「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「レンコン成長記」

2008年05月21日 | 季節の移ろい・出来事
4月下旬、田んぼに水を張り引っかき回してドロドロの水田をこしらえる。
昨年の成熟したハス(レンコン)を掘らずにそのまま地中に残しておいた親ハスを、おおむね縦一列に植えていく。1ヶ月もたったこの頃になると、見事な新芽を吹き、まだまだ小さなまん丸いハスの新緑が上手に一列に並ぶ。
これぞ特産岩国レンコンのご幼少の姿である。

まるで小学校低学年の素直さで、先生の言うとおりに「前、習え」をしているようで愛らしい。

この隊列を組んだ素直さ・愛らしさも後わずか。降りしきる梅雨をしのぎ、灼け付く夏の太陽にめげず自らの根を張り、そこからまた新しい芽をはぐくみ、根っこを太く成長させる。その頃になると隊列など言ってはいられない。我先にあちこち手を広げ水面下での栄養を吸い上げ、太陽や潮風からオゾンを吸収する。田んぼ一面に葉っぱが広がる。

そして青年から壮年期の働き盛りになると、必ず一度や二度は伸ばした大きな葉っぱをへし折ろうと襲いかかる台風と闘う。成長した葉っぱの茎を折ってしまうと、そこから水がしみ込ん根っこのレンコンを腐らせたり味を落としたりするという。これも成長過程での大きな試練となる。


それらの全てに打ち勝ったものだけが、特産岩国レンコンとして出荷される栄光に浴するのである。

子供が成長と共に自我に目覚め、自らの道を求め、時には人を押しのけて成長していく姿に似て面白い。こんなハス田の光景がすぐ近くに広がっている。
孫の成長とハスの成長をダブらせるじいちゃんの感傷を蹴っ飛ばして、兄弟はザリガニ探しやアメンボーすくい、果てはカエルを追っかけてござる。
根っこだけは腐らせないよう、風除けになるぞー。その前に丈夫なつっかい棒をさがさなくっちゃ・・・。
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「静かな静かな夕まぐれ」

2008年05月19日 | 家族・孫話
夕方4時に幼稚園バスで、弟が我が家の前に送られてくる。5時前には兄貴を小学校の放課後児童教室に迎えに行く。仕事を終えた娘が連れに来るまでの2時間あまりお守りする。幼稚園年長組と小学2年の男の孫二人、お腹が空くのも半端じゃないし、公園でのサッカー・近くの田んぼのザリガニ探し・時には遠くまで電車見物等々。付き合うじいちゃんばあちゃんもいささかお疲れ。

今日は月曜日、こんな状況を思い浮かべながら仕事から帰った。今日は娘がお休みなので、お守りはしなくていいという。
ヤッタゼー!思わずガッツポーズ!早い時間にブログに取り組める!!
と思ったとたんに、いつもの夕方に比べてあまりにも静かな夕方に戸惑う。

外は雨、普段はペットの散歩で飼い主のけたたましい笑い声やペットの鳴き声で賑わう団地道路も、雨に打たれて人影はない。遠くの山がけぶってみえるだけ。

何事もない二人だけの静かな夕方が、すっごい贅沢をしているような有り難みを感じる。それなのに、こんな日が3日も続いたら「ちょっとウオーキングのついでに寄ってみたよ」とかなんとか言いながら、娘の家に上がり込んでお茶のいっぱいも催促するのに違いない。

詰まるところ、守をしてやっているのか、させてもらって喜んでいるのか・・・
それにしても、こいつらを追っかけるときに、思いっきり転んで出来た手の傷が3週間過ぎてやっと元の皮膚に戻ったよ。あの時は痛かったなー。
        (写真:雨に打たれて人影もない団地道路)
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「世の中そんなに……」

2008年05月18日 | 晴耕雨読
下手の横好き……?
自分に出来そうなことは何でも、取りあえず手を出してみたくなる性分。
今回は「接ぎ木」なるものに挑戦してみた。

接ぎ木とは、2個以上の植物体を人為的に作った切断面で接着して、1つの個体にすること、なのだそうだ。
接ぎ木の手法も6種類あって、それぞれの樹種や品目によって使い分けるとよいらしい。

