「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「春隣」

2021年02月12日 | 季節の移ろい・出来事

                                                              

午後の陽ざしに誘われて、最も近くにある船だまりに出てみた。「海のある風景」を1枚どうしても撮らなければならないお役目もあった。
海は空の青さを映して底抜けに青く、色んな形をしたレジャーボートは冬の陽ざしでも目を射るが如く白く輝いている。

遠くの対岸に目をやると、その昔、そして今も我が生活を支えてくれる工場群が、白い煙をなびかせている。ついこの前まで冷たい海上を渡る風は冴え切っていたようで、見える景色も鮮明であったのに。今日は何故か少し霞んで見える。まさに水温む季節を予感させる。瀬戸の海の上にも春隣。

      車窓より瀬戸の島山春隣    星野立子

今は捨てられたように波間に漂う小舟も、時を得ると一斉に白波を立てて釣り場に向かう。そこにはコロナも世間の煩わしさもない別世界が待っているのだろう。
小さな目的を持って出かけた瀬戸の海、小さな船だまり。そこにはそこの物語があるような。

何をやっても許される、そして楽しめる、そんな春が早くやって来るといいものを。なかなかしぶといコロナが立ちはだかる春隣でもある。

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「もたつく五輪」

2021年02月11日 | ニュース・世相

              
東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長職を7年も務めてきて、本番を目前にした今この時期に自ら会長職を辞任しなければならなくなったお人がいる。コロナ禍で、このまますんなり開催されるのかどうか心配もされている東京五輪・パラリンピックではあるが、なんかしらケチの付いたつまずきだらけの感じがつきまとう。

つまずきの最たるものがコロナ禍である。何事もなくすんなり行っていればとっくに終わっているものを。1年伸びたことで、招致委員会の賄賂疑惑が出てきたり、延期による莫大な経費負担増額があったり。ポロッと出てきた失言によって、世界に対する日本の品格まで下げるという大袈裟な騒動に発展した。
こんなことで結局オリンピックそのものが、これまでに感じたことがないほどつまらないものに思えてくるのは何でじゃろう。
選手諸君の汗と涙と血のにじむ努力にどのように応えて上げるたらいいのだろう。

失言とは「言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。言いあやまり」とある。「女性が多いと会議が長くなる」これが、つまり言ってはいけないことを、不注意で言ってしまった。そのことによって、日本人全体が女性差別意識を持っている、と世界から評価されるとはねー。

これ以上は「言わぬが花」ということに。
そして、どんな些細なことも、自分の立ち位置を考え、相手に不快な思いをさせる発言をしてはならないことを改めて肝に銘じた。そんな思いにさせるここ数日の世間の動きであったような。

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「なんとかモノにして」

2021年02月09日 | 地域活動

  

約27年前、この団地が造成された時から、自治会館建設用地としてあてがわれていた土地がある。
その土地の有効活用をしないまま、今まで空き地として雑草の宝庫となっていた。それでも細々最低限のおざなり自治会活動は辛うじて続いてきた。
その間の総会は、近くの介護施設の住民向け広場など、あちらこちら拝借して実施してきた。
役員会などの小さな会合は、全て自治会長の自宅とか整体を営む店舗を借りる、という個人の持ち物を頼りにやって来た。推して知るべし。役員会が自由に開けない状態で、活発な自治会活動など無理な話。

輪番制で回って来た今年度の会長として、遅ればせながら声を上げ「せめて役員会ができる事務所を作ろう」と乗り出した次第。
などと云うとさも大げさだが、実は5年前の会長さんが、「自治会館アンケート」を展開された。自治会館建設は反対多数で否決された過去がある。そんな背景の中で、ミニ集会所を立てるなどの発言はタブーとされてきた。「なくても不自由しない」がその理由。
何にもしない、高齢化が進んでも勝手に年取っていけばいい、他人のことなど構っていられない。などと考えるならそれもよし。

そうは云いつつこの団地にも団塊の世代は多くいて、間もなく年寄りだらけの熟年団地になる。多少なりとも地域福祉に携わっている身としては、よその事ばかり気にして、肝心なお膝元では何にもしないのか。とは誰も云わないが自問自答すれば「なんにもしてないよな~」という答えになる。
そこで、敢えて火中の栗を拾うような愚挙を承知でチャレンジした。結果オーライ、92%の賛成多数で可決承認された。

   

     

やるしかない。自治会館建設用にと積み立てた定期預金はふんだんに郵便局に眠っている。ホンの一部を使わせてもらって、小さな小さな事務所を作った。自慢にも何にもなりはしない「中途半端な代物」と自分でも思いつつ、兎に角形にしたらその良さを分かってくれるだろう。他力本願。結果はこれから出てくると思うが、ちょうど時間となりました。アタシの受け持ち時間は3月末で終わる。

                                         
                                                                      もう少し手を加えたら完成を迎える

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「今年お初一輪」

2021年02月08日 | 季節の移ろい・出来事

                                                         

