成なんて金輪際ありはしないのだから。ただ、観客として競技や演舞を楽しむ我々には、コロナ感染対策という自らを律する責任と義務を忘れてはならない。コロナ観戦者の数値が一向に下がらない都会に住む人たちは、コロナの怖さを知っているのか?訊いてみたくなる。
先ずは、日本選手の活躍、世界中の選ばれた人たちの活躍に拍手を贈りながら、オリンピックを堪能したい。
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