「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「七回忌」

2014年11月10日 | 家族・孫話

                 

あれから丸6年の歳月。100歳を生きた母の、今日が7回目の祥月命日。
晩秋の冷たい雨が降る、昨日日曜日。お寺さん、親せき一同集まって、ねんごろな七回忌法要を営んだ。
計画段階では、法要が命日の前日になるので、あまりにも近すぎて常識はずれなのかな、などと心配した。
ところが、菩提寺住職さんの話では、祥月命日当日に法要を営むのがベスト、と教えられた。

命日を過ぎても、法要を営む親族の気持ちさえあれば何も問題ない。との付け加えもあった。
むしろこのたびのように、命日の前日法要は、べストに準じるくらいの値打ちがあるというお話に安堵もしたし、いい勉強もした。

思い起こせば6年前。「もう少し生きて欲しかった」「もっと色々して上げることができたのでは・・・」などと、悲しみの中で心乱した。
今にして思えば、あれ以上長く生きることを望むのは、己の欲以外の何物でもないことに気づかされる。
母は母なりの生涯を目いっぱい生きた、それが100歳7か月という寿命であったということ。そう思うことで、後に残されたものの気持ちも楽になるし、母自身も心置きなくお浄土へ旅立たれたということになるのであろう。

人間生まれ持った四苦八苦。四苦とは、「生・老・病・死」。つまり、生きることも死ぬことも苦難の道である。その苦難に立ち向かう人間の強さ逞しさが、苦労を苦労と感じない生き方をして頂きたい・・・と。40歳前の独身の住職さんが説法された。
しっかり受け止めるかたわらで、出来れば苦労の多くない無難な道を歩みたいと、仏壇にも墓前にも手を合わす。

一番出席して欲しかった母の妹、つまり叔母さんは、102歳11ヶ月の今もまだまだ元気に、特養施設で悠々自適。
施設住まいなので、法要への出席は叶わなかったが、その叔母から身に余る伝言とお香料が供えられた。
早いお話が、1歳5ヶ月のひ孫から、102歳の妹に至るまで、全セ代を網羅して法要の営みに参加してもらえた母は、やはり幸せ者と言えるのだろう。

若い時から苦労のしっぱなしであった姿を見ているだけに、「幸せだね~」などと言ってあげられる「今」を喜びたい。

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「散るススキ・・・」

2014年11月06日 | 季節の移ろい・出来事

             

あまりポピュラーでないかもしれないが、この季節を詠った一茶の寂びのある句を見つけた。

              散るススキ  寒くなるのが  目にみえる     一茶

今宵の月も、澄み渡った中天に煌々と冴えている。
今年は名月と呼ばれる満月が二度見られる珍しい年だと小耳に挟んだ。
実は昨夜がその満月の夜だったようであるが、昨夜は残念ながら雲に隠されてしまった。

そして今宵見上げる月のさやけさ、お見事である。
この澄み切った満月を見上げながら、なにゆえに“散るすすき…”なのだろう。
もっとシャキッとした句が目に止まってもよさそうなものを・・・と我ながら思わぬでもない。

深み行く秋の冴えた月は、やはりススキの穂がお似合いである。いうなればセットにするのがいいようだ。
あの、秋風に飄々となびく頼りなげなススキの上に、煌々と冴える月というコンビネーションは、アンバランスゆえに両者を活かす不思議とも思える風情が仕込まれているのかもしれない。

現実には、身近に感じるようになった寒さ、やがて来る冬を、確かに迎え撃つ覚悟をしようという予告編なのかも。
ススキが散りゆく本当の姿をしかと確かめたわけではないが、この寒さではススキも散ってゆくのだろうなと想いを馳せたい。

もう一つ現実の話に戻ると、11月の声を聞いて気持ちが焦りに焦っていたことがある。
タマネギの植え付けである。今年は思い切って広めの畑を準備した。
白タマネギ、中性(なかて)400本。赤タマネギ150本。トータル550本。全部実ったらどうしよう。市に出すか・・・?
たかがタマネギ植えと思っていたが、いささか足腰に来た。これも、ススキ散る季節のお役目、吾輩の風物詩ではある。