満を持して、とでもいうように今年の梅一輪がほころんだ。
玄関わきに生きる、観賞用の八重の白梅。今年は殊の外つぼみの付きがよくて、これから日に日にほころぶ数を増やして楽しませてくれるのであろう。

梅が開花するのは「ほころぶ」と言うことは先刻ご承知の通り。ツバキは開く。桜は咲く。というように、同じ開花でも花によって呼び分けて来た。
そんなところにも古の日本人の繊細さと意識の高さが偲ばれる。
そこへいくと、現代人の意識の低さ、感性のもろさに唖然とするものがちょいちょいみられる。意識ない発言で梅の花でもないのに「ほころび」を露呈し自らの立場を悪くするだけでなく、積み上げてきたその実績までも覆い隠されてしまう愚かさ。

一方で、1年余りの苦境に立たされ続けた新型コロナウイルス感染症。出遅れた感のある我が国の「ワクチン接種政策」ではあるが、ここはひとつ、ほころびの無いように、確かなシナリオのもとに順序だてて整然と早く進めて欲しいものである。
ただ、ワクチンという液体を体内に注入するに当っての「安全性」を心配する声も少なくない。コロナ感染も怖いが、ワクチンの信頼性もね~ といった塩梅だ。

「ワクチンには良い面も悪い面もあるから、自己決定が大事だよ」とおっしゃるのは医師で作家の鎌田實氏である。そして「ぼく自身は、今のところ順番が来たらワクチンを打とうと思っている」と答えておられる。
もちろん、危険性の高いものを世界中が競って打っているわけではないだろうし、いつまでもコロナに怯え続けるわけにもいかない。
ここは一番!自己決定が大事なことである。進退窮まったら、おのれの事はおのれ自身が決めるしかない。

鎌田先生に倣って、順番が回ってきたら肩をまくってワクチンの針を受け入れることにしようか。

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「寒アヤメの咲く頃」

2021年02月07日 | 季節の移ろい・出来事

  

庭の片隅に陣取っている寒アヤメの花が、今年も見事に咲き始めた。
この清楚な薄紫が目を射るようになると、寒さの愚痴も少しずつ減ってくるような。そんな季節の先取りを感じさせる花ではある。あまり手を入れるわけでもないのに、頑張って、その名の通り大寒の真っ最中に咲き始める。我が家に春を呼ぶ花でもある。    

    咲く場所も季も選ばずや寒あやめ    作者知らず

    寒あやめ弱音を吐かぬ母なりき     作者知らず 

昨年1月に始まったNHK大河ドラマ「麒麟が来る」。コロナによる撮影中止というアクシデントを乗り越えて、ほぼ予定通りの筋書きを放映出来た模様で、今宵完結した。世に言う三日天下の明智光秀の生涯を描いたもので、主君を討った謀反人のレッテルを貼られることが多い戦国武将の一人である。今回のドラマでは、飽くまでも光秀が主役でありヒーローなのだから、信長も秀吉もどうかすると仇役に扱われるのも致し方のないところ。

ただ、個人的には、あの信長がもう少し長く生きていたら、どんな世の中になっていただろう、というロマンを思ってしまう。そして今一人、もっともっと長生きして欲しかったな、たら・ればではあるが、あの坂本龍馬がもう少し長く生きていたら、どんな世の中になっていただろうか。天下を分けた戊辰戦争も西南戦争も避けられたのではないか、などと遠い歴史を思ってしまう。

取り敢えず一つのドラマが終わった。次なる大河にまた少しの期待をしつつ、明智光秀、お疲れさん。

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「冠婚葬祭」

2021年02月05日 | 地域活動

         

地元の中学校で、2年生を対象とした「立志式」が行われた。
地区連合自治会が主催する年間一大事業の一つである。間もなく15才を向かえる2年生諸君に、昔で言う武家の男の子の成人式であり、元服(げんぷく)といって初めての烏帽子を被せる儀式にのっとって、両親や教師、地域住民が一体となってお祝いをする。そうして、彼らに15才の自覚を持ってもらおうというイベントである。

「冠婚葬祭」という四字熟語があるが、冠は元服、婚は結婚、葬は葬儀、祭は先祖を敬う法要などを言って、人間の一生を端的に表す言葉として用いられるようだ。その最初の祝いに当たるのが冠、つまり元服、今で言う立志式となるのである。

こんな大切な伝統行事も、コロナ禍は容赦なく襲いかかる。学校体育館という比較的広いスペースではあるが、感染拡大防止の観点から、実行か中止か、検討に検討を重ねた。学校側とも折衝を繰り返した上で、実行という結論で今日、生徒100人、保護者と来賓含めて約200人の祝賀の会となった。