今回、初挑戦してみる気になったのは、鳥が実を食べて排出したフンから新芽を出し、直径6㎝くらいに成長したクロガネモチの木である。
ご承知の通り、クロガネモチは実から自然に成長した「実生え」には実が付かない、実をつけさせるためには接ぎ木が必要となる。

直径6㎝にまで成長した若木を、根元から20㎝のところでばっさり切って台木とする。我が家にやってきて35年になる実を付けるクロガネモチの親木から新芽を取って穂木にする。
ものの本に書いてある通り、台木の樹皮部分を丁寧に切り下げた隙間へ、穂木を斜めに薄くそいで差し込む。ビニールテープでぐるぐる巻き、動かないようしっかり固定して黒いビニールシートをかけ、日除け・雨除けをして、ハイ完成。

1ヶ月近くを待って、期待を込めてビニールシートをはがしてみれば、「世の中そんなに甘くない…」とばかりに、穂木は真っ黒に枯れていた。台木の周辺に5本の穂木を埋め込んだのに、1本たりとも根付いた様子はない。

やっぱり、少し本を読んだくらいでこのような技術系の作業がうまくいくわけがない。ましてや違う木と木を肌身同志でくっつければ新たな生命が宿るなど、素人のやることではなかったのだ。
でも職人さんが上手にやれば一発で根付くんだろうなー。

人間同士の代理出産もこの接ぎ木のように、台木となる他の女性に、穂木となる受精卵子を埋め込んで、新たな生命を作り出すやり方が本当に正しいのだろうか、接ぎ木はやっぱり、植物に限った方がいいんじゃないかなー。

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旬の味にもご用心!

2008年05月17日 | 季節の移ろい・出来事
目に青葉、山ほとぎす、初鰹 と言われるように、木の芽(山椒)が吹き出すこの時季は、海の幸・山の幸、まさしく旬の味オンパレードで嬉しい。

旬のメバルが2尾、ほどよい醤油味で煮付けられ、木の芽の香りと共に夕餉の食卓に乗せられた。

上戸でもない、まるで下戸でもない夫婦が、日本酒の陶器樽を挟んで差し向かい。メバルをつつきながらの、年に数回しかない晩酌とやらを楽しんでいた。少しお酒も回ったころ、お箸がメバルのお腹あたりに行った、何やら糸状のものがお箸に絡む。ンン? ゆっくり開いてみたら、何と何と、2尾が2尾とも大きな釣り針を飲み込んだまま煮付けられていたのである。

釣り上げた時点で釣り針を完全に飲み込んでいたので、針を外す手間を惜しんだ漁師さんが、針を飲み込ませたまま糸を切ってそのまま出荷したのに違いない。

普段はお腹を開いてきれいにさばかれたお魚を買う。が、旬の味を楽しむメバルなどは包丁の入っていない状態で買うのが普通であろう。
へたをすると、メバルを餌に人間が釣り上げられるところであった。

今を盛りのきれいなバラにはトゲがあると言うが、季節を味わう旬の食材にもこんな危険が潜んでいるとはねー。
今の世の中を象徴するように、何でもありの恐ろしさを改めて思い知った。これが目に見える釣り針だからよかったようなものの、目に見えない薬品でも塗られていたら、ブログアップなど呑気なことはしていられなかっただろう。クワバラ・くわばら…… まさしく「旬の味にもご用心」のお粗末!!
     (写真:2尾のお腹から出てきた釣り針)
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「はつらつ、若鯉、由宇球場!」

2008年05月16日 | スポーツ・観戦
あまりにも気持ちよいお天気に誘われて、デジカメさげてちょっとそこまで、のつもりで由宇球場に行ってみた。
抜けるような青空の下、燃え上がる新緑に囲まれた広ーいグランドの茶褐色の土に水が撒かれていた。間もなく、広島カープと中日ドラゴンズの二軍公式戦の試合開始の時間だった。

このところ、ブログを立ち上げてはみたものの、連日の書き込みに耐えるネタ探しや、ブログ操作に悩んだりしてパソコンと格闘の日が続いた。なかなか外に目が向かなかったが、思い切って出かけてみたら、それはそれは美味しい空気を腹一杯に吸い込み、爽やかな5月の風に吹かれながらのプロ野球観戦は、精神安定剤にはもってコイである。その上、たとえ二軍といえどもカープが勝てば気分は最高というもの。