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「文化の香り」

2014年11月03日 | ニュース・世相

        
                                 

11月の声を聞くと、なんとなく身の回りに「文化・・・」と名の付く行事や催しが目につく。
国民の祝日として「文化の日」が制定されているからだろうか。特に今年のように三連休ともなれば、文化の日の内容はともかく、ゆっくり家族サービスに活用できたことをあり難く思っている御仁も少なくなかろう。

文化の日は、「自由と平和を愛し文化をすすめる」ことを趣旨として、国民の祝日に関する法律で、昭和23年に制定されている。
ただこの、「自由と平和を愛し文化をすすめる」という文言が、今もって確たる理解ができていない。
早い話が『文化』とはなんぞや?という疑問が頭の中でモヤモヤしている。まるっきりわからないわけではないが、「説明して・・・」と言われると、はて、何と答えるのだろうか。

取り敢えずそのことは置いといて、今年も文化勲章や、地方における個々の活動に対して色々な褒章が伝達された。
われわれごく一般市民には、たまに、市の文化功労者の祝賀会にお呼びがかかる程度である。
そのほかは、文化祭という名のイベントがあちこちで開かれるのをチラッと覗きにいくことが主な行事となる。

平均年齢80歳くらいのグループ活動があるはあるは。一つ消えたらすぐに新しく立ち上がるという高齢者グループの活発な活動。
いうなれば健康寿命が伸びていること。皆さん積極的に世間に出られていること。そしてそういったグループ活動を支える色んなボランティア指導者や支援の輪が身の回りに多いことによるのだろう。
他にもいくつか理由はあげられるようだが、兎に角、元気な高齢者が元気に集まって、腰を伸ばしながら笑顔でステージを盛り上げるのは見ていてほほ笑ましくなる。

やがて行く道。その時になって何を選択するか慌てないで済むように、今から少しずつ準備かな。
いやもうすでに、手に余るほどのあれこれを抱えていると言えなくもないか・・・。
 

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「忙しさに追われて・・・」

2014年11月01日 | 季節の移ろい・出来事

               
                  錦帯橋上流の河川敷から、正面に見上げる岩国城

あれやこれや、何かと慌ただしかった10月が往った。
タイトでハードで、少しキュートな秋半ば。一張羅のスーツにネクタイを決め込んで出かける場面も何度かあった。
パソコンと向き合い、会合や会議の資料作りに、秘かに精を出す作業も幾つかこなした。
「おせっかい」ともいえる、中学校同窓会幹事会も招集し、来年4月開催に向けてスタートラインに立った。

振り返ってみると、忙しさに追っかけられたのか、逆にこちらが忙しさを追いかけたのか。
よくわからないが、結果的には何事につけても、何とか間に合うようにお膳立てはしてきたようだ。焦ったこともあるにはあったが。
面白いもので、何事かが偶発的に起きると、それに付随するように色んなことがいろんな形でオッかぶさってくることがある。
忙しさが次の忙しさを呼び込むように。
だから、一つひとつを早めに確実に消化していくよう心掛けるのだが、うまくいくことは滅多にないというのが本音かな。

今日から11月。暦もあと2枚を残すのみとなった。
最も力コブを入れる行事が、今月末の第3回岩国検定試験実施である。
受験者数に関係なく、やるべきことはやらねばならない。そして、受験者を気持ちよく受け入れ、気持ちよく送り出したい。
願わくば、もう10人、いや20人でも受け入れ体勢は整えている。残り20日、駆け込み受験申込大歓迎なのだが・・・・・・。

そのほかにも色々ある。時季や良し、紅葉見物も一度や二度は味わいたい。
丹精込めた菊花展にも足を運びたい。要するに、忙中閑を見つけて英気を養う、つまりサボリたいということか。
それもまたよし。岩国城がそびえる城山の紅葉も、はにかみながらではあるが始まっている。

コメント (2)
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