メインプログラムは、立志の年令を向かえた今の彼や彼女の胸の中にある「将来の夢」をひとり一人が、ステージで発表する場面。今回特に感じたのは「今はまだ自分の夢は決まっていないが・・・」という生徒の多さに驚いた。つい2・3年前までは、大半の生徒が「プロ野球選手」「サッカー選手」「パテシア」「看護師」「美容師」などと具体的な職業名を挙げるのが普通だったと記憶している。生徒達の夢の創造さえ、コロナが少し消極的にさせたり、守りに入る気持ちを助長したりさせたのであれば、気の毒な話ではある。

先日の、高校受験を控えた三年生の面接指導も非常に興味深かったが、今回の立志式も彼らの新鮮さを見せてくれて面白かった。そして思うのは、中学2年生から3年生として卒業を向かえるまでの1年間は、文字通り飛躍的に大人に成長する過程を目の前に見せてくれる。よそ様の子ではあるがまた一つ応援したくなる。

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「スマホ、替えたよ~」

2021年02月04日 | つれづれ噺

              

かれこれ2年半になろうか。手に、ポケットにすっかり馴染んでいたスマホ。計り知れない多くの情報を提供してくれる窓口となってくれた古いスマホ。
感謝の気持ちはあふれるが、このところ色んな反応がゆっくり過ぎてイラっとすることもしばしば。バッテリー消耗の速さなど、経年劣化は如何ともしがたく、型の古さも気がかりになって、ついに機種変更に踏み切った。

次々に新しく出される機種を追いかける柄じゃないし、それほどの稼ぎもない。まして、古くなったから捨てるなどという贅沢志向とは真逆。使いこなして手元に長く置いた物には深い情を示すタイプだと思っている。たとえ使えなくなってもいざ捨てるとなると、そこに込められた色んな背景が頭に浮かんだりする。ちょっとした自分史の断片を見る思いと重なるものがあるからなのかも。

たまに里帰りする3才の姫孫が、母親のスマホを指一本で操って、思い出の写真や大好きな動画を引っ張り出しては見せてくれる。そんな仕草を見ていたら、やっぱり機種がいいと性能もいいのだ、と自分の腕の悪さや使いこなせない能力不足を棚に上げて、ただ新しいものに手を出してみたくなるだけのこと。別に、一つ年を重ねたお祝いなどと言うわけではないのだ。

今までのものと比べると、薄型で背が高くて、まさにその名の通りスマートだ。せっかく新しくしたのだから、それとなく人目につくように前に突き出して使ってみようかな。「あれ、スマホ替えたの?」なんて気付いてくれるような繊細な友も少なくなったね~、と嘆くに違いない。
でも、新しいおもちゃを買ってもらった子供が、喜びにウキウキする気持ちに似ているような今の気分ではある。

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「季節の分かれ目」

2021年02月02日 | 季節の移ろい・出来事

     
                        恵方巻 イワシの煮つけ           年の数ほどの節分豆 

124年ぶりともいわれる2月2日の節分。何とはなしに少しの緊張感をもって、節分豆をしっかり握って家の外に豆まきをした。
最近色々云われているように「鬼は悪者」と単純に切り捨てるのはおかしい、という考えを以前から持っていた私には「鬼は外~」と叫ぶ馬力が乏しい。ならば、鬼を外に追い出すのはやめて、ひたすら福を呼び込む「福は内~ 福は内~~」の連呼である。

    節分の野に出て赤き夕日見し     細見綾子

そして、今年の恵方と云われる南南東に向かって恵方巻きを丸かじり。イワシの煮つけにも箸を付けたところで、写真を撮るのを忘れたことに気が付いた。
兎に角1枚は記念に残そう、ということでちょっと舌鼓を打った後でパチリ。こんなお行儀の悪い写真をアップするのは如何なものか、お叱りもあろうかと思いながらも、今日の場合は丸かじりが常道であり、空腹にも負けてしまった失礼をお許しあれ。

人皆困り果てているコロナ禍。せめて節分くらいなにがしかの貢献はできないものか。そうだ、今年の恵方巻は購入品にしよう。微々たる手助けではあるが、経営逼迫にあえぐ観光ホテルのテイクアウト巻き寿司を購入した。これは毎年のように、数軒分の恵方巻づくりに手を焼く山の神の骨休め効果もあった。
そして自分で蒔いた節分豆を拾い集めて、とはいっても最近では20~22粒の入った小袋に分けられているので、家の中で蒔いた小袋豆は拾いやすい。しかし年の数ほど数えるのは骨が折れる。ついにそんな年頃になったのだ。

それでも先ずは元気に豆を蒔く。続いて拾う、そしてちゃんと数を数えて頬張る。まだ豆だって噛めるし、このような年中行事は出来るだけ長く続けたい。と思ってはみるのだがこればかりはね~、鬼のみぞ知る、オッと違った神のみぞ知るであった。
季節の変わり目とは名ばかりで、明日からまたひどい冷え込み冬のど真ん中。春はもう少し先のようだ。

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