二軍戦とはいえ、今年のカープは選手層が厚くなったせいか、ついこの前までテレビに映っていた選手の顔が間近にみられる。野手では、嶋・尾形・広瀬・山崎そして投手は、広池・佐竹・上野らが目の前でピッチング練習する、しかもキャッチャーミットに収まる剛速球の小気味よい音。やっぱり実物はいい。

テレビ観戦に慣れきった小生などは、リプレービデオが流されるのを頼りにし過ぎて、いざ球場での実戦見物ではリプレーがないので、一つ一つのプレーに集中していなければ肝心な一瞬を見逃すことになる。へたをすると肩がこるほどの集中力がいる。

なんとか首脳陣にアピールして、一軍に這い上がろうとする選手の動きは感動モノである、野球好きでお暇のある人にはお勧めです。ちなみに今日の結果は、2対1でカープの勝ち。ウッシッシ…でブログを書き込んでいる。
       (写真:安いデジカメでとらえた由宇球場の二軍戦)

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「明日は我が身にならぬよう……」

2008年05月15日 | ニュース・世相
お隣の大国、中国で空前の被害をもたらした「中国 四川大地震」が発生から4日目を迎えた。
あまりの被害の大きさに、いまだ全容は把握しきれていないようである。これまでに分かっているだけでも死者が15000人に上るという。被災者数や被災による損失は計り知れないものがある。お気の毒で、連日放映されるテレビ画面を見るに忍びない思いに駆られる。

今回の大地震が、我が国の大都会で発生したと仮定したら、一体どれほどの被害となるのであろう。想像するだけでもおぞましくなる。

台風のようにあらかじめ予測進路や規模の大きさなどの情報が掴める災害に対しては随分被災規模が小さくなってはいる。ところが、地震に関しては予知能力などの研究が鋭意深められてはいるものの、まだ現実的とは言えないようである。

地震・カミナリ・火事・オヤジ、と言われて古来から恐れられてきた。最近オヤジだけはこの仲間から外れているようだが、その他の怖さは今も健在である。
特に地震については、今のところ避けようのない災害の一つではあるが、手をこまねいてばかりはいられない。
猛威をふるう自然のエネルギーの前では弱い弱い人間ではあるが、自分の身体は自分が守るという哲学に徹して、心身ともに自分に出来る普段からの対策は備えておくべきである。自分の身体が守れないのに、周囲や他人を助けられるわけがないこと肝に銘じておきたい。

このような大惨事が、明日は我が身とならないことを「八百よろずの神々」にいのりたい。

兎に角、今回の大地震・ミヤンマーのサイクロン被害など後を絶たない自然災害で尊い人命が失われる中、宗教の違いなどによる民族紛争で、命の奪い合いが繰り返される人間の愚かさもなんとかならないものかねー。
     (写真:昨日の夕方7時、NHKニュース画面)
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「新緑萌えるお城山」

2008年05月13日 | 季節の移ろい・出来事
私のような絵心のない人間が、カンバスに黄緑色の絵の具を塗りたくったような、岩国城を望むお城山の木々。この萌えるように吹き出る新緑がなんとも魅力的でつい引き込まれてしまう。
秋の紅葉、それはまた見事な色彩で一幅の日本画を見るようなあでやかさで人の目を引きつける。毎年、その時期が来ると、紅葉谷を巡りながら真っ赤なモミジ・真っ黄色のイチョウなどカメラに納める熱心さも持っている。
しかし、どういうわけかこの季節、日一日と黄緑が濃さを増し、やがて青黒く変化し、入道雲を思わせる盛り上がりを見るとき、地の底からわき上がるエネルギーを感じる。やがてくる夏を予感させて胸が躍る。
黄緑に盛り上がる多くが椎の木らしく、しっかり実って山深いところにも椎の実をいっぱい実らせて、クマやイノシシが人里近くまで出てこなくていいように、豊富な餌をばらまいてくれるといいな…なんて勝手に思っている。
あの萌える青葉若葉の中を森林浴しながら、今年も何度お城山に登ることになるだろう。足・腰・膝によろしくお願いしなければ。
       (写真:白鳥遊ぶお堀からお城山を望む)

