『明治5年(1872年)10月14日に新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通したことを記念して、平成6年、10月14日を「鉄道の日」と定めました。
この日を中心として、JR、民鉄等鉄道関係者が一堂に会し、鉄道の発展を祝うとともに多彩な行事を実施することにより、鉄道に対する理解と関心を深めることを目的としています。』
このように定義づけられた鉄道記念日。
我々の生活と切っても切り離せない鉄道。と言われて来たが、これは「日本国有鉄道」時代の話。この頃では営業利益の低い路線は容赦なく廃止される株式会社となった。
それ以降は、鉄道に頼らない生活様式の導入。つまり、クルマ社会への移行。
その上長距離移動は航空会社が、かつて栄光を誇った鉄路の牙城を揺るがせている。
幼いころの我が家は、山陽本線のすぐそばにあった。時計は無くても、電車・・・オットットット汽車が時刻を教えてくれていた。それほどにダイヤは正確であった
長い貨物列車などは、通り過ぎるまで話声が聞き取れなくて会話を中止したこともある。
すぐ近くに保線区という線路管理者の事務所が置かれていた。
周辺には当然のように、鉄道官舎という建物が、肩をいからせているように見えた。
保線区のおじさんやお兄さんたちは、「線路工夫」と呼ばれていたと記憶する。
いずれ劣らぬ力持ち。隊列を組んで、調子のいい掛け声を発しながら、ツルハシを振るってレールを支える枕木の下へ、あのゴツゴツした石を埋め込む作業を連日繰り返していた。暑さ寒さお構いなし。見事な手作業で線路を守っていた。
筋骨隆々、お腹の筋肉はボディビルダー顔負けの締まり具合。この腕一本で、鉄路を守り、旅客の安全を守っている。かっこいいじゃーと子ども心に憧れたな~。
今は遠い遠い昔話となった。てっぴー君を目にし、鉄道の日と言われると、隔世の感がある鉄道事情と、あのツルハシの響きをつい思い出してしまった。
そこにもここにも人間の匂いがしていて、なんかしらのどかだったな~などと思い返しました。
煤煙には泣かされたこともありますが、佳き音良き時代でもあったような。
みんな国鉄マンだったわけですが、今はメインテナンスは、本体とは関係ない別会社の人が、乗客の安全を請け負っているようです。
鉄路を守り、旅客の安全を守るために、日夜作業に当たられた工夫さんあっての鉄道の発展でしょうか。
汽車がトンネルに入ると急いで窓をおろしたり、余韻を残す汽笛も今は懐かしい思い出です。
ちょっとでも早く目的地に着きたいと思う同時、そう急がんでも… とも思える旅もありそうですね。
ツルハシの響き、そこに働く人間の存在が温かさを感じさせてくれるようです。