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「母の日」

2008年05月12日 | 家族・孫話
今年も「母の日」がやってきた。昨日、娘夫婦が「母の日プレゼント」と言って「ありがとう…」のケーキを持ってきてくれた。セガレ夫婦からは山形のサクランボがクール便で届いた。
母の日の贈り物は赤いカーネーションが定番だったように思うが、この頃では、価値観の多様化という現象に乗って、ありとあらゆる業者が母の日感謝の商戦に便乗して売り込み合戦の様相を呈している。逞しい商魂ではある。
私たちが母の日プレゼントをもらうようになってから久しいが、私たちはいったい自分の母親やカミサンの母親にどのような形で感謝の気持ちを示してきたのだろうか、今更ながら気にかかる。
マイホームのローンや教育費に追われる生活の実態を間近で見てきた母親達は、おそらく遠慮して何も受け取ろうとしなかったのではなかったか、いやいや、大なり小なり、その日そのころの流れに乗ってなんらかの感謝を表してきたと思う、そう思いたい。ただ高齢になってからは、母の日というより敬老の日や誕生日のお祝いが主流だった。私の母にはこの4月、100歳誕生日の大祝いをして上げたというか、させてもらった。
我々も孫の面倒見ながら、母の日・父の日のプレゼントをもうしばらくの間受け取って上げるのが子供孝行になるのかな…。
変な理屈をつける前に、おいしいそうな母の日ケーキをご相伴することにしよう。
      (写真:これから手をつける母の日プレゼント)
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「コイン精米機」

2008年05月11日 | 家族・孫話
ここ数年、秋の収穫時に玖珂の米どころの友達から玄米を買うことにしている。
面倒ではあるが、毎回10~15キロをコイン精米機にかけて、つきたてのお米でご飯をおいしくいただいている。締まり屋カミサンのささやかな贅沢の一つだと笑っている。
精米の目安として、5ぶ・7ぶ・標準・上白の4段階に分けられている。今までは特に意識することもなく標準一点張りできた。
標準でも、重量ではおよそ10%の目減りがある。次回からは7ぶという段階に挑戦して、目減り分とお米の味とを比較してみたい。
カミサン得意の岩国寿司をつける時ばかりは、やはりご飯が白くないと出来上がりの見栄えがよくないからと、プロのような蘊蓄(うんちく)を述べられるので標準でいくしかない。
それにしても最近はお米を食べなくなったもんだ。孫達がお腹を空かせて帰ってくることを除けば、夫婦二人の食べ料はたかがしれたものらしい。
お隣の県に住むセガレ夫婦が帰ってきて「岩国でもらうお米はおいしいんよねー」とか言われて持って帰らせると一挙に減ってしまうらしい。
数年前までは、お米がどっちを向こうと、使用料がどうだろうと、一切「あっしにゃー関わりのねえことで……」を決め込んでいたが、この頃ではついつい引き込まれて、内情の全てを耳に押し込まれるようになった。
まあ、会話があるのがせめてもの慰めか、いや、話が続くうちが花と思って、時々は耳の掃除でも心がけなくっちゃー。
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「ほどよい、うるい」

2008年05月10日 | 季節の移ろい・出来事
「五月雨を、集めて早し、最上川」と言われるように、5月の雨はしっとりした長雨が相場なのだが、昨夜から今日にかけてのそれは大風をともなって、嵐の様相であった。
この雨のお陰で、野菜達が一段と活気を帯びてきた。このようにタイミングよく作物の成長を促す雨を「ええうるいじゃねー」とか「ほどよいうるいじゃのー」とお百姓さんから聞かされてきた。
我が家にも借り物畑ながら200本ばかりのタマネギが、この雨に打たれて地面から真っ白い顔をのぞかせ始めた。間もなく香り豊かな新タマネギが食卓を飾る。
畑作りなどとは言うものの、孫が喜んで泥遊びをするための「歓声菜園」みたいなものだから、出来映えも収穫量も毎年今一ではある。が、苗を植え付けてからというもの、日照りが続けば水遣りも忘れず、春先の草取りもかなりの努力がいる。
こんな素人相手でも、確実に芽を出し成長し実を結んで、手を施した人間に応えてくれる自然とは、不思議な力を持っているものだと今更ながら感心する。
さーて、タマネギの後は秋の芋掘りの歓声を目指してサツマイモを植えるぞー。
キーボードを叩くのも辞められないが、鍬や鎌を持つのも当分の間辞められそうにない。
       (写真:雨に打たれて顔をのぞかせるタマネギ)
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